密告
どこからか、七奈美が教師と付き合っているという噂が広まった。
力也は面白がって、噂の真偽など関係なく、七奈美の姿を見かけるたびに、舐めるような目つきでニヤつきながら眺めている。
「なあ、忠太。七奈美の噂、どうよ? 相手の教師って誰だろうな」
「誰なんでしょうね、力也さん。そのあたり、ぼかされていますね」
教室で七奈美の姿を見る限り、忠太は、噂は眉唾ものだと考えている。鈴音のように猫をかぶっているわけではない。七奈美は、ありのままの彼女だ。そのくらいの客観視はできると、忠太は自負していた。
誰かが――どうせ女子生徒が、七奈美の美しさと人気を妬んで、評判を落とそうと企んだのだろう。その程度に捉えていた。
「噂じゃ、七奈美のほうから迫ったらしいな。清純そうな顔をして、とんだビッチだな」
「まあ、噂ですし。実際は、どんな性格かなんてわかりませんよね」
「俺も声をかけりゃ、やらしてもらえそうだな」
「力也さん、冗談でもほどほどにしないと、鈴音さんが怒りますよ」
力也の機嫌を損ねないように、笑いながら軽くブレーキをかける。
「ははは。本気にするな」
まんざら冗談ではなさそうな目で、力也は笑い飛ばした。その会話は、その場には力也と忠太と英二しかおらず、鈴音の耳には入っていなかったはずだ。
だが、しばらく経ってから、忠太はひとり、鈴音に呼びだされた。
「なんですか? 鈴音さん」
「ちょっと、あたし困ったことがあって……」
白々しく視線を足もとに落とし、鈴音は、ため息をついてみせる。
忠太は、面倒くさいもめごとはごめんだと思いつつも、親身にならざるを得ない。なにしろ、学年の権力者である力也の彼女だ。なぜ、直接力也に頼らず自分なのか、そこを不審に思いつつも、忠太は鈴音の言葉の続きを待つ。
やがて鈴音は、おもむろに口を開いた。
「なんかあたし、噂になってるみたいなのよねぇ」
「噂? どんな?」
見当もつかなかった忠太は、当然ながら聞き返す。そして、鈴音は、忠太がはじめて耳にする思いがけない話を口にした。
「最近、七奈美が教師に迫ったって噂があるでしょ? あれ、七奈美じゃなくて、あたしが教師に迫ってるってことになってるらしいの」
「え? そんな噂が?」
「それを聞いて、あたし、悲しくなっちゃって……」
瞳を潤ませながら、鈴音は続けた。
「それに、あたしの噂を流しているのが、七奈美だって聞いたのよ。きっと、自分の噂の上書きをして隠そうって考えているんだわ。ねえ、忠太、どうしよう?」
「どうしよう、って……」
上目づかいに見つめられ、忠太は考える。
どうしようもなにも、これは先手を取って、力也へ正確に伝えなければならない。単細胞の力也が、あとから中途半端な状態で耳にしたとしたら。
その怒りと矛先がどこへ向けられるのか。想像するだけで恐ろしい。
「――力也さんに、早めに伝えたほうが、いいと思いますけど」
「だよね。あたしもそう思うんだけど。あたしから、言いにくい噂でしょう……?」
そう言われて、忠太はようやく気がついた。
暗に、自分から力也へ伝えてくれと命令されているのだ。
この噂を、力也の耳に入れたとしたら。自分の彼女の悪評を流したと、必ず七奈美に怒りをぶつけるだろう。その片棒を、自分は担ぎたくない。
そうわかっているのだが、忠太は力也の権力下にいて、鈴音に迫られているこの状態で、ほかの選択肢は考えられなかった。
仕方なく、忠太は鈴音の言葉を、彼女に操られるままに力也へ伝えた。
ふいに廊下の電気がついた。
神園が、職員室で電気をつけたのだろう。薄闇に慣れていた目には眩しく、忠太は顔をしかめながらも、意識が現実に戻ってきた。
忠太は、ロッカーにぶつかった痛みに耐えながら立ちあがる。辺りは、しんと静まり返っており、誰の足音もしなかった。
落ちていた眼鏡を拾うと、幸いにも割れていなかった。目が非常に悪い忠太は、たとえ相手の後ろ姿を見ていても、特定することは難しかっただろう。
眼鏡をかけなおし、忠太はもう一度、上靴に履き替える。
犯人に接触してしまったのだ。
最後まで見届けなければ、忠太は、ずっと気になってしまうだろうとわかっている。なにも知らない状態で逃げだすには遅かった。名指しされるレベルで、標的にされてしまったかもしれない。
力也へ報告をするために、忠太はのろのろと廊下を歩きだした。





