43-1(アウレリア)
「……これで、信じてもらえた?」
吐息に混ざる、溶けそうなほどに甘い声。ゆっくりと目を開けば、すぐ目の前にある彼の顔が少しだけ遠ざかり、その表情が良く見える。
その白い頬を仄かに赤く染めたディートリヒは、いつもの余裕のある笑みを一切消して、切羽詰まったような顔で、その口許を手で覆っていた。
事の発端は何かと言えば、間違いなく、クラウスとの会話を彼に聞かれたことだろう。現在使っている私室へと戻るまで、いつも通りディートリヒは護衛をしてくれていたけれど。その表情は、笑みを浮かべていてもどこか固く、明らかに普通どおりを装っていたから。
(寝室で会ったら、まず謝らないといけませんね……)
彼が執務室へ入って来た時、自分はまだ、クラウスの言葉を否定してはいなかったから。何か誤解をさせてしまっているのかもしれない。
素直に、なぜあのような話になったのかを伝え、その上で、決して自分は、ディートリヒの影に宿る男神をクラウスの影に移動することに同意するつもりはなかったと、そう言わなければ。
そう決意し、アウレリアは自分の部屋から、彼と共に使っている寝室への扉を開いたのだけれど。
「そんなに心配しなくても。君ならクラウス卿の言葉に同意しないって分かってたから大丈夫だよ」
あっさりとそう告げられてしまい、アウレリアはベッドの端に座ったまま、ぱちぱちと瞬きをすることしか出来なかった。隣に腰かけたディートリヒは、思わずというように綺麗に笑っている。「それに、こうも思っているだろう?」と、彼は続けた。
「クラウス卿の言葉も一理ある。だから、たまには離れて眠るべきなんじゃないか。自分は一日くらい眠れなくても大丈夫だから、ってね」
「違う?」と首を傾げて訊ねられ、アウレリアは再び瞬きをした。本当に察しが良いだけなのだろうか。もしかしたら、こちらの思考を読まれていたりしないだろうか。
そんなことを思いながらまじまじと見つめていたら、彼は面白そうに笑って、「考えてることが全部顔に出てるよ」と呟いていた。
「君ならこう考えそうだなって思っただけだから。……でも、その提案は遠慮させてもらいたいな。俺は、君が傍にいないと眠れないから」
ふふ、と微笑みながら言われた言葉に、今度はアウレリアの方が首を傾げる。「男神様の声は……」と口を開けば、彼は軽く首を横に振った。「確かにもう、声は聞こえないんだけどね」と言いながら。
「ほら、一昨日の、君が禊でいなかった夜があるだろう? あの時、痛感したんだ。君が傍にいないと、横になることすら出来ないみたい。君が傍にいないと、本当に、すごく、……淋しくて」
赤い瞳が上目遣いにこちらを見て。ぽつり、と言われ、知らず固まる。心臓がぎゅっと掴まれたような感覚に陥り、自分でも驚きを隠せない。
「だから、離れて寝ようなんて言わないで欲しい」と、彼はその整った眉を下げる。自分よりも背も高く、細いながらも体格の良い成年男性を可愛いと思う日が来るとは。
「……私がいないと、淋しくて、眠れないんですか?」
思わず問えば、彼は「うん」と言ってこくりと頷く。まるで幼子のような仕種に、再び心臓が締め付けられるようだった。
「……でも、昨日、あまりよく眠れていなかったでしょう? だから、たまには離れて眠った方が良いのかもしれないと思ったのだけど……」
あまりの可愛さに、反射的に赤くなった顔を軽く逸らしながら、そう訊ねる。アウレリアとて、別に離れたくてそう言っているわけではないのだ。ただただ、彼のことが心配で、だからこそ離れるべきかと考えただけのこと。
ディートリヒは少しだけ間を空けると、「それなんだけど……」と、小さく口を開いた。
「君にとっては、あんまり気分の良い話じゃないかもしれないけど、……聞いてくれる?」
おそるおそる、という様に発された言葉に、アウレリアは不思議に思いながら彼と視線を合わせる。「もちろん、ちゃんと聞きますよ」と答えれば、赤い宝石のような瞳が、少しだけ戸惑うように揺れていた。
「こういうこと、面と向かって言うのはどうかと思ったんだけど、ね。君の心配事を増やしたくないから、正直に言おうと思って。……本当、引かないで聞いて欲しいんだけど……」
やけに躊躇いがちに言葉を重ねると、彼は目を瞑って深く息を吐き、再びこちらを見た。
「俺も男だから。好きな人と一緒にベッドに横になっていると、その、……興奮して、眠れなくなるっていうだけ」
「だから、気にしないで」と、彼は僅かにその目許を赤らめて言うけれど。
アウレリアは、何を言われたのか上手く理解できず。しばし固まって、数度瞬きを繰り返した。つまり。
「……ディートリヒは、私に欲情して、眠れなくなってしまった、ということ?」
「……その通りだけど、そう言われると少し恥ずかしいかな」
真顔で問いかけたアウレリアに、ディートリヒは思わずというように目を逸らし、苦笑する。言葉の通り、恥ずかしそうに口許を隠した彼の頬が先程よりも赤くて、アウレリアは自分の発した言葉を反芻し、つられたように顔を赤くした。せっかく彼が遠回しに言ってくれたというのに。
「ご、めんなさい」と慌てて頬を押さえて謝るアウレリアに、ディートリヒは少しだけ楽しそうな表情になって笑っていた。「まあ、その通りだから」と、言いながら。
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