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過去の事件

 力也に怒鳴られた栞は、動けずにいた。

 そのそばで神園が心配そうな表情となって、栞の肩を引き寄せている。栞の表情をのぞきこみ、感情が落ち着いたのを確認した神園は、そっと静かな声で訊ねた。


「ね、安藤さん。少し聞いてもいいかしら」


 栞は、小さくうなずく。


「七奈美さんという方の幽霊とか成りすましだって話になっているけれど。安藤さん、あなたは、七奈美さんって子のことや、さっきうやむやになっちゃった衣川さんの仕返しって言葉の意味が、わかるかしら?」


 栞の目が大きく見開かれるのを、神園は、真面目な表情で見つめる。

 そして、言葉を続けた。


「仕返しって言葉、とても重要なことのような気がするの」


 栞は、ゆっくり目を伏せると、こっくりとうなずいた。


「――うん」


 栞は、自分の足もとを見つめながら、小さな声で続けた。


「七奈美は、一年前に亡くなったクラスメイトで――わたしの一番の親友だった。七奈美は、屋上から飛び降りたの」

「――飛び降り……。そう、なの」


 神園が、驚いた表情となった。繰り返した言葉が、低く掠れる。

 栞は、かすかにうなずいた。それから顔をあげ、懐かしい記憶を思いだすように、視線を遠くへ向けた。


「七奈美は、高校に入学したときに同じクラスになって知り合ったの。わたし、関西弁ってきついイメージがあった。でも、神戸からきた七奈美の言葉は――七奈美の人柄もあったんだろうけど、とってもやわらかくて好きだった……」


 栞は、わずかに目を細める。


「七奈美はびっくりするくらい、とてもきれいな子だった。そのうえ、親切でやさしくて、性格もよくて。ソプラノの声がきれいで、歌が上手で。背がすらっとしていて姿勢がいいのかな――立ち姿もすてきだった。わたしがこれまで出会ったなかで、一番誇らしい気持ちにさせた、大切な友人だった」


 ふいに、栞の瞳が曇る。

 口が重くなった栞の手を、神園が、そっと両手ですくいあげて握った。


「七奈美がクラスで――学年で人気があるのは、誰もが認めるところだったけど。うん、可愛らしさに関しては、鈴音がいい顔をしなかったかな。鈴音と付き合っている力也くんも、なにかあるたびに、七奈美に悪さをして気をひこうとしていたし」

「そうね。彼氏が、自分以外の女の子と楽しそうにしていたら、彼女としては、ちょっと面白くないかな」

「うん……」


 そこで、栞は言いよどんだ。


「そのころかな。よくない噂がたっちゃって……」

「噂? どんな噂なの?」


 栞はためらった。苦しげに眉をひそめ、口を閉ざす。

 その様子を見て、神園は首を左右に振りながら、栞の背をあやすように軽く叩いた。


「話したくないことは、言わなくていいわ。そうよね。噂というからには、信ぴょう性があるわけでもないし、むやみに広めることもないものね」

「――ごめんなさい、先生」

「気にしないで」


 深呼吸をした栞は、話題を変えて口を開く。


「七奈美は、ひとりっ子だって聞いてた。父親の仕事の都合で、神戸から、こんな離れた土地へ越してきて。きっと、なんでも相談できる相手がいなかったのよ。わたしがもっと、いろいろな話を親身に聞いてあげたらよかった……」

「あなたって、本当に優等生だわ。自分を責めることはないのよ」

「でも、それが友だちなのに……」


 しんみりとつぶやいた栞は、ふいに顔をあげる。そして、話してよいことかどうか考える顔をしながら、ぽつりぽつりと口にした。


「その噂と関係があるのかどうかわからない。けど、力也くんが録音テープを意識するのも、きっとほかのひとよりも七奈美の気をひこうとしたり、からかったりしたことがあるから、気にしているんだと思う」

「それにしては、佐々木くんの反応が激しかった気がするわね」

「うん……」


 栞は、口重く続けた。


「七奈美の飛び降りに、直接関係があるかどうかわからない。でも、力也くんが七奈美に絡んでいったことで、鈴音と七奈美の仲はよくなかったし……。クラスのみんなは、鈴音側についていたし」


 ふいに、栞はそのころのことを思いだす。

 感情の波がさざめき、栞を呑みこもうと大きくなってくる。自然とうつむいていた。栞の耳もとで、七奈美のやわらかな声がリピートされる。無意識に、両手で両耳をふさいだ。


 ――大丈夫。

 わたしは大丈夫や。栞は友だちやから、こんなことに巻きこみたくないやん? だから栞は、いまはわたしと一緒におらんほうがええよ。


 気がつけば、栞は涙腺がゆるんだように、涙がぽたぽたと床を濡らしていた。




「安藤さん、大丈夫?」


 心配そうな神園の声が聞こえていないように、栞は言葉が溢れてくる。


「わたしは、七奈美をひとりにしてしまった。たったひとりで、七奈美に悲しい思いをさせてしまった。クラスで仲間外れにされたのも、力也くんたちにいじめられていたことも、気づいていたのに。気づいていたのに! 友だちだったのに!」

「落ち着いて、安藤さん」


 神園は、栞の肩を抱きしめる。

 ホッと息を吐き、全身を震わしながら、栞は言葉を止めた。

 しばらくしてから、神園が、ささやくように声をかける。


「――そんなに、酷いいじめだったの? それが、七奈美さんの飛び降りの原因だったんじゃないか、とか?」


 栞は、呼吸を整えながら、一点をジッと凝視する。

 そして、小さな声で話しだした。


「いじめのことは、わたしも詳しくわからない。遺書も日記も残っていなかったって聞いてる。七奈美は、わたしが巻きこまれないようにって、わたしを遠ざけていたから。なにも相談をしてくれなかった……」


 栞は、ふたたび瞳を潤ませる。顔をあげると、神園の両腕をきつくつかんで引き寄せ、訴えるように叫んだ。


「わたしがあのとき、もっと詳しく聞いていたら! 七奈美のそばを離れなかったら! 七奈美は飛び降りることなんて、なかったのかな?」


 神園は、栞の目をのぞきこんだ。


「そうね……。いじめの件もそうだけれど、もっとあなたの知らないことが、七奈美さんの飛び降りに関係しているのかもしれないわね」


 低音でやさしく包みこむような神園の声は、そっと、栞の強張った感情を和らげる。

 そのまま、神園にあたたかく抱きしめられながら、栞は目を閉じてつぶやいた。


「――先生、ありがとう。七奈美がいなくなってから、わたし、誰にも七奈美のことを話せなくて、苦しくて……。先生に聞いてもらえて、少しすっきりしました」

「そう、お役に立てたのなら、よかったわ」


 瞳を閉ざしたまま、栞は、神園の腕の中で考えた。



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