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噂の真実

 足音を立てずに軽やかに、廊下を小走りで進んでいく。


「冗談じゃないわ。なんであたしまで、力也の遊びに付き合わなきゃなんないのよ。七奈美の亡霊でも成りすましでも、ひとりで勝手に追っかけりゃいいのよ。あたしは、知~らないっと……」


 そうつぶやきながら、校庭のほうへ走りでると、すぐにくるりと、近くの入り口から校舎へ戻る。


「衣川さぁん……。どこにいったの……?」


 遠くで、困ったような神園の呼ぶ声が響いた。

 鈴音は、その声をもとに、わざと遠回りをして三年一組の教室の前まで戻る。ここに、自分のカバンを置きっぱなしにしていたからだ。


 黒板のお祝いアートを担当した三年一組は、一階の、廊下の一番端の教室だ。

 鈴音は、廊下の左右を見回す。そして、誰の姿も見えないことを確認して、静かに細く教室のドアを開いた。


「七奈美の恨みは、力也がひとりで背負えばいいの。あたしは、関係ないもぉ~ん」


 意地悪そうな笑みを浮かべた鈴音は、教室に一歩、そろりと足を踏みいれる。

 その一瞬。


 鈴音は背後から、長い髪を引っ張られた。


 驚きすぎると声がでないものだ。

 あっという間もなく、ゆるく閉じられたドアの向こう側から、髪をぐいぐい引っ張られる。

 自慢の髪に引っ張られる後頭部が、硬いドアと壁に挟まるように押しつけられた。


「い! 痛い! 痛いってば!」


 振り向けない。後ろから引っ張られる髪が痛い。動けない。どのような状態なのかわからない。パニックになりながら、鈴音は悲鳴をあげる。


「鈴音」


 耳もとに涼しげな、ソプラノの声が響いた。

 一瞬、鈴音は、髪の痛みと呼吸を忘れる。


「なあ、鈴音。あなたも無関係やない。自分でわかってるんやろ? わたしは、教師となんか付きおうてなかったわ。ほら、聞いてあげるから、懺悔してみ?」

「ざ、懺悔?」


 鈴音の声が、裏返って掠れる。

 すると、涼しげだった声は、さらに温度を下げ、ひやりとした質感を帯びて、鈴音の耳朶をなであげた。鈴音の背に、ぞわりとした悪寒が走る。


「噂。流したん、鈴音やろ? 白状して、悔い改めてみ?」


 落ち着いたような声は、感情が感じられなかった。

 じわりじわりと、鈴音の心臓を締めるように責める。鈴音の呼吸が速く浅くなる。肌理の細かい白い額に、じっとりと汗の粒が浮かんでくる。


「あ、あたしが、噂を流したって、し、証拠があるの?」


 苦しい呼吸のあいま、とぎれとぎれに鈴音は抵抗した。それを、声は一蹴する。


「十河忠太くん。あなたから噂を知らされて、強制的に力也くんへ言わされたって、白状してくれてん」

「――使えない男……」


 鈴音は、小さく舌打ちをした。

 実際のところ、忠太は、あとから七奈美が鈴音の噂を流したということしか、口にしていない。だが鈴音は、この件に関する噂全体のことだと、勝手に思いこんだらしい。

 せきを切ったように、一気に話しだした。


「だって、あたしが教師と付き合ってるのが、バレそうになったんだもん。ちょうど、力也が七奈美に色目を使っていたし。腹が立ったから、教師と付き合っているのが、あたしだってバレる前に、七奈美で噂にしちゃおうって思っただけだもん。飛び降りまで追いこんだのは、あたしじゃないもん!」

「――教師と付き合っていたのって、鈴音、あなただってことやんな?」

「そう言っているでしょ! ほら、話したから、さっさと髪を放してよ! 痛い!」

「まだや」

「嘘つき! 放してくれるって言ったぁ!」


 暴れる鈴音の髪を引っ張りながら、しばらく考えこんだらしい。

 おもむろに、七奈美の声は話しだした。


「あなたが教師と交際していたやん? 相手の教師って、誰やのん? どうしてバレそうになったん?」

「そんなこと、な、七奈美に関係ない」

「関係あるわ。あなたがわたしの噂、ばらまいたんやろ? わたし、自分の噂やのに、相手の教師の名前さえ知らんねん。それって、おかしいやろ?」


 やわらかなイントネーションの方言で、耳打ちするように鈴音へささやいた。さらさらと心地よく響くその声が、鈴音の感情を、ざらざらとやすりのように削っていく。

 抗えない気持ちにされて、鈴音は、震える口を開いた。


「で、でも、先生の名前は、言いたくない。せ、先生と一緒に、資料室にいて。そのときの、先生の会話が、外に漏れていて……。聞かれた生徒から、教師と付き合っている生徒を特定しようって話になっているって。だから、あたしだってバレる前に……」

「生徒のほうが、鈴音やとバレる前に、わたしを――七奈美を生贄にして、噂として広めたんや?」

「ちょっとした出来心だったの。七奈美を、飛び降りまで、自殺まで追いこむ気なんて、全然なかったの!」

「鈴音。あなた本当に、わたしが自殺したんやと思っとうのん?」


 ヒヤリと、声は鈴音に切りこんだ。

 髪を持つ手に、無意識に力がこもる。


「本当に、自殺? あなたたちが、飛び降りるように追い詰めたんやろ?」

「い、痛い! ――違う。あたしじゃない……」


 震える声で、鈴音は告げた。


「屋上まで追いかけていったのは、力也だもん! だから、力也に捕まりたくなかった七奈美が、手すりの向こうへ逃げて……。勝手に手すりを乗り越えた七奈美が、足を滑らせて落ちたじゃない? そうよ、殺したんじゃない! あれは事故よ!」


 すると、ふっと、髪をつかんでいた手から力が抜けた。


「――なんで」

「え?」

「なんで、あの出来事のあと、そう言ってくれへんかったん? 自殺やなくて事故やって」

「だって……」

「あのあと、お母さんは、娘は自殺やって周りから言われて、すごく泣いてん。事故でも悲しい。でも、自殺やって言われたあと、残された身内のトラウマって、そうとうのもんやと思うねん」


 しんみりと告げた声に、言い返すチャンスだと思ったのだろうか。

 鈴音が声をあげた。


「だって! あたし、まだ生きてるもの! 死んじゃった人には悪いけど、事件に関わりたくないって思うの、普通の感覚じゃないの? 自殺なら、七奈美ひとりで飛び降りたことになるけど、事故なら、なんでそんなところに行ったんだって聞かれちゃうじゃない!」

「――それで?」

「七奈美が落ちたのは、追いかけた力也のせいだってことになったら、今度は、なんで追いかけたんだって言われるでしょ? 力也は単細胞でバカだから、絶対あたしのためだって言うはずよ。そしたら、あたしが先生と付き合っていたことが、みんなに知られちゃう!」

「――なんて、自分勝手で自己中心的なんやろ」


 そうつぶやく声が聞こえ、ぐいっと髪が引っ張られた。

 鈴音は悲鳴をあげる。


「でもまあ、ええわ。知りたいことが聞けたし。話の流れが見えてきたわ。やっぱり、噂からして原因は、あなたたちグループのせいやわ」


 そうささやくと、ようやく髪をつかんでいた手を放した。

 急に引っ張られていた力がなくなり、鈴音は前に倒れこむように両ひざと両手をつく。

 声の主が、もう教室前にいないことを気配で感じながら、鈴音はじっと、その場から動けずにいた。


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