43-3(アウレリア)
彼の手のひらがアウレリアの頬に触れる。優しい仕種に、思わずいつもの癖で頬を摺り寄せれば、彼がまた、楽しそうに笑った。うっとりとした表情で、甘ったるい声で。「受け入れてくれるんだね、アウレリア」と、しみじみと呟きながら。
「これで、誘ってるわけじゃないんだよね。参ったな……。大丈夫、キスするだけ。それ以上はまだ、絶対に。……大丈夫。大丈夫だから。君は、何も心配しないで」
先程と同じく、自分に言い聞かせるように呟きながら、少しずつその顔が近付いてくる。同じ人間とは思えない程、繊細な美貌。普段の彼とは違い、少しだけ急いたような声音と表情、そして行動。
ほんのりと赤く頬が染まったその様子さえ美麗であり、アウレリアはただ、近付いてくるその美しい容貌に、ゆっくりと目を伏せた。
ちゅ、と小さく音がする。軽く、触れるだけの口付け。甘く、穏やかな接触に、胸がこそばゆいような心地になりつつ、目を開けば、ディートリヒがじっとこちらを見ている。切ないような、苦しいような、そんな視線。
「嫌じゃなかった?」と、彼がおそるおそる訊ねるのに、アウレリアは「ええ」と言って頷く。嫌だなんて、思うはずがない。嬉しくて、ほんの少し物足りないとさえ思ったのだから。
ディートリヒはほっとしたように柔らかい笑みを浮かべると、「良かった」と囁くように呟いた。本当に、アウレリアの気持ちを考えてくれているのだと信じるしかない程、安堵した表情。
けれど、すぐにその表情がもどかしげなそれに替わる。頬に触れたままの手が、アウレリアの耳元を擽り、その親指がするりと、唇を撫でた。
「……もう少し、良いかな? もう少しだけ、キスしたい」
零れるような呟きと共に、向けられた視線が切実で。アウレリアはほんの少し躊躇うも、「……私も」と小さく言葉を返す。物足りないと思ったのは、自分も一緒だと、そう伝わるように。
ディートリヒは嬉しそうにその目をとろりと細める。「良かった」と言う彼の声には、隠しきれない程の喜色が滲んでいた。
「じゃあ、もう少しだけ。……もう少し。もう少し、深くしても……」
自分を戒めるように言いながら、彼の綺麗な顔が再び近付いてくる。ゆっくりと目を伏せると同時に、触れる唇の感触。先程と同じように甘いそれは、しかし先程よりも長く触れていて。かと思えば、何度もそれが繰り返された。何度も何度も、まるで啄むように。
合間に何度も名前を呼ばれ、膝の上に置いていた手をぎゅっと握りしめる。胸の奥が擽ったいような不思議な感覚に戸惑っていると、ぺろりと軽く、唇を舐められた気がした。驚き、僅かに目を開けると同時に、唇もまた開いた。唇も、その奥にある歯列も。
一瞬のことだった。
「……っ?」
開いた唇の間から入り込んだ彼の舌が、アウレリアのそれに絡む。驚いて後ろに頭を引こうとし、しかし彼の手が後頭部へと回ってそれを防いだ。ぐっと彼の身体が近くなり、アウレリアは縋るように彼の胸元の服を掴む。
口内の全てを探るように、歯列を、そして口蓋を擽られ、アウレリアはぎゅっと目を閉じ、掴んでいたディートリヒの服を握り込んだ。今まで感じたことのない、背筋を滑るような感覚に戸惑いながら、ただ必死にそれを受け止めて。
どのくらいそうしていたのか、時間の感覚さえも曖昧になった頃、ディートリヒの唇が離れた。彼の手が抑えていた後頭部も解放されたのを感じる。深く息を吸い、そして吐き出し、何度も肩で息をした。
初めての甘い触れ合いが心地よく、離れてしまった感覚が少し淋しくて。ゆっくりと目を開いたアウレリアは、視界に入った彼のその美しい容貌に、驚いてしまった。
透けるような白い肌は、その目許が仄かに、熟れたように赤く、鮮やかで。僅かに荒い呼吸を繰り返す彼は、その口許を片手で覆って、じっとこちらを見ていた。ただただ物足りなそうに、苦しそうに、蜜のように甘くとろけた赤い目で。
「……これで、信じてもらえた?」
いつもの優しく穏やかな雰囲気を消し去った彼は、切羽詰まったように声を掠れさせながら、そう囁く。アウレリアは何も言えないまま、ただ頷くしかなかった。本当に、彼は自分を求めてくれていたのだと、そう信じるしかなかった。
だって。アウレリアを怖がらせないようにと、必死に感情を抑えたその美しい赤の視線には。
獲物を前にした獣のような、ぎらついた欲が見え隠れしている気がしたから。
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