前編~南地矢手村へ~
伊武受雷と真美が訪れた南地矢手村、旅館での楽しいひととき。
やがて起こる怪事件の前。
大作はかくれんぼをしていた。
(誰にも見つからないよう・・・そうだ!)
彼は家の裏に土蔵があったのに気が付く。
そこは、去年祖父が亡くなったのを機に、造り酒屋を閉じ、酒蔵の荷物を集めた物置であった。
大作は建付けの悪い、固い木造の扉を開け中に入る。
(あった!)
隠れるのには、おあつらえむけの大きな甕があった。
大作は、小さな身体を折りたたみ、その中へと入り、木の蓋をかける。
(へへへ、これで良し)
ぐらっ。
ぐらっ、ぐらっと地が揺れる。
地震だ。
暗闇の中、揺れる甕、大助は恐怖で震える。
(やっぱり、出よう!)
そう思った瞬間だった。
ドン。
何かが頭上に落ちる音がした。
ぐっと蓋を押す。
動かない。
・・・・・・。
・・・・・・。
動かない。
伊武受雷は、真美から誘いを受けた。
「へっ、高級旅館に泊まりに行こうって・・・俺と?」
「そうっ!友達の晶子の旅館がリニューアルして、モニターを依頼されたの、しかもタダなのよ!これがっ!」
真美は目を輝かせて言った。
(おい、おい、俺たちは、まだ付き合ってもいないんだぜ、なんて大胆な・・・)
「それがね、男女ペアじゃないと駄目なんだって・・・別に伊武さんじゃなくても・・・いいんだけど」
(見透かされている)
しかも受雷は、でへへと自分の鼻の下が伸びきっていることに気がついた。
「そっか・・・じゃ、仕方ないか・・・俺で良ければ」
「やった!でも、伊武さんあくまでもカップルのフリでね」
「了解」
受雷はフリスクを頬張ると、ブラックコーヒーで流し込んだ。
しなびた温泉地である南地矢手村の南矢温泉郷、周辺の旅館やホテルは10にも満たないが、あちこちから湯けむりが漂う、知る人ぞ知る秘湯といった趣きであった。
お互いの休み(最も受雷の探偵事務所は、閑古鳥が鳴いて常にフリーだったが)を合わせ、週末にこの地に訪れた。
とりわけ晶子の旦那が経営する待月旅館は、どの宿泊施設よりも大きく格調高く、敷居が高いなと思わせる佇まいであった。
「すごい立派な」
「だね」
受雷と真美は、旅館の前でその豪華さに圧倒された。
「あっ、真美~!」
手を振りながら駆けて来る女性がいる晶子だ。
着物がよく似合い、笑顔が素敵な若女将だった。
2人は駆け寄ると手を取り合って懐かしむ。
「久しぶり~」
「晶子の結婚式以来ね!すっかり若女将しちゃって!」
「ふふふ、カッコいいっしょ・・・あっ、そちらの方が・・・ふーん」
晶子の含みのある笑みに、真美は途端に顔が真赤になる。
「?」
受雷は訝し気に真美を見た。
ぶんぶんと手を振る彼女。
「ほらっ!晶子、案内してよ。さっ、さっ!」
真美は晶子の背中を押し、旅館へと向かった。
待月旅館のサービスは至れり尽くせりであった。
さすが老舗旅館といった感じで、The和で清潔感が漂うとともに豪華さ、また仲居さんのさりげない心遣いや徹底された挨拶も、受雷たちには心地よい。
(・・・でも)
受雷はちらりと、目の前に並べられた二枚の布団を見やる。
(・・・完全に勘違いしてやがる)
まあ、若い男女が旅館に来んだから、当然で健全なことかもしれないが・・・。
「ぷっはあ~!」
そんな物思いにふける彼の隣で、真美は、3本目のビールを飲み上機嫌だ。
下戸の受雷は、変な高揚感と緊張もあって居心地が悪い。
「真美さん」
受雷はおもむろに立ちあがる。
「ふあい」
彼女は上機嫌で手をあげる。
(酔ってやがるな)
「俺、ちょっと温泉に入って来るわ」
「私も行く~っ!」
真美は抱きついてきた。
ほのかに匂う麦酒の香り。
「えっ・・・混浴?」
受雷は思わず口走ってしまった。
「・・・・・・そんなことないじゃない~!あたし、晶子と一緒に温泉入る約束しているんだ」
「・・・あっ、そう」
受雷は思わず顔を真っ赤にする。
「あっ、期待していた?」
「別に」
受雷はそっぽを向く。
「うふふ、いずれ・・・ね」
真美は彼の耳元で囁いた。
「へっ?」
「な~んて、酔った勢いよ。気にしないで・・・さー晶子に電話しよ」
真美は旅館の備えつけの電話で晶子に連絡をとる。
とくん。
とくん。
真美の心臓が激しく鼓動を打つ、顔は真っ赤、そっと彼から視線を逸らす。
「晶子、準備できたって温泉行きましょう」
真美は受話器を置き言った。
「・・・ああ」
頷く受雷。
真美の鼓動は止まらない。
だが、彼は彼女がハイテンションなのは、深酒の酔った勢いであると思っている。
湯けむる野外露天風呂、夜空には星が瞬いている。
湯気の中には、ふたりのシルエット、真美と若女将晶子が、湯船につかり、うふふ、きゃぴ、きゃぴしている。
うふふ、きゃぴ、きゃぴがなにかと問われれば、若いはちきれんばかりの若さ、および女子の女子による女子の為の青春謳歌なのだ。
「はー、いいお湯」
真美はぬるりと肌にまとわりつく、天然の温泉の湯を手の平に掬い肩へとかける。
若くて美しい白い肌が、湯をはじき、ほんのり桜色に染まる。
「でしょ。ウチの温泉は天然かけ流しの湯よ」
童顔の晶子が微笑む。
顔に似合わず、開発された肉付きのよい素敵で我儘な身体がそこにあった。
「流石若女将、旅館のCMバッチリじゃん」
真美はすっかり大人の女性へと変貌した彼女に、小さな羨ましさと嫉妬に似た感情を抱いた。もっともそれは一瞬で消えるほどのもの。
「そりゃあね、旦那と家族、そして私の旅館ですもん」
晶子は、すっかり大人若女将の顔を見せる。
「若女将に若旦那か・・・温泉だけにアチアチね」
「ふふふ、でしょ、でしょ」
「ごちそう様」
「私のことばっか言って・・・で、どうなの?」
「どうって?」
「どうってって、決まっているでしょ。彼のことよ」
「・・・彼は友達で・・・わ、私は、そんな不純な気持ちできた訳じゃなく・・・たまたま」
「今更、何言っているのよ。若い男女が泊まりで温泉旅館来た。これだけで既成事実だよ」
「へっ!」
「あんた・・・かまととぶって・・・彼の事どう思ってるの?」
「それは・・・」
「好きだから誘ったんでしょ」
「・・・・・・」
「親友の私にも知られてもいいくらいに」
「・・・うん」
「彼とそうなってもいいと思っているんでしょ」
「・・・・・・うん」
「真美って、ちょっと抜けたところあるよね・・・ちゃんと頭の中、整理しなさいよ」
「・・・はい」
「・・・もう、しっかりしなさいよ」
晶子はそう言うと、両手に湯を掬い、真美の顔に引っかけた。
「あっ、やったな」
真美はお湯が鼻に入りつんとするのを感じつつ、晶子に向かって、そのしなやか右足で湯を蹴り上げた。
水飛沫が白煙に飲まれ、晶子の頭上に振りそそぐ。
「やるわね!」
2人は童心に返り、お湯のかけあいを楽しんだ。
一方、受雷は一人露天風呂にいた。
時折隣から聞える真美たちの声が楽しそうで騒がしい。
若いふたりのうふふきゃはは、受雷には妄想せずにはいられない。
湯の中に目をやる。
「あぶない、あぶない」
「きゃっ、きゃっ」
弾む声。
「楽しそうだな」
受雷は、ぼそりと呟いた。
翌日~。