44-1(ディートリヒ)
大丈夫だと、ひたすらに言い聞かせて口付けた結果、分かったのは、たかが口付けだと思っていたこれまでの感覚が全て覆ったということと、自分は、自分が考えていた以上に欲深いということだった。
(一度で我慢出来るって言い聞かせたくせに、結局次を強請るって。……ああ、本当に危なかった。手が滑るところだった)
この年まで生きる過程で、口付けやそれ以上の関係を強要されそうになったことは一度や二度じゃない。身体の関係だけは、必死に逃げ続けたおかげで、一度も持ったことがないけれど。口付けは、不意打ちに近いものから、力づくのものまで、何度も重ねて来た。
その結果、ディートリヒの中で、口付けという行為は、手を繋ぐのと同じくらい単純な接触であり、それよりも不快な行為であるという位置づけだった。自らそれをしたいと思ったこともなければ、それを望まれることにうんざりしており、騎士という身分を得てからは、誰からも強要されないことを喜んでいた。そんな行為だったというのに。
(……初めて、口付けたいと思った。その先に進みたいと思った)
胸が痛くなるほどに。だからこそ、一度でも口付けてしまえば、その先を望むだろうことが分かり切っていたから、これまで知らないふりをしていたのだ。甘い接触を望む、自分の気持ちに。
けれどそれを、アウレリアは拒否だと感じていたようだから。
「それを言い訳にして、自分がキスしたかっただけだよね。本当」
眠るアウレリアの髪に顔を埋めながら、呟く。必要だったのだ。自分に対する言い訳が。
アウレリアがそれを許しているから。望んでいるから。彼女への気持ちを証明するために、必要なことだから。
そんな言い訳だけは十分に用意して、初めて、自ら望んで口付けた。おそるおそる、彼女を怖がらせないように。
(それでも、最初はちゃんと出来たんだけどな。……あんなに、物足りないと感じるなんて、思ってもみなかっただけで)
単なる行為でも、口付ければ、その先を望んでしまうことは薄々分かっていた。口付けそのものではなく、それ以上の行為を目的としてしまうだろうと。けれど。
ただ口付けだけでも、もっと深くと、そんなことを願うなんて思っていなかった。自ら望む、愛しい人への口付けが、あんなに甘く、心地良いなんて知らなかったから。
(結果として、身体の方が無理になって、一回部屋に戻ったわけだけど。……格好悪すぎる)
自分とは反対の方を向いて横になる彼女の頭に額を当てて、深く息を吐く。つい先程のこととは言え、今思い出しても、少々情けなかった。
だって無理だったのだから仕方ないではないか。あのまま、アウレリアの隣で眠るなんて不可能だったのだ。それこそ、眠っている彼女に、寝惚けたまま何か仕出かすかもしれなかった。むしろ、情けないと思いながらもそのように行動したその判断力は、褒められたものだろう。
頭の中で自分を擁護しながら、もう一度息を吐く。腕の中で眠るアウレリアとの距離が、昨日までよりも少し離れている気がして。そのことをまさか、嬉しく思う日が来るとは。
(俺のことを意識してくれてるから、だよね)
思わず、笑みが浮かんでしまう。身を強張らせ、上手く眠りにつけない彼女は本当に愛らしかった。ディートリヒが身じろぐ度に身を固くして。けれど、腕に抱かない方が良いかと聞いたら、彼女は首を振ったのだ。「緊張しているだけですから……」と言って。
「傍にいたいのは、私も同じです。ディートリヒの腕の中は、心地良いもの。……でも、あなたの感情を知って、その、少しだけ、身構えてしまうので……。程々にしてくれたら嬉しいな、と……」
「難しい注文をして、すみません」と、顔を赤くして言うアウレリアの姿に、一度昂ぶりを解消してきたはずなのに、またも身体が反応しそうになって、必死に耐えたのだった。
「もう少しで、やっと婚約式か。それから一年で結婚……。耐えきれるかな、俺」
ぼやくように、しかしその先を期待しながら呟く。遠くとも、必ず近付いてくると思えば。一日一日でも、確実に。だから。
(彼女を手放さざるを得ないような事態にだけは、ならないようにしないと)
彼女の髪から漂う、甘く涼やかな香りを深く吸い込みながら、ディートリヒはそう心に決め、ゆっくりと目を閉じたのだった。
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