後編
「申し上げることは以上にございます。衛兵の皆様、王太子殿下に無礼を働き、あまつさえ打擲した大逆罪の下手人はここに居ります。抵抗はいたしません。拘束なさいませ」
キャロラインが手を挙げたのは、ただ単に降伏の意思を示したものだった。
彼女の言葉に、数名の衛兵が我に返ったように動き出す。だがその動きは高等魔法学園の警備を担う者達としては実に緩慢だ。
その上――
「待てっ!」
床に座り込んだままの王太子が声を上げ、衛兵達はまた止まった。
今度は何を言い出すのか。キャロラインは手を挙げたままジトッと王太子を睨んだが、彼はそれを意に介することはなく、ヨロヨロと立ち上がった。
「キャロライン・ケイフォード嬢は俺を打擲してなどいない! これは……俺が、俺の顔でキャロライン嬢の拳を打擲したのだ!」
お前は何を言っているんだ。
その場の全員の心が一つになった。
顔で拳を打擲するなど聞いたことがないし、よしんばそれが認められたとしても王太子が真っ当な理由もなくご令嬢を打擲するなどあってはならないことだ。
キャロラインは溜め息を吐きながら手を下ろすと、何事か言おうとしたが、それは別の声によって遮られた。
「王太子殿下」
ずっと黙り込んでいたアレクシアの参戦である。
「婚約破棄の件、承知いたしました。アトリー家の方からもすぐに正式に手続きさせていただきましょう。ですが――」
彼女は静かにそう切り出すと、淡々とそう言い、そしてキャロラインの方へと視線を送った。
「殿下がキャロルと――キャロライン・ケイフォード嬢とは婚約しない、という条件をつけさせていただきます」
「なっ!?」
アトリー公爵家は4代前の国王の弟が興した家である。
歴史こそ浅いが金融事業に裏打ちされた強大な経済力と農業振興事業による民衆からの支持は議会への影響力に直結しており、王家も無視し難い政治力を持つ。
それに、衆人環視の中でありもしない事実をでっち上げて婚約破棄を突き付け、アレクシアの品位を貶めようとしたのは間違いなく王太子の瑕疵であり、本来この場で優位なのは寧ろアレクシアの方であった。これまで彼女が黙り込んでいたのは、王太子の愚行とキャロラインの蛮行に面喰っていたからに過ぎない。
「な、何故だっ!」
「何故も何も、当然のことにございます。殿下は公衆の面前で私に冤罪を掛け、私と、アトリー家の名誉を傷付けました。よって此度の婚約破棄に関しましては殿下の有責であることが明らかであり、こちらから条件を申し上げることくらいはお許し願いたく存じますが」
「し、しかし、それでキャロルとの婚約を……!」
「……この際ですので、はっきり申し上げさせていただきたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」
キャロラインに勝るとも劣らないアレクシアの威圧感に、王太子は怯み、思わず「申してみよ」と弱々しく返した。最早この場の誰もが王太子を敬ってなどいなかった。
アレクシアは一瞬キャロラインに視線をやり、「それでは」と短く前置きして息を吸い込む。
「キャロライン・ケイフォード嬢は卒業後、我がアトリー家に使用人として雇用し、私、アレクシア・アトリーの侍女となることを内定しております。そして何より――」
そこで一旦言葉を切ったアレクシアは、常の彼女と同じ優雅な足取りでキャロラインに歩み寄り、その手を取った。
「私は、彼女を愛しておりますから」
キャロラインは絶句した。
必ずこの凛としつつも愛らしい少女の愛に報いなければならないと決意した。
キャロラインは今や王太子を打擲した大罪人である。
王太子本人は訳の分からないことを言って赦そうとしているが、王族を打擲し、説教を垂れてきた。
しかし、アレクシアの愛情に応えたいと思ってしまった。
「アレクシア様……」
だからこそ、キャロラインはその手を払おうとした。公爵令嬢が大逆罪の下手人の手を、それも王太子の頬を捉えた手を握っていてはいけない。
だが、アレクシアの手はしっかりと彼女の手を握っていて振り払えなかった。
「キャロルが罪人だというのならば、主人として私が責任を負いましょう。ですが、行動は兎も角として、彼女の言はれっきとした諌言であると、私からは申し上げざるを得ません」
自己弁護ともとれるが、この場では誰もがアレクシアの言葉に内心賛同した。王太子すらもそうだった。
キャロラインも流石にこの期に及んで反論しようなどとは思わなかった。
強いて言うならば――
「アレクシア嬢。失礼ながら、姉はまだ貴家の使用人になったわけではありません。内定こそいただいておりますが、今はまだただのケイフォード子爵令嬢にございます」
キャロラインが内心に秘めたことを、コリンは事も無げに口にした。
アレクシアがじろっとコリンを睨み、偶々彼の背後に居た幾人かの貴族子女が怯んだ様子を見せる。しかし肝心のコリン本人は全く怯む気配も見せなかった。
「あら、それは失礼しました。ですが、それでいえばケイフォード家はつい先程キャロル本人から縁切りされましたでしょう?」
「私を始め、ケイフォード家はそれを承服しておりません故、キャロライン・ケイフォードは私の姉にございます」
ここぞとばかりにいかにも悪役令嬢といった雰囲気で話すアレクシアと、全く動じず寧ろ力強く話すコリン。
何か別の戦いが始まってしまった、と全員が察した。
しかしこの戦いは一体どこに勝利条件が設定されているのだろうか。
それは、当事者であるコリンとアレクシアにもいまいち分かっていない。
ただ共通しているのは、両者とも相手をキャロラインと無関係な存在に――排除してしまいたいと考えていることだ。
この時になって、キャロラインは漸くこの戦いが自分の争奪戦であることに気付いた。しかし、同時にそれは全く無意味な戦いであることにも気付いた。
「待って、コリン。あなたの覚悟は受け止めました。ケイフォード家との縁切りは撤回します。もしも連座を申し付けられれば、その時はお父様にもお母様にも、勿論あなたにもご覚悟いただきましょう」
キャロラインが言うと、コリンは嬉しそうに微笑んだ。
彼女は一旦それを無視し、アレクシアにも向き直る。
「アレクシア様。弟も申しましたように、私のアレクシア様の侍女としての立場は、今はまだ内定であり、アトリー様の使用人ではないことは事実にございます。そして私は大逆を犯した罪人です。そのような者が、アトリー様の使用人になることは出来ません。尤も、その罪が成立した場合は、ですが……」
その場の全員の視線が、バーナード王太子へと突き刺さった。
誰にも敬われてはいないとはいえ、この場で彼女が罪人か否かを決定出来るのは王太子のみだ。そして先程、王太子は「自分の顔でキャロラインの手を打擲した」という訳の分からないことを主張した。
だが訳が分からないとしても、それは王太子の言。もし撤回しなければ、既にアレクシアとの婚約破棄という超弩級の不祥事に加え、更に「子爵令嬢に明確な理由もなく暴力を振るった」という不祥事が追加されることになる。しかし撤回すればキャロラインを大逆罪に問わざるを得ない。
彼は――
「いいや、成立せぬ! さっきも言ったであろう、俺がキャロ……キャロラインの拳を、俺の顔で打擲したのだ!」
撤回する筈がなかった。
既に修復不可能な不祥事を抱えているのだ。どう足掻いても廃嫡確定だ。今更不祥事がいくら増えたところで大差ない。それをこの場の誰よりも自覚している、今のバーナードは無敵である。
「それでは――」
アレクシアとコリンは再び向き直った。
その場の全員がそちらに注目し、王太子の存在は忘れ去られた。最早お前の出番は終わったと言わんばかりである。
しかし、その戦いが再開されることはなかった。
「一体何の騒ぎであるか」
会場の扉が開き、堂々と入って来た人物に、全員が臣下の礼をとる。
「アレクシア嬢。余が別室で控えている間に騒ぎが起きていると聞いて来てみたが、これは何事か?」
その人物――国王ブレンドン・ブレアは、皆と同じく臣下の礼をとるアレクシアに声を掛けた。
実のところ、彼はここに来るまでに側近から簡単に事情を説明されている。すぐにここに来られたのも、そもそもこの卒業パーティーの開始の挨拶をしたのが彼自身だからだ。今にして思えば、王太子がそんなパーティーの場でこんな喜劇を演じたのは迂遠とも言い難い自滅に等しかったといえよう。
アレクシアは臣下の礼をとったまま答える。
「事の起こりから説明させていただきますと、つい先程、私、アレクシア・アトリーは、バーナード王太子殿下から婚約破棄を言い渡されました。そして、代わりにキャロライン・ケイフォード嬢と婚約を結ぶと仰られたのですが、当のキャロライン嬢がそれに対してお断りと諌言を申し上げたのでございます」
国王は少し顎を撫でると、キャロラインに向き直る。
実を言うと国王はキャロラインのことを知っている。バーナードが子爵令嬢に随分と入れ込んでいると聞き、配下の者に調べさせたことがあったのである。
「キャロライン嬢とは君か」
「はい」
「バーナードとの婚約は子爵令嬢である君にとってはこの上ない栄誉であろう。それを拒否するのか?」
「王太子妃の座は、確かに身に余る光栄にございます。ですが、文字通り、身に余るのです。その座にはその座に相応しいお方が就くべきであり、それは私ではございません。私がその座に就いても、国と民の為にはなりません。ですので、そう申し上げさせていただきました」
「で、あるか」
頭を下げたままなのでキャロラインから国王の表情は窺えないが、その声色はなんとなく呆れを多分に含んでいるように思われた。
国王は続いて王太子に声を掛ける。
「バーナード。我が愚息よ。今の話、相違ないか」
「ございません。全て、私の非にございます」
王太子の、清々しい程にあっさりとした言葉と、憑き物が落ちたようにすっきりとした表情に、国王は思わず閉口してしまった。
ともすればアレクシアとの婚約を破棄し、あまつさえありもしない罪で断罪までしようとしていた彼はどこに行ってしまったのか。
国王の視線は再びキャロラインへと戻る。
「バーナードを打擲したと聞いたが」
「そ、それは、私がキャロラインの拳を……!」
「馬鹿者。顔で拳を殴るなどという話がどこにあるのだ」
「ですが、それでは彼女は……」
「キャロライン嬢。打擲に関しては不問とする。国と民の為に王子に諌言したのだ。それをどう責められよう。それに、バーナード。お前は廃嫡だ。代わりに弟のベンジャミンを王太子とする」
バーナードは俯いた。
廃嫡されたことに落ち込んだのではない。キャロラインの期待を裏切り、廃嫡に追い込まれた自分の行動を恥じたのだ。
一応在校生としてパーティーに参加していたものの、遠巻きに騒ぎを見ていたベンジャミン第二王子は、国王に一睨みされるとおずおずと国王の前に出てきて跪いた。彼の婚約者もそれに続く。
国王は溜め息を吐いた。
元々バーナードは、学業成績は人並であるし性格も猪突猛進なところがあるが、プレッシャーに強く、いかなる時にもその人並の実力を普段通りに発揮する才能を持つ、所謂「愛すべきバカ」ともいうべきタイプである。
一方で弟のベンジャミンは優れた学業成績と明晰な頭脳を持つが、何かにつけて自信がなく、日和見主義的な面が強い。誰かに引っ張ってもらわねば動かないような消極性も持ち合わせており、彼が支えるべき存在か、逆に彼を支える存在がなければその能力を発揮出来ないタイプだ。
なので国王はバーナードには次期国王として国を盛り上げさせ、ベンジャミンにはその屋台骨を支えさせようと構想していたのである。
しかしその構想は、バーナードが彼の想像を超えるバカだったことによって崩れ去ってしまった。かくなる上はベンジャミンの婚約者に頑張ってベンジャミンを引っ張ってもらうしかないだろう。忠実かつ気丈な侯爵令嬢を宛がっておいて良かったと、国王は過去の自身の采配に感謝した。
「以上である。あとは各方面との調整に入る故、余は城へ戻る。バーナード、ベンジャミン、お前達もだ」
最後に「パーティーを続けるが良い」とだけ言い残して、国王と新旧王太子達は退場したが、パーティーを続けられる空気でも状況でも到底なかった。
騒動の中心であったアレクシアとケイフォード姉弟は勿論、高位から下位まで、多くの貴族の子女達が実家へ事情を説明するために中座し、卒業パーティーは自然とお開きとなってしまったのである。
* * *
「そんなこともありましたわね」
婚約破棄劇から早3年。
21歳になったばかりのキャロラインは、アトリー家でアレクシアの侍女として元気に働いていた。
高等魔法学園を卒業した直後から、様々な貴族家からの婚約の申し込みが山のように来ていたのだが、未だに彼女の婚約者は決まらないままだった。
この国では貴族の婚姻には王家の許可が必要なのだが、その届出をすると何故か毎度相手方の不正や不祥事が明らかになり、許可が下りないのだ。
それが国王やアトリー公爵家による非常に厳しい調査の結果そうなっているのはキャロライン自身薄々気付いていたが、叩くと埃が出てくるような相手と結婚したくはないのでありがたいといえばありがたい。ただ本来は一子爵家の娘の婚姻に王家や公爵家がここまで本気で調査することはないので、これ自体が不平等そのものではないかと遠い目になっていた。
対するアレクシアの方はといえば、これまた婚約破棄直後から婚約の申し込みが殺到していたのだが、やはり彼女も一向に婚約者が決まらなかった。
寧ろ公爵としての仕事を引き継ぎ始めながら、熱心に何か特殊な魔法の研究をしているという。キャロラインにもその詳細は知らされず、ただこのままでは婚期を逃してしまうのではないかと心配していた。
「あれから新しい婚約者様もお決めにならないですが、このまま独身を貫かれるおつもりですか?」
婚約破棄の件の流れでつい出てきてしまったキャロラインの言葉に、アレクシアはカップをソーサーに置いて微笑んだ。
この日のキャロラインはアレクシアの侍女ではなく、ケイフォード子爵令嬢として彼女のお茶の相手をしていた。そう命じられた――というより、お願いされたからだ。
「いいえ、結婚はするつもりです」
「それでは……」
言いかけた時、茶会の給仕を務める女中が見慣れないものを持っていることに気付いた。
銀のトレイの上に載せられた、高級感のある白い小箱が2つ。
キャロラインがそちらに一瞬気を取られ、それが何であるかを思い出す前に、アレクシアはお茶を置いて立ち上がった。
「キャロル。キャロライン・ケイフォード様。私と、結婚していただけませんか」
「えっ」
キャロラインは面喰った。
彼女はアレクシアの侍女である。アレクシアの身の回りの世話をし、時には友人として茶会や夜会に連れ立った。
しかし、彼女と結婚しようなどとは考えたこともなかった。アレクシアは次期アトリー公爵として仕事の引継ぎを受け始めていたし、釣書も山と届いていたので、その中から野心のなさそうな高位貴族の次男か三男を選んで結婚するのだろうと想像していた。
「ま、待ってください。私は女で、アレクシア様も女性です」
「あら。我が国では同性婚は違法ではないし、貴族でも前例がありますわ?」
「そ、それは……」
キャロラインもこの国で同性婚が認められていることを知らないわけではない。平民の間ではそんなに珍しいことでもないらしく、実際に同性婚した使用人が彼女の同僚にも居る。
しかし、貴族は血を残さねばならないという都合上、どうしても同性婚を厭う傾向にある。それでもアレクシアも言うように前例がないわけではないのだが、それらはいずれも下位貴族の四男とか四女とか、政略的に価値の低い者同士か、もしくは変わり種の政略結婚だ。
後継者を産み育てなければならない長子で、しかも公爵家でなどあり得ない。
「アトリー家の世継ぎのことを心配してくれているのね?」
「ええ、まぁ……」
キャロラインが曖昧に返すと、アレクシアはクスッと微笑んだ。
「心配要りません。私か、あなたのどちらかが産めば良いのですから」
それは托卵というやつでは?
そう言いかけたキャロラインの唇に、アレクシアの細い指が押し当てられた。
「実は、学園の3年生の頃からこの4年間、ずっと研究していたのです。あなたと結婚する為に」
「な、何を、ですか?」
アレクシアは自身の白い手袋の指先に付着した薄桃色にそっと口付け、それから女中の持つトレイから片方の箱を手に取った。光の反射でよく見えなかったが、よく見るとその表面には金色で「キャロライン」と刻印が入れられている。
「女同士で、子を授かる魔法を。あなたの卒業研究も少し参考にさせてもらいましたのよ?」
怒涛の展開に当惑していたキャロラインは、漸くその箱の正体を思い出した。
アレクシアの手の中でゆっくりと開かれたその箱は、リングケースだ。
勿論その中には銀色に輝く指輪が鎮座していた。
「改めて言います。キャロライン・ケイフォード様。いいえ、キャロル。私と、結婚してください」
キャロラインは絶句した。
やはりこの愛らしくも立派な淑女となった次期公爵の愛に、何としても報いねばならないと思った。
キャロラインは子爵令嬢であり、前世の記憶を持った立派な大人である。
しかし、結婚に対する憧れと不安も人並みに抱えた、少女のような心の持ち主でもあった。
そんな彼女が結婚相手に求めるものは、愛情より安心感である。一時の恋であれば恋情だけで充分だろうが、結婚するとなれば傍に居て安心出来る相手の方が良い。
その点でいえばアレクシアを越える相手など想像すら出来ず、同性であろうとも、侍女として仕えてきた相手であろうとも、寧ろそうであるからこそ、答えは一つだった。
「はいっ、喜んで!」
学園の聖母と呼ばれた少女が、本当に母親になったのはそれから1年と数か月後のことである。
ありがとうございました。
ご意見・感想等いただけたらとても嬉しいです。
良いお年をお迎えください。




