悪役令嬢の最後の願いに、元婚約者は時計を巻き戻したいと切に願う。【加筆修正版】
「最後に、夢を見させて下さいませんか」
エリカ・ハーレット侯爵令嬢は、元婚約者のキイス・ルガウ公爵令息から目を伏せた。
美しい二人を隠す学園の木立が、一陣の風に揺れる。
キイスの視線がエリカの体を這う。
「……だが……」
続いた沈黙に、エリカは不安そうに体を掻き抱いた。制服に隠れるふくよかな胸が強調される。
ゴクリとキイスの喉が鳴った。
顔を上げたエリカの目から涙が零れる。
「お願いします」
キイスは僅かに目を反らし首をふる。
「君は辺境伯に嫁ぐ身だ」
エリカは辺境伯の後妻になる。
辺境伯に強く望まれ、エリカとキイスの婚約は破棄された。
──表向きは。
エリカはキイスから見限られたのだ。
キイスの婚約者の席には、エリカに嫌がらせを受けていたミレー・バルマ男爵令嬢が座る予定だ。
だから、エリカが願いを叶えて貰える余地など、本来はない。
「もう生きている意味を見いだせませんの」
キイスが瞳を揺らした。
辺境伯の希望という形で話を進めたのは、キイスなりの温情もあった。
ただ、エリカが辺境伯の婚約を素直に受け入れたことは、キイスを更に失望させた。
身分が高く見目がよければ誰でもいい。ミレーの言う通りだった。
だからエリカの言葉に、心が弾んだ。
「生きていく希望が欲しいのです」
絞り出すような声に、キイスの視線が豊満な胸に向く。
いずれあわよくば、とは思っていた。
だから辺境伯を選んだ。
「だが……」
令嬢には清らかさが求められる。
エリカが強い眼差しをキイスに向けた。
「辺境伯様から別荘の使用許可も得ております」
あの辺境伯ならばあり得る話だった。
「そこまでの覚悟があるなら」
キイスは、緩みそうになる表情を引き締めて、頷いた。
エリカが花開くように笑った。
「キイス」
掛けられた声に、二人の肩がビクリと揺れる。
「何だ。アルフレッドか」
振り向いたキイスが、ホッと息をつく。
エリカは、目をそらすようにそっと目を伏せた。
声を掛けてきたのは、アルフレッド・ヤハウェイ侯爵令息。
キイスといつも一緒にいる、親友だ。
エリカがキイスの婚約者だったときにも、キイスはエリカといるよりもアルフレッドと一緒にいる時間の方が多いくらいだった。
「見つかるとまずいだろう? 行こう」
アルフレッドの視線が、エリカに刺さる。
エリカは唇を噛んだ。
流石に誰かにバレてしまうと、まずいのはわかっている。
エリカが視線を送ると、キイスが頷く。
「アルフレッドは、口が堅いから大丈夫だ」
「ああ。心配は不要だ。さあ、キイス行こう」
頷いてはいたが、急かすアルフレッドの態度は、好意的には感じられなかった。
エリカは不安げな瞳で二人を見送る。
エリカの願いは、アルフレッドによって壊されてしまうかもしれない。
婚約者だった時にも、エリカはアルフレッドにあまり好かれている気はしていなかったから、余計にそう感じるのかもしれない。
エリカは祈るように目を閉じた。
*
「な、何故、辺境伯が?」
別荘では、辺境伯が妖艶な笑みでキイスを迎えた。
戸惑うキイスを、洗練された仕草でエスコートする。
「君が受けてくれるなんて、夢のようだよ」
後ろを歩くエリカが大きく頷いた。
「夢のようですわ!」
エリカは腐女子だった。
期待に満ちた瞳は、キラキラと輝いている。
エリカはキイスの顔にだけは満足していた。
だが、今回の言いがかりによる不当な婚約破棄に、長年の不満が爆発した。
だから、妄想を実現させたくなった。
エリカも辺境伯の噂は当然知っていた。
そして、二人の協定はあっさり結ばれた。
怯えるキイスは、辺境伯の鍛えられた腕から抜け出せない。
「忘れられない夜にするからね」
辺境伯がキイスに囁く。
エリカの願いは、辺境伯の願いと同じだ。
「さあ、どうぞ」
開かれた客間のドアに、まだ抵抗を見せるキイスの足が押し込まれる。
部屋に入ったキイスが、目を見開き呆然とする。
「どうして」
一体どんな趣向が凝らしてあるのか、ワクワクしながらエリカが部屋の中を覗き込む。
エリカの目がベッドの上で止まる。
「ま……さか」
驚くエリカに、辺境伯の笑みが深くなる。
「どうかな? エリカ嬢が気に入ってくれると思ったんだよ」
「……理想、そのものですわ!」
辺境伯を見上げるエリカの頬は紅潮している。
「う、嘘だろう!?」
キイスが力なく喚く。
キイスをベッドにエスコートしながら、辺境伯が首を振る。
「私にそういう噂があることは知っているが、単に斡旋しているだけなんだよ」
「嘘だろう?! 斡旋って何だ! どういうことだ!」
キイスが喉の奥から絞り出す。
「私の愛する婚約者が願うものだから、叶えたいと思ったんだ。そしたら利害が一致してね」
振り返った辺境伯の言葉は、期待に満ち満ちたエリカには、届いていない。
辺境伯の手から、キイスが離れる。
「嘘だ!」
キイスが願うように叫ぶ。
「ええ、嘘みたいです。でも、嘘ではありませんわ!」
エリカは、一人夢見心地だ。
目の前には、アルフレッドに抱きしめられたキイスがいる。
――理想の、カップルだ。
腐女子であるエリカが、いつも一緒に居る二人を前にして、妄想をしないわけがない。
完