ユリと王宮生活
ヘンリーに慰められたユリは、ようやく泣き止んだ。
顔も洗わせてもらい、用意してもらった服に着替えることにした。
着替えは王宮の侍女が手伝ってくれる。至れり尽くせりである。
「お似合いですよ、ユリ様」
着替え終わって、ヘンリーを呼ぶと開口一番褒めてくれる。
「動きやすいですーそれにこの服可愛い!」
鏡の前でくるりと回ってみる。
柔らかい若草色のワンピースだが、首回りや胸元に細かいタックがあり、ウエスト部分は後ろでリボンを結んで引き絞ってある。シンプルながら、上品なワンピースだった。
「好みが分からなかったので、とりあえずそちらをと思いまして」
孫を見るような目線でにっこりとヘンリーが笑った。
このワンピースはヘンリーの趣味らしい。
「これは、こちらで洗濯して預かっておきますね」
着替えを手伝ってくれた侍女が、脱いだ制服を持って速やかに下がっていった。
「では、そろそろ昼食にしましょうか」
ヘンリーはそう言って、着替え終わったユリをドアのほうへ促した。
すでにお昼が近いらしい。部屋を出る前に、壁の時計を見ると針は十二時を差そうとしていた。そういえば、落ち着いたら急にお腹が空いてきた。
「こちらにどうぞ」
だだっ広い部屋に、真っ白なクロスがかかった大きなテーブル。何脚も並ぶ華美な椅子。
その一つに腰掛けさせられたユリ。
なんと、給仕はヘンリー自らしてくれるようだ。
一皿一皿が繊細に盛り付けられたフルコース。使い慣れないナイフとフォークで食べ進む。
(い…いたたまれない…!)
静かな部屋に、カチャカチャキコキコと不器用な音が響く。
上品なヘンリーに、この姿をみられるのはものすごく恥ずかしい。
「…ヘンリーさんは一緒に食べないの?」
「私は後からいただきますよ」
暗に一緒に食べないよと言われてしょんぼりする。
しょげたユリに気が付くと、ヘンリーは目尻を下げて苦笑した。
食後のお茶が出されたところで、ユリはふーっとため息をついた。
「お口に合いませんでしたか?」
「いやーすごくおいしかったです!」
へらっとしながらユリは答えた。
この食事が今後、ユリを悩ませていくことになる。
〇〇〇
異世界に召喚されて一週間。ユリはかなりまいっていた。
「あぁ~~~!!ご飯が重いよぉぉぉ~~~!!」
朝食が終わった後、自室のベッドに飛び込んでじたばたする。
召喚先が王宮で、もてなしとしては最高のものを受けていることはわかる。
まだ幸運だったなーと思っていたユリだったが、毎度の食事にギブアップ寸前である。
なんというか、良質な食材が使われて、趣向をこらしていることも理解しているのだが、味に馴染みがなく、いかんせん重い。これが三食毎日はきつい。
じゃあ食わなきゃいいじゃんと思うが、毎日のハードな座学と実技をこなすために、ちゃんと食べないと身が持たないのだ。
そして、当たり前のことだが…
「ご飯とおみそ汁が飲みたい…煮物食べたい…お刺身を醤油で食べたい…丼でもいい…卵かけご飯とか、お茶漬けでもいいからぁぁ~~!!」
そう、日本食が一切出ないのである。
「わかってたけどぉぉ!!!」
枕に顔をうずめて叫ぶ。
実は、召喚されて三日目くらいに、ヘンリーに聞いてみたのだ。
「あのー…ここって味噌とか醤油あります?」
「いえ…それはどういったものでしょうか?」
物知りのヘンリーに、どういったものなのか、聞き返されてしまった。
ユリとて、それらの原材料が大豆であるということは知っているが、どうやって作るものなのかはわからない。
元の世界では、家に常備されていたしスーパーで気軽に買える。
ちゃらんぽらんなユリは作り方なんて気にしたこともなかったのだ。
(なんか発酵させるとか聞いたことあるけど、やり方がさっぱり思い浮かばない…)
もし、ユリが作り方を知っていれば、ヘンリーは作ろうとしてくれただろう。
「ううう~だしっぽいものも食べたいよぅ~」
王宮でもスープは出されるが、ポタージュや濃厚なコンソメスープなどパンチが強い。
「せめて、みそ汁が飲みたいぃ~…」
いつも家で飲んでいたみそ汁が飲みたい。
特別好きじゃなかったはずなのに、ユリの魂には知らぬ間にその味が刻み付けられていたようだ。
「でも…食べさせてくれるだけありがたいよね…」
勝手に召喚されたのだから当然だ、という気持ちもある。
でも、現在の王国の状況を聞くと、住むところを無くし、その日の食べ物にも事欠く人々がいるということを知ってしまったのだ。
(私はきちんとできることをしよう)
ポンコツだが、元々ユリは真面目なのだ。
自分にしかできないというなら、大変な人達の、そして優しくしてくれる素敵なおじ様達の期待に応えたい。褒められたい。そしていい子いい子してもらいたい。
(元の世界では、素敵なおじ様なんてテレビの中にしかいなかったし!)
こんなに素敵なおじ様達に可愛がられるなら、多少食事が合わなくても我慢してこの環境に甘んじようではないか。
やや動機が不純になってきた。
そうして、数か月かけて勇者として必要なことを勉強している間に、ユリは女神の神器のことを知ったのだった。
〇〇〇
その日、ヘンリーとユリは地図を見ながら授業をしていた。
「王都はここ、魔王城はここです」
「はぁい。えーと、ここまで一人で行く…の…?」
恐る恐る聞くと、ヘンリーが苦笑した。
「ユリ様には王宮騎士団長であるアレイスターと王宮魔術師団長のリリーがお供します」
「一人じゃないんだ!良かった!!」
その二人は、年若いながらその地位に登り詰めた実力者だ。
勇者として王宮で過ごすうち、その二人ともすでに顔は合わせている。
ユリは心の底から嬉しかった。
ポンコツユリを世話してくれる人がいなければ、途中で行き倒れる可能性百パーセントだ。
素敵なおじ様達にも来て欲しかったが、長旅は辛かろう。若者で頑張るしかないのだ。
「まずは、王都をでて女神様の神殿へ向かってもらいます。」
ヘンリーは地図を指でなぞっていく。
「王都から遠いねぇ。魔王の城からも、ちょっとはずれるんだね」
「ここが本殿です。この本殿からしか神器を得られないのですよ。それらは、異世界から召喚された勇者のみに与えられます」
「ほほ~神器ね。……神器って?」
「神器は三つあります」
聖剣。聖なる力で魔物を切り捨て浄化する。
守護の首飾り。魔力を増幅し、受けるダメージを軽減する。
奇跡の聖杯。持ち主の望む液体を与える。
「ふうん…聖杯だけなんか微妙…」
「まぁ飲み水とか、お酒とか、回復薬とかもでますから、便利は便利なんじゃないですかね。とにかく、それを手に入れると魔王討伐が格段に楽になるはずです。ここからは…」
軽くさらっと流して、旅の行程を確認していたユリだが、ふとあることに思い至った。
奇跡の聖杯の可能性に。
その瞬間、雷に打たれたような衝撃が走った。
すでに異世界に召喚されてから数か月。
座学に実技と打倒魔王のための鍛錬を続けてきた。
今までやったことのない乗馬や剣術の練習で体が悲鳴をあげても、魔物討伐の練習で切りつける感触に怖気が走っても、森での野営の際にテントに近づくデカい虫に泣きそうになりながらも、歯を食いしばって頑張った。
そうしてこの世界で過ごすうちに王宮の生活にも慣れ、素敵なおじ様達が優しくちやほやしてくれるようになり、この世界で暮らすことに満更でもない自分に気が付いたのだ。
(ウィリアム陛下とヘンリーさんの他に、乗馬と剣術指南役のルドルフさんはワイルド系、魔術指南役のワンドさんは儚い系。王宮料理人のヒースさんはちょい悪系だし、庭師のボビーさんはちょっとぽっちゃりだけど正統派好々爺だし、とっつきにくかった宰相のアカシさんなんてインテリ眼鏡系だし。他にも色々…。その人たち全員、めっちゃ渋いしかっこいいしおちゃめだし優しいし大人の色気もあるし、しかも仕事は超できる!…元の世界ではありえなかった有能おじ様ハーレム状態…)
王宮とは、王族が住まう場所でもあるが、国の政治や運営を行う場所でもある。
すなわち、有能なおじ様たちが多くいる場所でもあるのだ。
彼らとしても、異世界から召喚されたユリは希望の星。それに、自分たちに懐いてくれる黒髪黒目の小柄な少女に、情が湧かないはずがない。だから今では手放しでユリを可愛がっているのだ。
ユリとしては、なんなら魔王倒してもこのままでいいかもーと思ってしまうぐらい、素敵おじ様成分は満たされている。
そう。ここはジジ専のユリにとって、食事以外はかなり好条件の場所ということになる。
ユリは単純なのだ。
ちなみに、王宮には見目麗しい士族の青年達もいるが、ユリは全く興味を持っていない。
青年たちにしても、ユリを可愛がっているのは上司であるおじ様連中である。
うっかりユリにちょっかいを出そうものなら、間違いなく凄惨な制裁が待っている。そのため、彼らもあえてユリに粉をかけることはしないのだ。
(…もし奇跡の聖杯が、本当になんでも望む液体を出せるなら…)
ジュースはもちろん。みそ汁もしょうゆもみりんもでる。それに、わざわざだしをとらなくてもだし汁もでるのでは?めんつゆとかもいけちゃうかもしれない。
ちょっとした調理場があれば、自分一人でも日本食の再現が可能になる。
「最高じゃん!食生活改善じゃん!そしたらこの世界、最高になっちゃうよ!きゃっほう!」
自室に戻ったユリは一人快哉を叫んだ。