†:手紙 6
再生医療技術によって生み出された誰かのコピーでしかないセレブレは、本当の意味における自由はなく、一個の人間としての人格も認められていません。
初等科から中等科という本来なら人間としての基礎をつくる時期にかけて、この地下施設に閉じ込められ、来るべき奉仕を授かるまでの間、純粋培養されてきたのです。
そこに多少の違和感を抱いた生徒がいたとしても、実際に反抗した生徒が康介くん以外にいなかったことから、わたしたち担当官の施した教育がほぼ目論みどおりだったことに異論はないでしょう。
外の世界が康介くんというイレギュラーをどれだけ問題視しても、この点においてわたしは胸を張れる自信があります。
わたし個人としては、むしろ彼のような生徒を生み出せたことこそ、セレブレ計画の成功した証だと感じているほどです。
康介くんがどういう生徒だったか、もしかするとわたしよりあなた方のほうが詳しく知っているかもしれませんね。なのでH組向けに些細な補足として申し上げると、彼は、カラマーゾフの三兄弟をひとつにしたような生徒でした。
長男ドミートリィの鷹揚さ、次男イワンの利発さ、三男アリョーシャの純粋さ。
ドストエフスキーが生み出した傑作の三要素を、高いレベルで兼ね備えていたのが康介くんでした。勉強嫌いのためか決して成績はよくありませんでしたが、頭がよく回り、何より実行力のあるタイプでした。
反抗の意志さえなければ、彼ならどの奉仕先に行ってもすぐれた能力を発揮したことでしょう。
もう少し口を滑らせれば、彼はあなた方が「首領様」と呼ぶ人物によって高い人間性が認められ、とある省庁に奉仕すべく、上級学校に進む予定でした。
奉仕先のことで頭が一杯な生徒たちは、康介くんに与えられるはずだった未来をさぞ羨むことでしょう。けれどそんな輝かしい未来を彼自身がぶち壊しました。
本当に馬鹿な真似をしたと言うほかないのですが、彼ならきっと、たとえ自分がエリートに選ばれることがわかっていたとしても、あくまでも学校への反抗、セレブレを生み出した社会への叛逆を遂行したのではないでしょうか。無論全ては後知恵でしかありませんが、わたしにはそう思えてならないのです。
康介くんが拘束されて以降、あなた方の間で一つのよからぬ噂が広まっていることを、わたしは知っています。
それは康介くんが、賭博で増やしたポイントで一般生徒を買収していたというものです。
わたしたち担当官も、最初はそれを疑いました。けれど調査が進むほど、事がそう単純ではないことが明らかにされました。
驚くべきことに一般生徒たちは、自発的に彼の計画に荷担したのです。自発的――つまりはみずから望んで力を貸したのです。一体どんな殺し文句を使えば、そのようなことが可能になるのでしょう。
康介くんは修学旅行前日、あなた方がエニモーと呼んでいる生徒を使って、まず担当官の端末を数台盗ませました。
翌日そのうち一台を所持して地上へ出た彼は、雑踏にまぎれて逃走し、現金でプリペイドカードを買ってから、端末を使って同時に複数の新幹線チケットを購入しました。
担当官が捕捉していたのは、修学旅行中の誰かが端末を所持しているかもしれないという事実だけ。これで彼の足取りはまったくわからなくなりました。
東京発の新幹線は三方向、九つの路線に分かれます。
担当官はわたしと、臨時に同行して貰った副校長の荒巻さんだけでした。幸い荒巻さんが警察庁出向だったこともあり、鉄道各社に康介くんの人物写真を送りつつ、通過する各県警に捜査を依頼できました。
けれど、事態の発覚から三時間後には、康介くんは富山駅を降り、港へ向かっていました。ここで港までの移動にタクシーを利用したのが彼の足取りを掴む唯一の手がかりだったのです。
脱走計画は念入りに練られておりました。乗り込んだ貨物船の国籍から、彼は日本海を船で渡るつもりだったことが想像されます。
隣国――おそらくはロシアに逃げ、セレブレ計画の失敗を高らかに宣言するつもりだったのだと思います。こんなふうに憶測で話すのは、警察に拘束された後、彼は計画の詳細や具体的な目的を、完全に黙秘したからです。
その後学内を調査した結果、ネット接続端末の奪取の際、康介くんは何人もの生徒の手を借りたことが明らかになっていますが、協力した生徒のことを彼は一切口にしませんでした。
貨物船に潜伏している最中、追跡した捜査員の首の骨を折って殺したことのみを自供したと聞いています。もっとも警察によって拘束された後、彼がセレブレ批判を口にせず、非常に従順であったがために、彼を処分する手続きはスムーズに進んだわけですが。