第四話
メモはまだ続いている。
『彼らのうちの何名かは、ハピラジが幸運をもたらすのは確かだ、と力説していたらしい。
ハピラジのメロディを口ずさむ者はいまや枚挙にいとまがないが、彼らはそのためにくじの当たりという小さなものから、すんでの事故の回避という大きなものまで、様々なことを経験したという。
息の長いおまじない。なんとも再現性に乏しく、記事にするにはうさんくさい内容だが、ここは私も本腰入れてハピラジに臨むとしよう。
夏樹と千里に任せっきりは心苦しいが、ネタを持っていって報いることにする。しばらくは内緒だ』
「俺たちを驚かすために、わざわざ学校休んでたのか、会長。なんか情熱のかけ方が違うっつうか……て、なんだよ千里」
気づくと、夏樹の顔を千里がむくれながら見据えている。
「夏樹、にやついてる……会長に名指しされてんもんね〜? へ〜? ほ〜?」
「ば、ばっか、おめえ! どうでもいいじゃん! というかお前も名前あがってんだろ!」
「気に入らない……夏樹よりあたしの方が後だなんて」
「は? そこ? 気にするとこ、そこ?」
ときどき度しがたいところを気にするな、女はと夏樹は思う。
そこからメモは空白が続くも、カーソルは下へ動かすことができる。
下キーに合わせてどんどんスクロールする白紙面。エンターを押し続けたか、あらかじめ書いてあったのを削除したのか。
ただもう動かないメモの端。おそらく先ほど、正気には見えなかった先輩が打っていただろう文字列が目に入る。
「2りともごめんねおねがいせかいにつたえてほしいのはぴらじh」
「『2人ともごめんね。お願い、世界に伝えて欲しいの。ハピラジh』……かな」
「世界って……スケールぶっとびすぎじゃない? そりゃ、ハピラジは全世界に発信されてるらしいけど、あたしたちただの弱小新聞同好会よ? コネなんかないし、よくて学校を賑わすくらいしか」
「新聞に弱小とかあるのか……? だがいずれにせよ、ハピラジをもっと調べないとな。俺たち、ちょっとばかしもたらされる幸運とやらをご都合主義に考えすぎてたかも」
「うん、当たりそうになったボールや車ばかりじゃない。人まで消える、と分かったらもうハッピーなんて口が裂けてもいえそうにないわ」
タブレットをしまい、二人は席を立って会計を済ませる。
「だが、どんな方向で伝えるにしても一筋縄でいきそうにないぜ? なにせ」
店先。二人が出かけたところで、駐車場をはさんだ歩道をランドセルを背負った小学生の一団が通り過ぎていく。
そのうちの一人がスマホを手に持っていた。そこから流れるのは、あのハピラジのテーマソング。
「ハピ、ハピ、ハピ、ハピ、ハッピータイム・レイディオ〜」
子供たちは歌う。競うように、比べるように。雑談をまじえながら、アカペラでなおも歌う子さえいた。
「あんな感じだしよ?」
ハピラジの幸運のウワサはもう、夏樹たちの学校にとどまらなくなっていたのだ。
西日が強さを増すなか、二人は会長の家へ急ぐ。
本当に会長がいなくなってしまったのか、心情的に納得したかったからだ。何度か活動の際にお邪魔させてもらったから、場所は分かっている。
家は留守だった。何度チャイムを押しても反応はなく、外をぐるりと回っても、窓から見える範囲で人の気配も皆無。
だが二人には、他にも気になっていることがあった。
「あれ、リフォーム?」
「……じゃないよなあ、あんな工事は知らない。まるで異世界のやり方だな」
「門外漢が適当なことを……」
会長の住む一軒家は、周囲の家々を超える長いとんがり帽子のような赤い屋根を持っている。そのてっぺんから突き立つアンテナが、多少離れていても目立つシンボルだった。
それが今は、カフラー王のピラミッドに残った石灰岩の部分みたく、アンテナから屋根の上部にかけて、薄いピンク色の塊と化していたんだ。
塗りなおすにしても普通は屋根だけに手をくわえるだけだろうに、ああしてアンテナまで染め上げる意味が分からない。
そうなればあれは工事の手ではなく、不可抗力的ななにか。そう、それこそ天から降ってきた何かをかぶってしまった、ととらえた方が自然だ。
「消えるものに、現れるもの……どう、夏樹特派員。元オカルト部的な視点からの意見は?」
「まだ情報がないからなんともだけど……もしかしたらあれ、『白羽の矢』かもしれない。タブレットを見るに会長はかなりハピラジ調査にお熱だったろう。そいつを何者かにかぎつけられた、とか。それこそ俺たちの目の前で会長だけを、姿も見せず器用にかっさらえる、厄介な手合いのやつさ。
だが、同じ目的の俺たちがさらわれずに済んだあたり、あの時点で会長だけが踏んでいたトリガーがあるのか……」
「ひとまず、あのテーマソングを口ずさむの、控えようと思うわ。流すこともね。あの時の会長をみるに、ある閾値を超えたとたん、強烈な暗示がかかってしまうのかも」
「俺たちはともかく、他のみんなはそう簡単に止めてくんないだろう。あのハマり具合に水を差そうものなら、俺たちのほうが村八分を食らいかねない」
「いちおう、伝手のある女子には遠回しに避けるよう呼びかけてみようかと思うけど、どうかしら?」
「女子の口は怖いからな。効果があればいいが、まかり間違ってその子たちに『白羽の矢』が立ったりすると申し訳ない気もする」
「でも、アクションしなきゃ、無制限に広がるわよ? きっと。ある日突然、みんなが消えた……なんて事態より、少数で済んだ方がいいと思う」
「あらやだ。この子、ガンギマリというかリアリストというか冷徹思考だわ……。結果によっちゃクレバーに評価が変わるかもだけど」
すでに時刻は下校時間いっぱい。二人は学校へ引き返し、各々の荷物を持って校門を出る。
タブレットは夏樹が持つことになり、引き続き取りこぼした情報がないか調べる役を仰せつかっている。
――会長。あなたは俺たちに、いや世界に何を伝えようとしたんです? 何をつかんだんです?
あのひらがなの文を打つ前に、いったん保存してしまったのか。戻る操作をしても、ひらがな文が消え去る程度しか進めない。
あの空白にはどのような文が、いやそもそも文字が打ち込まれていたかすら分からなかった。
そして、のんびり調べていられる時間は、おそらくない。
夏樹は帰り道に耳を凝らし、車の走行音、人の話し声、虫の音などあらゆる音を聞かんとした。家に帰ってからも同じだ。
タブレットに書いてあったメモ。その内容を信じるなら、これらの音が聞こえなくなってしまうときが、おそらく自分の身も会長のように、消えてしまうときだろうから。