第二話
「ハピ、ハピ、ハピ、ハピ、ハッピータイム・レイディオ〜」
「ハピ、ハピ、ハピ、ハピ、ハッピータイム・レイディオ〜」
流れる音声を真似して、千里がリピートして見せる。
はたで聞く夏樹としては、モノマネとしてなかなかのレベルに来ているとは思う。が、彼女はいまだ不満らしい。あの味わった奇跡のようなものが起きないから、と。
BGMの音量が落ち、続いてラジオのパーソナリティがトークを始めるも、もはや千里はスマホの音量そのものを下げてしまい、手近に置いたノートパソコンを開いて、文字を打ち始めてしまう。
奇跡を体験した彼女の関心は、ひたすら放送中の音楽へ向けられている。パーソナリティの存在は、もはや彼女にとってノイズだろう。
対する夏樹はスマホにイヤホンを差し、自分もハピラジ放送へチューニングする。
近々、ハピラジ特集記事を組もうという計画が、同好会の中であがっていた。普段から号外として学校内外の話を掲示させてもらっているが、ここまで広まっているものをまともに取り上げないのは新聞同好会の名折れだろう。
二人体制になってからはタイピングが早い千里が記事作り。その間、夏樹は情報まとめの役割分担をしていた。
夏樹がハピラジを聴き出したのは20日ほど前。連日流されるから、複数いるパーソナリティの名前も声も、だいたい把握している。
今回のパーソナリティは格別威勢がよく、滑舌も特によい印象だ。最初に聞いたとき、思わずボリュームを落としてしまったくらい。
だが、いくらも聴かないうちに夏樹は違和感を覚える。
声が少し遠いんだ。向こうが声をおさえた様子もないのに、ときどき急に音がしぼんだり、聞こえなくなったりする。
何度かスマホの音量を確かめ、イヤホンもつけたり外したりしてみた。しまいに片方だけイヤホンを挿し、片方の耳を現実に開放する。
結果、テンポよく叩かれる千里のタイピングの音さえ、気持ち曇っているように思えた。
――ちょっと耳を酷使したかなあ。
元より夏樹はイヤホンで曲を聴く機会が多い。最近は取材もかねてハピラジを聴くから、以前より耳へ叩き込まれる音の密度も時間も増えている。
ふっとイヤホンを机に転がすのと、千里がタンと音を立てて、手を止めたのはほぼ同時だった。
「ハピ、ハピ、ハピ、ハピ、ハッピータイム・レイディオ〜」
番組の中間にも、テーマソングは挿入される。千里もまたそれにならった。
「ハピ、ハピ、ハピ、ハピ、ハッピータイム・レイディオ〜」
奇跡、起きず。
がくりとうなだれるのも一瞬。がたんと椅子から立ち上がった千里は、部屋の隅の棚を出し抜けにあさり出す。やがてダーツの矢を数本にぎりながら
「なつき〜、ダーツしようぜ〜?」
「『おまえ、マトな』とかいうの、なしだからな」
またも企みを阻まれ、千里は二度目のうなだれ。夏樹はやれやれと肩をすくめる。
ほどなく3度目のテーマソング。放送終わりを告げてくる奴だ。
奇跡が証明されなきゃ、翌日の号外が「恐怖! 人間ダーツ台」になりかねない。
千里はなかばやけくそで、そいつをリピート。これで、この時間帯はハピラジのまとまった放送はない。
「で、どうするんだ、千里特派員。まだ他の部も活動時間だぞ」
イヤホンを抜き、スマホをしまいながら夏樹は耳をポンポンと叩く。
彼にはもう自分なりのプランはあるが、千里は自分をないがしろにされたと感じると、すぐむくれる。ゆえに気をつかってやった。
「む〜」とうなりながら、千里は窓へ寄って外を見やる。
もと視聴覚室は3階。体育館からは外れた方角を見据えるから、眺めはそれほど悪くない。
深布中学校のある一帯は上から見ると、キロ単位の大きな中州のごとき地形。どこへ向かおうとも、いったん橋を渡る必要がある。
特に校舎の西口は、出ると車が二台、かろうじて通れる小道をはさんですぐ数メートル幅の川。そこにかかる橋と行き来する人や自転車の姿が見えた。
夏樹としては、すぐにも外へ取材に出かけたかったが、外を見やる千里がいささか固まる。その後、こちらを見ながら窓外へあごをしゃくってくる。
夏樹も窓へ寄ってみて、すぐ言わんとしていることを察した。
橋の上の歩道を、歩いていく長いポニーテールの女子。女子にしては肩幅の広いその後ろ姿を、二人はよく知っている。
ここしばらく休んでいる、新聞同好会所属、その会長が制服姿でふらついていたんだ。
すぐに校舎を出た二人は、橋向こうで会長に追いつく。
どのような事情があるにつれ、ハピラジの所見について、ひとつ尋ねてみようと思ったんだ。
だが近くまで寄った二人は、いささか気圧される。
会長は手にタブレットを持っていた。
12インチのキーボード一体2in1タイプ。そこからは大音量でハピラジのテーマソングが流れていたんだ。
ただ放送を拾っているんじゃない。エンドレスだ。
テーマソングが何度も何度も繰り返され、会長もそれらをしきりに繰り返している。
「ハピ、ハピ、ハピ、ハピ、ハッピータイム・レイディオ〜・ハピ、ハピ、ハピ、ハピ、ハッピータイム・レイディオ〜。ハピ・ハピ……」
陶器のように整った横顔。その色はどこか青ざめ、焦りを感じさせる。
それこそ血の通わない機械を思わせ、近づいてきた二人を一顧だにせず、会長は口ずさみ続けていた。
――いくら幸運を呼びたいからといって、やり過ぎじゃないか? まさか学校を休んでまで、のめり込んでいたのか?
二人は顔を見合わせ、やや及び腰ながらも会長へ声をかける。
反応はない。二人はもう少し声を強め、それでもダメだったところで、更に声を張り上げる。
テーマソングを完全に潰せるほど、大声は出したはずだ。なのに会長は、こちらを振り返りもしない。千鳥足もおさまらない。
けれど歌いながら、ふらつきながら。会長の手はタブレットを支えながら、そのキーボードを打ち始めていた。
そうとう急いでいるのか、変換を介さずにひたすらひらがなの文字が増えていくさまに、夏樹も千里も若干ひいてしまう。
――これ、なんかマズイかも。
目でそう訴えてきた千里に、夏樹はスマホを取り出した。
録画、録音の準備。おふざけか本気か、あとで問いただすのに役立つはずだ。
けれども、その操作を終える直前。
先ほどまでうるさく耳を打っていた、ハピラジのテーマソングがぴたりと止んだ。
からんと、視界の端でタブレットが音を立てつつ、地面ではねた。
それに続く、千里の引きつった悲鳴。
顔をあげた夏樹もまた、息をのんだ。
先ほどまで前を歩き、テーマソングを口ずさんでいた会長。
その姿が、煙か何かのように、ぱっと消えてしまっていたのだから。