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第二話

 元禄十年(1697年)四月のある日、江戸の紀州藩邸では貴人を迎えるため、大わらわになっていた。時の将軍、徳川綱吉が紀州藩邸に遊びに来るという。

 この将軍は、腰が軽く、気に入った家臣の屋敷などに城を抜け出し遊びに行く。将軍は気分が変わって楽しいのだろうが迎える家臣はたまったものじゃない。

 屋敷の主人は将軍が屋敷に来ることを栄誉として捉えている。実際、将軍が来た人物は幕府にとっても重要視されるし出世レースにも影響する。


 しかし屋敷の者にとっては、そんなこと関係ない。完璧に準備をして当たり前、何か失態があろうものなら、物理的に首が飛ぶ。

 彼ら屋敷の使用人にとって将軍が来たという評判を得られるより来ないでくれた方が百倍ありがたいだろう。

 去年の元服でのお目見えはさすがに屋敷では行わなかったのでこんな事にはならなかった。江戸城にて兄上ともども将軍綱吉に拝謁したのだ。だから俺がこれの状況に陥るのは初めてだ。


 問題の将軍綱吉は、そういった事情をまるっきり気にしていない。生まれながらにして貴人である彼にとって周りの者が自分の意志のために動くことは当然のことなのだ。


 さて、ここで部外者のように思いをはせている俺は実際に部外者だった。今回の要件は別にあって、俺は関係ない。三番目の兄上が領地を拝領し支藩を設立することになったのだ。

 そこで何故か江戸城へ呼び立てるでもなく、将軍が紀州藩邸に来ることになってしまった。どう考えても、将軍の気まぐれだ。毎度毎度、親藩の子息が支藩を設立するのに将軍が屋敷へ訪れるなんて有りえない。そもそも、将軍が城を出る事すら本来はあり得ないのだ。本人は気ままに移動と思っているのだろうが、番方衆は警備に余念はないし、本人は実務ができるわけでもないので、多忙な老中達も予定を合わせて訪問している。形式を整えて、それこそ大名行列のように皆を引き連れて練り歩くのだから、将軍の思い付きなど迷惑極まりないだろう。


 そんな状況で俺は、将軍がお渡りになる、この慌ただしい屋敷において何をするでもない。何か手伝わせても貰えない。むしろ控えの間でおとなしくしていろとの江戸家老からの御命令だ。頭ごなしの命令にちょっとした反抗の気持ちが沸いたが将軍が来るこの日に何かしでかすほど子供でもないので、言われた通り大人しくしている。まだ将軍が到着もしていないのに、既にこの間にて隠れこもっている。一体いつまでここに居なければならぬのか。気が重い。



 少し居眠りをしてしまっていたようだ。周りはまだ明るいのでそんなに時間は経っていないだろう。しかし周囲の喧騒は落ち着いている。無事に将軍綱吉は屋敷に到着したようだ。

 少し起きるのが早かったかな。もう少し眠っていれば退屈もせずに済んだであろうに。

 もうひと眠りしようかと微睡んでいると突然スパーンと良い音を立てて控えの間の障子戸が開いた。

 驚いて飛び起きるように姿勢を正すと、空いた障子戸の先を見る。

 屋敷の人間ではなさそうだ。相当に身なりが良い。幕府の要職にある方のようだが、寝ぼけ眼なうえ逆光で誰だかよくわからない。


「おやおや、このような晴れの場に居眠りですかな」

「申し訳ございませぬ。一日この場にて隠れていろとの命令で息をひそめておりました」

「それはいけない。眠気覚ましに少しばかり刺激が必要そうですな」


 少しずつ覚醒し始めた俺の頭がこの人は誰か推理し始める。声を聴いた事が有るので、去年元服で城に登った際に会った方であろう。徳川一門にこのように話しかけられるのは、幕府最高権力者の老中の誰かで間違いないはずだが……。


「これは、大久保様ではございませぬか。このような控えの間にいかがなされましたか?」

「さよう。老中の大久保忠朝である。覚えておいででしたかな。それより貴君はなぜここに?」


 それは俺のセリフのような気もするが。譜代大名はもとより御三家の当主ですら、『その方』と呼べるほどの権威を持つ老中。幕府において将軍の次に位置する最高権力者だ。実情では将軍が政治を行うことは稀だから、幕府の行政機関のトップといえる。そのような方が、紀州藩邸の控えの間に、ふらっとと立ち寄るなんてあり得ない。


「江戸家老の命にて、邪魔にならぬよう、この間にて大人しくしておれとのことでしたので」

「それはいかんな。貴君も光貞殿のご子息。頼職殿(三男の長七)が領地を拝領するのに貴君は何も無しではよくない。兄弟に差がつくのはお家騒動の原因になりかねぬ。さあさ、お立ちあれ」


 なんとも芝居がかった言い回しだが、老中相手に断るなんて選択肢は俺にはない。むしろ持っている奴がいるなら会ってみたいものだ。いや、いるな将軍だ。だが将軍になんて会いたくない。面倒事の匂いしかしない。

 俺は考えを悟られぬよう表情をそれらしいものにし、立ち上がると着物の皺を手で伸ばした。ささやかな抵抗のような準備を終えて大久保殿へ目礼する。


「さあ、皆のもとへ行きますかな」

 老中の大久保殿は、さも当然とでもいうように目当ての俺を引き連れ謁見の間へと足を運ぶのだった。一体どこからどこまで計画の通りだったのやら。また俺まで将軍に会う羽目になるとは。

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処女作ですので皆様の反応で一喜一憂しながらモチベーションにして書いています。

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