真相
力也は単細胞だが、最低限の常識はあった。
自分の彼女を馬鹿にされたら、暴力で相手に報復するくらいの愛情はあるし、使い走りで力也のいうことに従う英二を、ほかのグループに小突かれないように睨みを効かせるくらいの情けはかけていた。曽我の弱みを握っても、せいぜい自分の素行の悪さを見逃せと、脅すくらいだった。
そんな力也を狂わせたのは、天使のように清純で可愛らしい、誰にでもやさしく接する七奈美だった。気をひくための力也のからかいは、少し七奈美を困らせる程度だった。だが、七奈美に関する噂が広まったときに、力也のなかにある、常識の防波堤が崩された。
――なんだ。
なにも知らない純情なふりをして、隠れて見えないところでは、なにをやっているのかわからない。ひとは、見かけによらないな。
騙された、と力也は勝手に思った。
それならば、自分にもワンチャンスあるのではという考えが、頭をもたげた。冗談半分に忠太へ口にだしてみると、けっこういけそうな気がした。
そこへ、七奈美が広めているという鈴音の噂が重なった。騙されたという思いもあり、腹立ちまぎれにわざとクラスメイトの前で怒りをぶつけた。
七奈美がクラスで浮いてひとりきりになるという、力也にとって願ってもないチャンスが、ついに目の前に転がった。
確実に手に入れるためには、絶対服従で言うことをきかせるには、必ず思いを遂げるには、どうすればいいだろう?
力也の出した案は、眼下で走り回る他クラスの男子たちの遊びからヒントを得た。
ひとりで下校するために教室からでた七奈美を、力也たちは取り囲んだ。
「よう、七奈美。帰る前に放課後を使って遊ばねぇか。もちろん、断らねぇよな?」
七奈美は、力也と鈴音の顔を交互に見て、話を聞くことにしたようだ。そこから有無を言わさず、力也は強引に遊びを強行した。
力也にとって、唯一の気がかりは、彼女である鈴音だった。だが、追いかけ回す力也に、鈴音も楽しげな笑い声とともに声援を送った。これは鈴音も、遊びであることを理解しているのだと、都合よく受け取る。ますます力也は、負けられなくなった。
ついに屋上へ追い詰める。
前日までに、どうしても七奈美に逃げ切られた悔しさから、できるだけ出入り口をふさいでやろうという、力也の阿漕な作戦だった。
生徒が利用する靴箱近くの出入り口以外を、脅迫ネタをちらつかせて放課後一番に、曽我に施錠させてまわらせたのだ。
やむなく屋上へ七奈美が逃げこんだあと、力也は、忠太と英二に小さな声で命じる。
「すぐにドアを閉めとけ。俺が声をかけるまで、絶対に開くなよ」
忠太が何度もうなずく様子を満足そうに眺め、力也は勢いよく屋上に飛びだした。
力也が声をかけるまで、扉は開かない。
重い鉄ドアは、近くで声をかけると聞こえるが、屋上の中心で話をしても、忠太たちのところまで通さないほどの厚さがあった。
屋上の真ん中で、力也はニヤニヤと笑いを浮かべて口を開く。
「ほら、七奈美。隠れてないで出てこい!」
開いた扉の後ろに隠れていたのだろう。
隙をみて素早く扉へ走り寄った七奈美だが、その目の前で、扉は閉められた。
「――うそやん? 開けて? 開けて。この扉、開けて!」
七奈美が、扉をバンバンと叩くが、開かれることはなかった。
気配に振り向いた七奈美は、扉を背に、できるだけ力也から距離をとろうとする。
「ほら、俺に捕まれよ。もう逃げ場はないんだからよ」
薄く笑いながら、力也は七奈美との距離を縮めていく。
「いやや。捕まったら、罰ゲームってゆうてたやろ? それ、わたしは納得してへんもん」
「往生際が悪いな。遊びなんだから、いい加減にしろよ。俺だって、一週間もかかるなんて思ってなかったよ。ほら。観念しな」
伸ばす力也の手をかいくぐり、七奈美は、近くの柵へ向かって走った。スカートを気にすることもなく、身軽によじ登って、向こう側へ降りる。
「なにやってんだよ。さっさとこっちへ来い!」
思い通りにいかず、苛立った表情で、力也は声を荒げる。
「あなたに捕まるなんて、絶対いやや」
キッと見据えた七奈美の表情は、凛としていた。
その全身からは、屈しない力強さがうかがえた。
力也は、知らず知らず威圧される。
ただの高校生の女に、脅威を感じている。そんな自分を信じたくなくて、わざと力也は、大きく前に一歩を踏みだした。
「飛び降りる度胸なんかねぇだろ? ほら、あきらめて、こっちに来い!」
ぎらつく瞳を向けて、力也は柵の向こう側の七奈美に、手を伸ばす。七奈美は、力也の瞳の中に、自分の未来を見る。
腕をつかまれ、柵の向こう側に引っ張りこまれたあとは、手間をかけさせやがったと言いながら押し倒されるだろう。乱暴に扱われるに違いない。これまで清純であった七奈美は、一瞬で穢される。救いはない。
七奈美は、屋上の淵を蹴った。
屈したんじゃないという思いを抱えて、自分の清らかななプライドを護った。力也の伸ばした手は、わずかに七奈美へ届かない。
クラスメイトから天使と称されていた七奈美は、羽を持っていなかった。
くぐもった声で、力也は命令した。
「――おい、開けろ」
反対側でドアノブをつかみ、必死に押さえていた忠太と英二は、ハッと力也の声に気がついた。慌てて力を抜き、鉄ドアをゆっくり押し開く。そこには、力也だけが立っていた。
力也の顔色は蒼白と言ってよかったが、忠太も英二も、それまで後ろで暇そうに髪の毛の先をいじっていた鈴音も、無言で彼を階段に迎える。
どうなったかなどと、声をかけてはいけない気がした。
想像はできる。力也が一方的に七奈美を蹂躙し、その場に置いてきたのだろうと考えた。待つ身の時間感覚は狂っている。
「――今日のことは、一切口外するな。知らぬ存ぜぬで通せ」
力也のかすれた声に、その場にいる全員がうなずいた。
七奈美さえ黙っていれば、ことが露見することはない。
そうと決まれば、ここに長くとどまる必要などない。そう考え、急いで階段を降りようとした鈴音と忠太、英二だったが。ふいに力也が声をかけた。
「――鈴音。ハンカチを持ってるか?」
振り返った鈴音は、一瞬たじろぐ。
だが、女子のたしなみを最優先する鈴音が、持っていないというわけにはいかない。気の進まない表情でポケットからハンカチを出し、力也へ手渡した。すると、力也はそのハンカチで、ドアノブをこすった。
忠太と英二の指紋を、拭き取っている。そう、すぐに理解した。
力也はグループとして、今回の件と自分たちの関わりを抹消したいのだろうと、鈴音は考えた。
家に帰ってから鈴音が、そのハンカチを執拗に洗い、ハサミで切り刻んで生ごみに混ぜ、次の日にはゴミ捨て場へ持っていったことは、力也に伝えなかった。





