†:手紙 9
わたしは、あなた方が革命を志向すること自体は望んではいません。
とはいえ離任するわたしが、あなた方の行動を妨げることなどできませんし、たとえ逸脱の意志を持つ者がいたとしても、究極的には自由におやりくださいとしか言いようがありません。
このように言っても、わたしが康介くんに好意的だと考える人もいるでしょうが、先ほども言ったとおり、わたしは康介くんを大変愚かだったと思っています。計画に失敗したのですから、正当な評価でしょう。
それにたとえわたしが彼に同情的だとしても、皆さんは怖れを抱く必要はありません。担当官が逸脱を助長するような真似をすれば処罰されますし、それにきっとあなた方なら、わたしがこの場で語ったことについて口を閉ざすという自信があるのです。
もしH組で問題が起きれば、次は連帯責任になると申し上げましたね。知的に解釈するなら、わたしの発言が他の担当官の耳に入るだけでH組は問題視されますし、その影響が奉仕先の選定に及ぶことは自明でしょう。
できることならより人間らしく扱われるところへ奉仕に行きたい。それがあなた方の願いである以上、余計なトラブルは避けたいはずです。だからあなた方は、今この場で話されていることを口外すらできないと踏んでいます。そうなればわたしの真意なるものは、もはや皆さんの胸の内にしか存在しません。
わたし個人の思いをもう少しだけ明かしますと、このお話は、セレブレ計画の欠陥を見て見ぬ振りをしてきたことの罪滅ぼしなのです。あまりの悲壮さに泣き出している方がいるかもしれませんが、最後まで読んでください。
セレブレ計画には一つ大きな不正がありました。それは「親」が親権を売り、大金持ちの移植医療に使われるようなケースです。
親は金持ちの補助でみずからのクローンを作り、それを権利ごと売り払うのです。
機会の平等を謳って設けられた枠ですが、そうしたビジネスの横行が、本来崇高な意義を担っていたセレブレ計画に闇をもたらしました。
看過しがたい不正を横行させては計画自体の存続に関わる。わたしはそう判断し、第一期生を対象とした不正の排除を訴えました。
新任教師のような青臭さに、厚労省の役人は辟易したと思います。
けれど、そうした働きかけも虚しく、結果的に不正を排することはできませんでした。表向きは法的不備のなさが理由ですが、ようは圧力に負けて黙認したということです。皆さんがその対象だったかは判然としませんが、その可能性は低くないと思っています。
けれど、だからこそ言いたいのですが、逆に考えてみてはいかがでしょうか。「親」と子の関係とは金で売り払われるほど安いものであると。「親」のところに帰れないのは、決して悲しむべきことでも、卑下されることでもないのです。
外の世界では、十六歳にもなれば十分に大人扱いされます。親元を離れ、仕事に就く子も珍しくありません。あなた方の場合、それが奉仕となるだけです。
親の元に帰れることが最良の奉仕先という考えが浸透しているようですが、そんなことは思い過ごしです。
あなた方はこのH組という家族のなかで育ち、社会へ羽ばたくのです。
初等科で卒業した生徒と自分を比べて、おのれを欠陥品だなどと思わないでください。やり場のない不満を、どうか理知的にコントロールしてください。
わたしたちが歩む人生において、一番怖いことは何かわかりますか? 何かをやるべき瞬間に、それをやり損ねることです。
それは致命的な失敗として、一生残り続ける後悔となります。間違いは挽回できても、失敗は取り返しがききません。
わたしはそうした失敗に陥らないよう、この手紙で全てを打ち明け、皆さんの理性に訴えかけました。
わたしは康介くんの逸脱という責任をとって担当官を解任されます。卒業という最後の瞬間まで、わたしは皆さんのよい家族でありたかった。ですがそうした願望は、もう果たされることはありません。
誰よりも人間らしく育った皆さん、わたしは皆さんを弟や妹のように愛おしく思っています。そんな皆さんが失敗のない人生を生きていかれることを心から願っています。
唐突に話を変えますが、ひとつだけあなた方に、どうしても不完全にしか教えられなかったことがあります。それはアイロニーというものです。
Aと言っているが、実は正反対のBと言っている。それがアイロニーです。
中等生には難しすぎるという大人もいますが、わたしはそうは思いません。本質を理解しようにも、ただ実例がないだけなのだと思います。
康介くんを始め、どうもこの施設の生徒はよく言えば真っ正直で、悪く言えば愚直な思考に陥りがちなところがありますが、人間という湖にはなだらかな湖面の下に、非常に奥深い水底があるのです。
Aと言ったことがそのままAを意味するわけではないのです。
人間は嘘をつく動物です。
わたしはあなた方を愛おしく思っていると言いましたが、本心では違うことを考えているかもしれません。
そうしたアイロニーこそ人間性の最大の証です。
人間という生物が一筋縄ではいかず、他の生物と異なり複雑な論理を操ることを示すキーのようなものです。人間の世界にはアイロニーという鍵がなければ開かない扉があります。一ヶ月後、卒業式を迎え、新たな人生の扉を開こうとしている皆さん、あなた方がいつかそれを完璧に理解する日が来ることをわたしは心待ちにしています。
渚くん。きっとあなたは、康介くんが処分されることに憤っているでしょう。君の性格上、そうなることは致し方ありません。けれど忠告しておきますが、正義が自分だけにあると思わないでください。セレブレ計画は人びとの哀切な願いというべつの正義を背景にしています。あなたには何が最善かを導き出す理性があるはずです。どうか一時の感情に振り回されず、怒りを思慮に変えてください。君ならそれができるはずです。
そして和希くん。あなたは今月の期末テストで学年一位をとりましたね。康介くんがいなくなった今、H組で最大の発言力を持っているのは名実ともにあなたです。その実績と奉仕先の決定は残念ながらべつですが、きっと素晴らしい未来が拓けていると思います。たとえ意に添わぬ結果となっても嘆くことなく、使命を胸に生き抜いてください。
正規の学習プログラムは、この手紙をもって終了です。
担当官として皆さんと話をすることはもうないでしょう。最後にあなた方にもう一つの武器、すなわち希望を託そうと思います。
わたしが密かに購入したネット通信可能な端末をある場所に隠しました。その隠し場所は一人の生徒の端末にだけメールで送ってあります。電話さえできない皆さんの端末に比べ、それは破格の機能を有しています。
それをどう利用しようと持ち主の自由です。外に出たわたしと連絡をとり合うもよし、マスコミ各社にメールを出し、セレブレの秘密を世間に暴露するもよし。
ちなみにこの手紙は読了後三〇分で消去されるようになっているため、わたしからメールを受け取った生徒は不安に思う必要はありません。
卒業式までの最後の時間、詩作や絵画制作に励むもよし、娯楽や運動に打ち込むもよし、どうか悔いのない日々を有意義に過ごしてください。
やるべきことをやり損ねず、眼差しを高く上げていってください。H組の皆さんと過ごした日々は、本当に楽しかったです。わたしの名前をチャーミングだと言ってくれたあなた方の弾けるような笑顔は生涯忘れません。
さあ、ここからは卒業式の予行演習です。この手紙の末尾には、皆さん一人ひとりの内定奉仕先を記したファイルが添付してあります。それをいつ告知すべきか、担当官のなかでも意見が割れたのですが、あなた方H組については、過酷な運命にクッションを置くため、卒業一ヶ月前におこなうと決まりました。
悲しみや喜びが入り交じることでしょう。けれどそうした感情の揺らぎは、自分の心だけに留めてほしいです。奉仕先が人生の全てではありません。そこでどう生きるかが大事なのです。
だから泣きたい人は大いに泣いて、卒業式は笑顔で迎え、笑顔で終わりましょうね。
わたしは同席できませんが、せめて祝福を送らせてください。