プロローグ
死んだ、とその時は思った。
梅雨が明けるや、押し寄せてきた暖気のもと、熱帯夜の様相を呈し始めた夜の街。そこにアイス求めてコンビニ向かう子供がいても、おかしくないじゃないか?
夏樹もその一人だった。夕飯食べて、なお小腹が空いたあと、家を出てそばにある国道くんだりまで足を伸ばしたんだ。
最近、ここの街並みの入れ替わりは激しい。十字路に面する向かいの本屋はペットショップに姿を変え、用水路をはさんで広がる畑は、いまや新しくできたラーメン屋とその駐車場に占拠されてしまっている。
夜中まで営業しているお店で、ほど近い夏樹の家まで、ときおり特製スープの香りが流れてくる。唐辛子多めのどぎつい臭いで、夏樹本人は好きではなかった。
そのラーメン屋とは反対方向、車道をはさんで向こう側にお目当てのコンビニがある。
だが横断歩道は遠い。素直に従えば数十メートルの遠回りで、余計な店たちの前を通らなくてはならなかった。
だから車道を突っ切る。何も珍しくなく、他の人もやっているし夏樹自身も昔からやっていた。
右見て、左見て、また右を見て。車の影が見えないのを確かめ、歩道から一気に、とととっと対向車線ごと横切ろうとしたんだ。
その対向車線で。
にわかに甲高いクラクションが鳴らされる。顔を向けると、もう何メートルも離れていない道路の先から車が突っ込んできていたんだ。
黒いセダンで、ライトをつけていない。夜の闇に溶け込んで、奇襲を仕掛けてきたかのようだ。
退くにも進むにも、歩きの身にはもう遅い。
死んだ、と夏樹は思った。
が、いずれも違う。
そのセダンは、すっと夏樹をすり抜けてしまったんだ。
正面衝突のコース。なのに夏樹には痛みはおろか、車体に触れた感触、タイヤのこすれ、排気ガスの香り……それらをみじんも残さず、車は水か風のようにすっと消えていった。
振り返る。やはりそこには、遠ざかるバックライトのひとつも見えない。
ただ夏の気配に浮かされ、うだる空気がとどまるばかり。立ち尽くすだけで、汗が顔ににじんでくる。
そこへわずか遅れて。
「ハピ、ハピ、ハピ、ハピ……」
夏樹と道路を囲う店、家々、そこにある駐車場の一角から、いままさに発進しようとするスポーツカー。
その開け放たれた窓の向こうから、同じ声たちがこだまする。
「ハッピータイム・レイディオ〜」
夏樹が、いやすでにこの街に住む誰もが知るだろう、ラジオ放送のオープニングがあたりを包み込んでいた。