9-1(アウレリア)
ディートリヒ・シュタイナーであると言われたその青年は、少なくともここに来るよりも随分前から体調を崩していたのであろう。異様とさえ思えるほど美しかった顔はやつれ、色の変わった毛先だけが赤いままの白髪は艶を無くし、ぼんやりとした真っ赤な目でこちらを見ていた。
本当に彼なのかと疑いたくなるほどの変わりよう。しかしそれが本当ならば、彼に一体何があったのだろうか。
傍らに付き添うレオンハルトは、出発した時から少し年を重ねただけの、ごく自然な姿でそこに立っているというのに。
「殿下とレオンハルト卿は、式へ向かわれた方がよろしいかと」
客間の用意を頼み、戻って来たクラウスがそう言うのに頷く。本当は、心配なのでディートリヒについていたかったのだが、帰還式をこれ以上遅らせるわけにはいかない。それに、どのみち、自分が傍にいるからと言って、何かが変わることもないのだから。
ここはクラウスの言う通り、騎士たちに付き添いを任せて、自分は式に向かうべきだろう。そう思い、ディートリヒの肩に触れていた手を離した。
「……うぁ……っ」と、低く呻く声が聞こえた。疲労の滲むディートリヒの顔が歪み、苦痛に耐えるように肩を竦める。
慌てて、「大丈夫ですか!?」と声をかけた。手を離す時に、変に力を加えてしまったのだろうか。それとも、急に症状が悪化したのか。焦りつつも、反射的にディートリヒの方へと手を伸ばして。
ぎゅっと、それを掴まれた。
「……ああ。そういう、こと、か……」
ぼそりと、彼は何かに納得したように呟いていた。その真っ赤に染まった宝石のような目を、先程よりも僅かに見開きながら。
(……そういうこと?)
「……卿。体調の悪いところ、誠に申し訳ないのですが。殿下はこれより、帰還式に向かわれます。手を離して頂けませんか」
首を傾げていたアウレリアの耳に、生真面目なクラウスの声が届く。はっとし、アウレリアもまた、その言葉には頷かざるを得なかった。彼の言葉が正しいと分かっていたから。
掴まれていない方の手で、自分の手を掴むディートリヒの手に触れる。「ごめんなさい、ディートリヒ卿」と、アウレリアは静かに声をかけた。
背後のクラウスが、「ディートリヒ卿……?」と驚いたように呟くのが聞こえた。
「クラウス卿の言う通り、私はこれから帰還式に向かわなければなりません。手を離して頂いてよろしいでしょうか?」
ぐったりとした彼の耳に響かないように、出来るだけ優しく、穏やかに告げる。ディートリヒは少しの間、じっとこちらを見つめていたけれど、ゆっくりと、ほんの少しだけ、頷いてくれた。
「お手を、煩、わせてしまい、申し訳……。殿下、に、お願いが……」
ぎゅっと、すがるように手を引かれ、瞬きをする。「殿下に対し、軽々しくお願いなど……」と、眦をきつくする自らの第一護衛騎士を、「クラウス卿」と名を呼ぶことで静止させた。
「何ですか? ディートリヒ卿」と問えば、彼は一度ちらりとクラウスの方を見た後、再びアウレリアの方に視線を戻した。
「式が、終わった、あと……。いえ、時間がある、時ならば、いつでも……。もう一度、俺に会って、くれませんか……?」
切実な声音、握りしめられた手。
アウレリアは柔らかい口調で、「もちろんです」と答えた。クラウスが「殿下……!」と困ったように言うのを、気にせずに。
元々、言われずとも後ほど様子を見に行こうと考えていたのだ。このような状態の人を見て、そのまま放っておく方が難しいというものである。国のために、『魔王封じの儀式』に参加したために起きた体調不良だろうから、尚更である。体調が戻るまで、城で世話をするのが筋だろう。
「式が終わったら、会いに行きます。それまではゆっくり休んでいてください」
「ね?」と、首を傾げて微笑む。アウレリアの表情は見えなかっただろうけれど、ディートリヒは少しだけほっとしたような顔になり、小さく、ゆっくり頷いた。
アウレリアの手を握っていた手が動く気配を感じ、アウレリアもまた手を離す。「ありがと、ございます。殿下」と、絞り出すように言う彼の言葉に頷き、アウレリアは彼の手が離れると同時に、立ち上がった。クラウスが連れて来た騎士たちに場所を譲る。
騎士たちは、さっとディートリヒの左右につくと、肩を支えながら、ゆっくりと彼の身体を持ち上げた。そのまま、こちらに一礼して歩き出し、彼を元気付けるように声をかけながら、角を曲がって行った。
大丈夫だろうか、と不安になりながらその背を見送ったアウレリアに、「殿下、参りましょう」と、改めてクラウスが手を差し出した。
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