第八話
見えない。聞こえない。
自分はどうなっただろうと、夏樹はぼんやりした意識で考える。
あの破片から千里をかばおうとして、リュックを盾代わりに掲げたのはいい。その後はどうしたのだろう。
――ひょっとして、自分はもう消えてしまったのではないか。
あの時、音はもう間近にいる千里のものくらいしか聞こえていなかった。
そしてあのとき、「白羽の矢」に染まりきらず、しかし被害を受けた葉たちが、あっという間に消えてしまったのも目にしている。
――中途半端に防いだのが、あだになったのか? でも、まともに浴びていたら、あの硬い葉たちのようになっていたか。
だとしたら、ここは消されてしまった者の世界……。
「――いえ、違うわ。あなたは消えてはいない。完全には、だけどね。だからこうしてまがりなりにもコンタクトがとれるようになった」
思考を断つ声が、夏樹の耳へかすかに届いた。
この主を夏樹は知っている。昨日失い、今日は先ほど声にて聞いた。
――会長?
「そうよ。ありがとうね、2人とも。よくここへ来てくれたわ」
「夏樹より私が後ってのが気に食いませんでしたが……なんとかですね」
千里の声だ。助けられたか、とほっとするも、会長は告げる。
「重ね重ね感謝するわ。でも事態は急を要する。お願いがあるの。
タブレット見たでしょう? あれに書いたように、二人には世界に伝えるのを手伝ってほしいの。ハピラジは……拒みの言葉だから」
「拒み……でも、すでにハピラジはそのネガキャンを禁じられてました。とても世界には」
「違うわ。世界に発信するんじゃない。文字通り、伝えてほしいのよ、目の前の世界に」
会長の言葉に、しばし沈黙する二人。ほどなく夏樹が「あ」とつぶやいた。
「世界って、そういうことか。あの落ちようとしていたピンク、白羽の矢……あれが会長のいう『世界』だったんですね」
「え? え? どういうことなの、夏樹」
千里の声が、説明を促してくる。
「前に言ったろ? あの白羽の矢は異世界のものかも、と。事実、その通りだったってことだ。
あの図体をしてこの世界に取りつき、染め上げようとするもの……あいつらこそ、タブレットにあった伝えるべき世界だったってわけ。
そしてハピラジの音楽は拒みの言葉。ああして異世界を砕き、散らして、追い返す手段に他ならない」
「ご明察よ、夏樹」と肯定する会長。
「ハピラジの音楽は古来、この世を塗り替えようと迫る世界に対する、拒絶のメッセージ。でも、それが今回はうまく伝わらなかった。
長い年月の果て、世界から彼らに音を伝えるべき『有毛細胞』が失われつつあったから」
「『有毛細胞』……確か音の振動を電気信号に変えて脳に伝える役目を持った細胞でしたっけ。いわばこの世界からあちらの世界に伝える機能が不全を起こして……」
そこまでいって、今度は千里が「あ」と声を漏らした。
「聞いているうちに難聴になっていくのは、耳の有毛細胞が失われていくこと。
けれどそれは壊れたんじゃなく、運ばれたんだ。この山のてっぺんに。
あれは倍率が低くても見えるほど長く、そして身を寄り添った有毛細胞たち。そしてそのメッセンジャーの役割を果たすにふさわしくなった、会長たちも同じように運ばれたんだ」
「――エクセレント。さすがの洞察力ね、千里。優秀な特派員2人に恵まれて、会長として鼻が高いわ」
久方ぶりの褒めに、ついこそばゆさも感じる夏樹たち。だが
「本当は拍手を贈りたいけど……ごめんね。身体を持たない私には、もうできないの」
2人は口をつぐんでしまう。それはつまり、3人が一堂に会することはもうあり得ない、ということだ。
「私たちで済ませられれば、それでよかった。できれば2人を巻き込みたくなかった。本当はさっき来た野村くんに務めてもらう予定だったわ。彼には、その資格があったの。
でも断られたわ。せっかく県大会に出られるのに、機会を失いたくないって。たとえ世界が助かっても、自分が五体満足でなかったら意味がない。
もしかなわないなら、世界がなくなっても構わない……とね。代わりにひとつ、頼みごとをしたけれど」
それほど部活に賭けていたのか……と夏樹はうなってしまうが、千里は気にしていないらしい。
「そこで、私たちにお鉢が回ってきた、というわけですね。けれど役者不足じゃありません?
日頃、モノマネしている私はともかく、夏樹なんか音痴っちですよ、音痴っち。足手まといは、いまからでも帰ってもらった方がよかないですか〜?」
「てめえ、張ったおすぞ」と普段なら返しただろうが、夏樹はしない。
おそらく自分を巻き込まないための方便。いざとなれば一人になっても新聞同好会の生き残りとして、記録を残してほしい……といったところか。
しかし
「うん、それ無理。千里も野村君に比べれば、音痴っちだから。夏樹の助けがなかったらダメダメよ。万に一つもないわ」
「そ、そんなあ……」
「ははは……」と、つい笑いがこぼれる。でも気は抜いていない。
こうして三人でやり取りして笑えるのも、これが最後なのだろうから。
「私のタブレットあるでしょ? あれに録音したものを肉声で少しフォローしてくれればいいわ。2人なら最後のひと押しになる。
でも2人には覚悟をしてほしいの」
「失敗したらあのピンクの像になるか、消えてしまうか……ということなら存じています。大丈夫ですよ」
「ううん、違う。それは……中途半端にここに残り、向こうへ行ってしまうこと。二人とも、今日までにもう、異世界に触れているでしょ? 『幸運』の名のもとに」
つい言葉の詰まる二人。夏樹は先ほど痛みの走った自分の腹を思い浮かべたし、千里は自分の目を思い浮かべたに違いない。
「あのとき、あなたたちの身体の中に、いまだ帰りきらない異世界の一部が残っている。あなたたちが自ら発する声ならば、彼らを追い出すことはできるでしょう……被害を受けた器官もろとも、ね
だから無理にとはいいたくないの。けれど、私はそれでも頼……」
「心配ご無用。やりますよ、私は」
千里の即答に、夏樹ははっと息を呑んだ。
おそらくうまくいったなら、彼女の眼帯をした目は永遠に光を失ってしまうだろうに。
「突然、みんなが消える……なんて事態より、少数で済んだ方がいいと思いますから。たとえそれが私であっても、みんなを助けられるならやすいものです」
――そうだった。こいつはガンギマリというかリアリストというか冷徹思考だったわ。
口では殊勝でも、自分が含まれるや言葉をひるがえすヤツはいっぱいいる。
だが、こいつは本物だ。本当に自分の犠牲で、他の人を救うつもりだ。
会長と千里の声が黙り込む。あとは夏樹の返事次第、とばかりに。
「はあ〜」と大きく息をついて、夏樹は言葉を継ぐ。
「まったく、下す評価はクレバーでよさそうだな、千里は。
会長、やりますよ。もとよりあなたの力になりたくて、動いてきたんだ。これが本懐を果たせる最後の機会なら、迷いません」
夏樹の言葉に、会長はしばし答えなかった。やがて「すん」と鼻を鳴らすような音が漏れる。声でつむいだ、鼻を鳴らす音。
もう会長は涙を流せず、鼻も鳴らせない。
だからこれは2人に告げる、最後の気持ち。
「――話が終われば、あなたたちは目を覚ます。その時には、もうすぐそこまで『世界』は来ているわ。
タブレットのボイスレコーダーを立ち上げて歌うのを忘れないで」
「「はい!」」
二人そろっての返事に、また会長は「すん」と声を出す。
「最後に話せてよかった。
私も一緒に歌うから。歌い出したら、もう私は私じゃなくなるから……これが3人でつくれる最後のニュース。
2人とも、ありがとう! 2人とも、さようなら……!」
あえて名前を呼ばず、2人をまったくの「同格」と認めた声を最後に。
夏樹の視界は、不意に明るくなっていく――。




