ユリと召喚
時は、ユリが召喚された時に遡る。
その日の朝、ユリはいつも通り高校へ行くため、制服に着替えて家を出た。そして、家の敷地を出たその瞬間に、いきなり光に包まれ異世界に召喚されたのだ。
「…は?」
驚愕に口をぽかんとあけて固まったユリの周りには、光り輝く大きな魔法陣が今まさに役目を終えて消えていくところであった。
動けずに周りを見渡すと、どうやら石造りの立派な神殿の中にいるようだ。ユリはその大広間の中心にいた。魔法陣を囲むように、魔術師や神官、そして位の高そうな男性たちが並んでいる。古めかしい洋装で、外国のおとぎ話のような世界を思い起こさせた。
「この子が希望です……」
あっけにとられるユリの頭の上から、か細い声が聞こえた。
それは小さいながらその広間に響き、とたんにわっと歓声が沸く。
「召喚は成功だ!」
「ああ良かった!!」
ばっとユリが上を見ると、しゃらしゃらと装飾品を着け、その身に紗を纏った美しい女性が目を閉じ眉根を寄せて、祈るように手を組んでいる。
その女性こそ、ユリを召喚した女神だった。
彼女はふっと目をあけてユリを見ると、すまなそうに眉尻をさげた。
「ああ、ごめんなさい。どうかあなたの力を貸して…」
そう言うと、女神はユリの頭上から掻き消えてしまった。
「…は!?」
あまりの状況に「は」しか出ないユリである。
パニック状態のユリは、あれよあれよという間に豪奢な部屋に連れていかれてしまった。
ふかふかしたソファに座らされ、低めのテーブルには紅茶が出された。
目の前には、灰白色の髪と髭。そして、こげ茶の瞳を持つロマンスグレーなおじ様がいる。
ぐっと眉間にはしわが寄っており、厳しい目つきをしている。年齢の現れたほうれい線も厳格な雰囲気に一役買っていた。
深くソファに腰を下ろし、両手を膝の上に置き、堂々と姿勢よくこちらを見るおじ様は、深い紺色の軍服のような服を着て、真っ白のケープを羽織っている。
ユリにはぱっと見、四~五十代に見えた。
(この人誰だろ?外人さんぽくて年齢が読めない…超かっこいいけど…)
「勇者様」
(え…声も超かっこいい!このおじ様!)
ユリは、何を隠そうジジ専である。同級生とか大学生とかすっとばして、仕事ができる有能なおじ様が大好物である。脂ぎった、だるだるの怠惰なおっさんは問題外だが。
今、ユリの目の前にいるロマンスグレーなおじ様は、容姿も整っておりいかにも仕事ができそうな貫録を醸し出している。
滅多にお目にかかれない渋くて有能そうなおじ様に、ユリの目は釘付けだ。
そのままぼんやりとさっき言われた言葉を反芻する。
(んん?勇者…?)
勇者といえば、異世界召喚されて魔王から世界を救うとかいうやつ?
思わず、いやいやまっさかー冗談きついわー、だよねーと脳内会話を繰り広げる。
「勇者様。私はこの国の王、ウィリアムという」
耳に心地よいバリトンが、もう一度ユリを勇者と呼んだ。
「ゆうしゃ…って私のこと?」
「そうだ」
(やだ…ウィリアムさんまじイケメン…映画の俳優さんみたい…)
全く関係ないことを考えながら、それでも口は動く。
「私、ユリです。ユリ」
「ああ、ユリと言うんだね」
ふっと目じりに皺が現れ、顎髭に指を添わせて口角を上げる。
厳しいと思った顔つきが、今はいっそ優しげだ。
(ちょっと…!今の、ぐっときた!!)
厳しい人が実は優しいとか!ずるい!!
内心じたばたしているが、次の言葉に目を剥いた。
「では、勇者ユリ。君を召喚したのは、他でもない。君に魔王を倒してもらいたいのだ」
「…でた!無理なやつ!魔王て!」
「ユリ…君しかいないんだ」
途端に、厳しく眉間に皺をよせていた眉毛が下がり、悲しそうに言われてしまった。
「頑張ります!!」
瞬間、躊躇なく頑張る宣言するユリ。
(厳しい人が優しくてしかも可愛いとか卑怯!!ギャップたまらん!!)
ウィリアムは、顔を上気させぶるぶると震えるユリを満足そうに見ながら頷いて、では教育係を紹介する、と後ろに控えていた人物を呼び寄せた。
「ユリ様、はじめまして。僭越ながら、これからあなたのお世話をさせていただく、ヘンリーと申します」
「は…じ…めまして…」
丁寧に頭を下げてくれたヘンリーは、物腰柔らかな細身の男性だった。
ウィリアムよりは年嵩だろう。すっきりと後ろを整えた頭髪はほぼ白髪だ。こちらを見る瞳はアイスグレー。色合いとしては冷たいのに、全体の雰囲気は暖かい。
細面に柔和な笑みを浮かべており、ぴしりとのびた背筋や所作は優雅だ。
「彼は私の補佐官をしている。この国や、情勢を学ぶにはいい人材だ」
「はい…」
ユリは呆然とヘンリーを見つめ、頷いた。
(すごく…すごく執事っぽい…!お嬢様とか呼ばれたい!)
頭の中は、新たに現れたおじ様賛美でいっぱいである。
国王であるウィリアムはそこで立ち去り、ヘンリーからは着替えを準備するのでしばし休憩を、と言われユリは一人部屋に残された。
ソファに座ったまま、ユリは改めてこの状況を考えていた。
(あぁ眼福だった……学校で友達にこのこと言わなきゃ…。いやいやいやいや。この状況。もしかしてやばい!?かなりやばいんじゃない!?)
だって、今日もいつも通り学校に行くはずだった。部活して、帰って家族とご飯を食べて、眠ってまた学校へ…。もうできない?帰れない?家族に会えないの?友達にも?ここはどこ?魔王って何?私が戦うの?
心をときめかせるおじ様がいなくなり、途端に現実がユリを襲ってきた。
だって自分は、ただの女の子で、何の力もない。特別賢くも運動神経も良くない。
平和な日本で育った人間なんだから―――。
じわじわと涙が浮かんでくる。何もできない。帰りたい。それなのに、何故か魔王を倒せと期待される。それが怖くて悲しくて、ユリはうぐうぐと泣き始めてしまった
「ユリ様?」
どうやらいつのまにか、着替えを用意してきたヘンリーが戻ってきたようだ。
ソファに座ったまま体を丸め、すすり泣くユリの肩に優しくヘンリーが触れる。
「着替えをお持ちしました。…泣いているのですか?」
ユリは少し顔を上げるが涙は止まらない。ヘンリーを見てしまったら、嗚咽を上げて泣いてしまいそうだ。
「…あなたの身に起きたことは、大変なものでしょう。」
ヘンリーはユリをゆっくりと引き起こすと、ハンカチを差し出した。
ハンカチには丁寧にアイロンがあててある。それを崩すことに気後れしながら、ユリはぐしぐしと顔を拭いた。すでに顔中涙と鼻水まみれだったのだ。
アイスブルーの瞳を気遣わしげに揺らし、泣き止まないユリを見ながらヘンリーは優しくユリの頭を撫でた。
「あなたを、私たちの勝手で召喚してしまったことを深くお詫びします。それでも、私たちには、あなたしかいないのです。私は、あなたを勇者としてお育てするつもりですが、決して無体なことはしないと誓います」
静かにヘンリーがユリに語りかける。その誠実な声音を聞いて、ユリは少し落ち着いてきた。
「…んぐ、ヘンリーさん。…私は…んくっ…もう、帰れないの?」
ユリは声を詰まらせながらも、なんとか聞くことができた。目下、一番気になるのは何より元の世界に帰れるかどうかであった。
「…召喚は女神様が行いました。しかし、あなたを召喚したことでほとんどの力を使ってしまったようです。今は本殿で眠られているでしょう」
ヘンリーはふうと一息つくと、真剣な顔でこう言った。
「女神様は、この国でも多くの信仰を集め強い力を持っていました。しかし、魔王が台頭してきたことにより、多くの瘴気が領土を覆い始めたため徐々に力が弱まってしまったのです」
少し涙が引いてきた。ユリは、目を瞬かせて話を聞いている。
「女神様が元の力を取り戻せば、あなたを元の世界に戻すことができるはずです」
「ということは…」
「…魔王を倒していただくのが、元の世界に戻る早道ということになりますね…」
「じゃやっぱ無理だよぉぉ!」
え?だって魔王ってよくわかんないけど最強なんでしょ?ただの人間に勝てっこなくない?無理じゃない?帰れないんじゃない?
びやーっと泣き出したユリを、困ったように見下ろしてヘンリーが言った。
「ユリ様。あー…こちらを見ていただけますか?」
「はいっ?」
ヘンリーの優しいが少しかすれた声で問いかけられて、思わずくるっとユリがヘンリーのほうを振り返る。すると、自分の隣にヘンリーが座りふわりと両腕を広げた。
「どうぞ」
「へ?」
なんだろうその言葉にその体勢だと、さあおいでって感じなんだけど?どゆこと?
疑問符が盛大に頭に浮かぶユリ。
ヘンリーは、ちょっと目尻を下げて微笑み、小首を傾げてウインクして言った。
「こんな年寄りで申し訳ありませんが、胸を貸しましょう。どうですか?」
(ひいやぁぁぁ~~~!!!)
まだ涙目だが、ぐわっと顔に血が上る感覚がする。多分、今耳まで赤くなった。
いかにも執事然として、態度崩しませんって感じだったのに!おちゃめ!
自分から抱きしめてこないところは紳士だし!素敵!ブラボー!
ユリの頭の中が、一気にお祭り騒ぎになった。
そのままよろよろとヘンリーに寄り掛かると、かすかなタバコと整髪料の匂いが鼻孔をくすぐった。
ふんわり両腕を回され、小さい子を寝かしつけるように優しく背中を叩かれる。
「ここでの生活に慣れていただけるよう、誠心誠意尽くしますからね」
「ふぁい…」
(これは……これでいいかも……!)
異世界召喚とか魔王を倒すとかややこしいこと全部ぶん投げて、素敵なおじ様をうっとりと堪能することにしたユリだった。