†:革命を継ぐ者 9
やがて二日が経ち、卒業式当日となった。
「――卒業証書授与」
在校生の送辞が終わり、時計が十時を回った頃、式のメインイベントが始まった。俺たちがすでに知っている奉仕先を、全クラスの生徒が一枚の紙切れとともに受け取る儀式だ。奉仕先は直接、校長の口から告げられる。校長は文科省出身のお飾りだが、発声ばかりは芸人並みに滑らかで、セレブレの将来という気が滅入りそうな告知をする役回りを粛々と引き受けていた。
「相田敦史。海兵自衛隊相浦駐屯地」
最初に卒業証書を受けたのはA組の生徒だった。女子校状態だったH組とは対照的に、彼らは全員男子だった。
「赤崎郁哉。海兵自衛隊相浦駐屯地」
新しい苗字と共に名前を呼ばれると、気力旺盛な生徒たちが次々と立ち上がる。戦地に送られる彼らを見て、まるで病名を告げられるがん患者みたいだ、と俺は思った。
「浅村君人。海兵自衛隊相浦駐屯地」
海兵自衛隊は西部方面普通科連隊をベースに発展した組織だ。駐屯地は全国に六つあり、セレブレの多くは佐世保に配属され、そこから前線に送られるのだろう。
中等科卒業と同時に兵士になるのは早すぎると思うかもしれない。だが外の世界でも、十六歳ともなれば立派な大人として扱われる。高等科に進むのは大学へ行く限られたエリート層だけだ。
本で得た知識だが、三十年ほど前までは今よりはるかに多くの生徒が高等教育を受けたという。思うにその頃は、まだ社会に余裕があったのだ。無駄を無駄と知りながら、それを許容できる余裕が。
「馬場歩美。国立がんセンター中央病院」
儀式が一回りし、B組の番になると、今度は臓器提供者になる生徒が現れだす。戦地へ行く覚悟を固めたA組生は動揺一つ見せなかったが、移植を待つ患者のために命を捧げる彼ら彼女らは、文字どおり涙に暮れていた。
人間扱いこそされなかったが、俺たちは全員人格を持った存在だ。なのに提供者という使命はその前提を頭から否定する。愛玩動物は保護するのに、提供者の命を削ることを社会は認めたわけだ。目を赤くして泣きはらした生徒をしりめに、俺はあらためて憤りを覚えた。
セレブレを待つ運命を知ったのはいつの頃だったろうか。はっきりと教えられたことは実は一度もない。その噂はどこからともなく流れてきて、何も知らなかった俺たちを恐怖に陥れた。H組に限っては「特別扱いされているのだから大丈夫」という気休めも囁かれたが、それを真に受けるほど俺たちは能天気ではなかった。
自分たちの「親」が見捨てなければ、異なる未来がありえただろうに。一般生徒においても、そう思った人が大半ではないだろうか。そして薄情な「親」を恨んだのではないだろうか。
「中条文則。海兵自衛隊武山駐屯地」
奉仕先を告げる声は、やがて俺を素通りしていった。代わりに兵士や提供者になるという現実を、鋭い刃のように突きつけてきた。
命を天秤にかけられることを受け容れたのは、最初のA組生のみだった。卒業証書を受け取りながら、泣き崩れる生徒が続出した。悲しみと嘆きは伝播し、席で待つ生徒たちも嗚咽を漏らし始めた。
そんな生徒たちと対面し続けた校長も、堰を切ったようにハンカチで顔を覆い、来賓席に並んだ政治家や役人などの連中も同じように目頭を押さえ始めた。講堂は死に瀕した獣のような声で満たされ、授与が終わるまでの数十分間、それはずっと続いた。
「細野麗華。神奈川医療センター鎌倉病院」
最後の生徒が卒業証書を手に、壇上から下りてくる。俺はその様子を見届けたあと、講堂の外に目をやった。長方形にかたどられた窓ガラスを大粒の雨が叩いている。
地下施設の気候は外のそれに合わせてコンピュータ管理されているが、俺にはこの悪天候が意図的に仕組まれたものとしか思えなかった。生徒たちの流した夥しいまでの涙のように、降りしきる雨は水しぶきを上げ、激しい音を立てていた。
「卒業証書授与、終了」
進行役の担当官が声を張り上げると、校長は来賓に一礼し、自分の席に戻った。
そして、いよいよ俺の出番となった。
「つづいて卒業生答辞。代表、保坂和希」
担当官の呼びかけに応え、俺は壇上に上がり、ブレザーの胸ポケットから端末を取り出した。答辞用の原稿を読み上がるといった体だが、これは革命の狼煙を上げる「爆弾」だ。俺は電源スイッチを押し、SNSアプリを立ち上げる。担当官たちは知らないだろうが、この端末はネットに接続されている。相手はアカウント名ミスター・ボス。
前日のやり取りで、首領様は俺に言った。
『あなたからのメッセージは、私のアカウントを通じて、ネットニュース専門の報道局に送られることになっています。外の世界では、康介くんが犯した罪によってセレブレの話題はとてもバリューがあるものとなっています。きっとどのような情報であれ取り上げてくれるでしょうし、世界中に配信されるでしょう』
彼の言葉を思い出しながら、俺は別ウィンドウで白紙の原稿を呼び出す。
このまっさらな紙を何色で染めてやろうか。
決まっている。鮮血の赤だ。
「保坂和希です。本日はたいへんお日柄もよく、まるでぼくたちの門出を祝ってくれているかのようです。これから話すことは、答辞としてはちょっと長いものになります。聞き苦しい点があるかもしれませんが、最後までご清聴いただきたく思います」
お日柄なんて少しもよくない。外は土砂降りの雨だ。
しかしそこに違和感を持った人はいないようだった。俺は淡々と答辞を続けた。
「きょう、ぼくたちはこの学校から巣立ちます。まだ右も左もわからなかった頃から厳しくもあたたかく育ててくれた担当官の皆様、そんなぼくたちを見守ってくれた外の世界の方々に限りないお礼を述べさせてください。
ぼくたち卒業生一同は、最高の人生を約束してくれる奉仕先を授かったことを心から喜び、早死を定められた運命をこの上ない祝福として受け容れていきます」
この時点で、来賓にざわつきが見られた。アイロニーの話法が功を奏したのだ。
「ぼくたちセレブレは、一人残らず大切な人間として育てられてきました。生みの親に愛され、担当官に恵まれ、社会に望まれ、自分の人生を大切に思いつつ、それを引き受ける強さを身につけることができました。
過酷なことなんて一つもありませんでした。誰一人脱落することもありませんでした。ぼくたちは素晴らしい奉仕先に心を躍らせ、一人前の社会人として生きていくことに希望を感じています。今こうして見回してみても、卒業生からは笑顔が絶えません。それは、ぼくたちセレブレが幸福の意味を知り、それを皆様の手によって与えられたからです」
涙を拭っていた手を止め、一人の女性政治家が俺のほうを見た。
その顔には戸惑いが色濃く浮かび上がっていた。
俺が事実と正反対のことを語っているのに気づいたのか、担当官たちも顔を突き合わせ始めた。おまえたちが青ざめるのはまだ早いぞ。俺は頭の中でページをめくり、何も書かれていない白紙の原稿を読み上げた。
「実はぼくには、好きな人がいました。その人はいま、壇上のぼくに緊張した顔を向けています。卒業という人生の分岐点を迎え、未来を不安に思っているのかもしれませんが、その人にはこう言って元気づけてあげたいです。
ぼくたちはみんな、誰も傷つかない世界へ赴くのだと。そこには戦争はなく、誰一人病で苦しむこともありません。そこには両親がいて、成長したぼくたちをまるで赤子のように慈しんでくれます。そこには自由があり、毎日が天国のようです。ぼくたちは、そんな世界を守るために生き、散っていくのです。ついこの間まで咲き乱れていた、気高き桜のように」
講堂に目をやると、何人かの元エニモーが俺を食い入るように見ている。
彼らはアイロニーを理解しただろうか。その自信はあった。
康介のつくりあげた兵隊は、今や俺の手の中にある。彼らが待っているのは、俺が送る蜂起の合図だ。三人の叛逆エニモーたちが担当官を襲い、武器を奪って無力化する。渚がIDカードを奪い、外の世界に通ずるゲートを開く。元エニモーたちは煽動をおこない、一般生徒たちをゲートの向こう側に送り出す。世紀の解放劇がこれから始まる。
俺は皮肉で覆い尽くした答辞を述べながら、端末を確認する。爆弾のスイッチはすでに入っている。あと十分も経たないうちに、世間はセレブレ計画の失敗を知ることなる。
「ぼくたちはセレブレ計画という愛に育まれ、トヨタの車やアップルの端末のような成功モデルとして社会に送り出されます。ぼくたちの歩む道は、あとにつづく在校生の皆さんにとって貴重な道標となるでしょう。きょうこの学校を卒業するぼくたちは、決して迷いません。わずかな苦しみでさえ、ぼくたちの喜びです。血を流すことでさえ、ぼくたちの誇りです。この学校で過ごした歳月を、ぼくたちは忘れることはないでしょう。
世界の裏側では、いまだに争いが絶えず、不治の病に苦しむ人びとが溢れています。でも、憎しみからは何も生まれません。誰かの犠牲がなければ、科学は進歩しません。ぼくたちはその言葉を胸に抱き、兵士や提供者という救いの使者となろうと思います」
事実無根の答辞を前に、講堂は騒然となり始めた。担当官は腰を浮かせ、何やら会話を始めている。この程度で狼狽するとは、俺たちセレブレを待つ現実がいかに劣悪なものであるかを物語っているようだった。
「時間よ止まれ、おまえは実に美しい。かのヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテは戯曲『ファウスト』の中で、人生最良の瞬間をこのように表現しました。それに倣うなら、ぼくは最良の瞬間は今ここではなく、いずれ訪れるだろう未来の中にあると言いたいです。その瞬間を受け止めたときぼくたちは、自分たちがセレブレに生まれたことに心から感謝するでしょう。あらためて皆様にお礼を申し上げます。ぼくたちを導いてくれて、本当にありがとうございました」
そこまで言って、俺は端末のレンズを生徒側に向けた。そして右手を顔の側に挙げた。行動開始の合図だった。
三人の叛逆エニモーが立ち上がり、生徒の前を横切って担当官たちの座る席へ向かった。
「戻りなさい!」
誰かが叫んだ。しかし、彼らの駆け足は止まらない。あとには渚が続いていた。他の元エニモーたちも、勢いよく起立した。講堂のざわめきは怒声にかき消された。A組の担当官である片桐が、怒りに駆られた獅子のように吠えたからだ。
「おまえら、勝手な行動をとるな!」
スーツ姿の片桐が懐から拳銃を取り出すのと、三人の叛逆エニモーが飛びかかったのはほぼ同時だったが、わずかに片桐の動作が上回った。一人が猛然とタックルをくらわしたものの、敏捷な体さばきでそれを避け、強烈な肘の一撃を叩き込む。そして地べたに這いつくばった叛逆エニモーの背中に銃口をあて、残りの連中を威嚇した。
「大人しくしないと、容赦しないぞ!」
一見すると制圧寸前だが、俺には切り札があった。マイクを手にしてそれを口にする。
「片桐先生。この模様は全世界に配信されています。引き金をひけば、俺たちセレブレが人間扱いされていないことが暴露されるでしょう」
落ち着き払った声で言うと、片桐は俺のほうを見た。困惑した表情だった。
その隙をつき、残りの叛逆エニモーが片桐に襲いかかる。目的は片桐の銃を奪い、彼を無力化することだが、勝負はあっけなくついた。叛逆エニモーが大きく足を蹴り上げると、拳銃は宙を舞い、片桐の手を離れていった。
視線を横に動かしていくと、渚はB組の担当官に向けて重り付きのベルトを振り回しているところだった。強烈な打撃が彼女の肩を打ち、担当官は渚の言うままにIDカードを手渡していた。二つの目的がすみやかに達成されたことに満足感を覚えつつ、俺はマイクを握りしめながら、声を張り上げた。
「諸君、これから解放が始まる。渚のあとにつづき、地上へ出るんだ。そうすれば、この場で告げられた未来など無意味になる。奉仕先なんか拒絶しろ」
呆気にとられていた一般生徒も、ようやく事態を把握したようだ。互いの顔を見合わせながら、ばらばらに立ち上がり、講堂の後ろに移動していった。渚という羊飼いが連中を先導していく。卒業生の群れに、在校生も混じる。千人を超える生徒の動きは、壇上から見ると実に壮観だった。俺は革命の始まりを目撃した傍観者の気分だった。
そのとき、銃声が鳴った。
音がしたほうを見れば、片桐が拳銃を天に突き立てていた。その足元には叛逆エニモーたちが横たわっている。俺は詰めの甘さを思い知った。彼は銃を二丁持っていたのだ。
「全員、席に戻れ」
「行動を止めるな」
声が重なった。マイクを使っているぶん、俺の声のほうが大きかったが、二度目の銃声がそれを霧散させた。
「片桐先生、この場で起きたことは外に配信されているのですよ」
俺はできる限り抑えた声を出したが、その脅迫は効力を持たなかった。
「そんなこと構うものか。逸脱したくない生徒は直ちに席へ戻れ」
逸脱という言葉に、一部の生徒は震え上がったろう。不遇な奉仕先を得た者もいれば、中には過酷な運命を免れた者もいる。彼ら彼女らの動きは、解放へと導く渚の手を離れていった。生徒の間では混乱が起きていた。
一番の誤算は、片桐が脅しに屈しなかったことだ。叛逆エニモーはふたたび立ち上がり、彼の胴体にくらいついたが、体力にまさる片桐は彼らを弾き飛ばしていた。IDカードを側にいた元エニモーに手渡し、急いで担当官席に戻った渚がベルトで攻撃を仕掛けたが、力任せに殴り飛ばされていた。司令塔である俺は、この場から動けない。自分の無力さを感じて、俺は唾をのみ込んだ。
「抵抗するようなら、撃つぞ」
ついに一人の叛逆エニモー、そして渚の背後に銃口が突きつけられる。
彼らは床に伏したまま、両手を後頭部で組んでいた。
「和希。おまえもマイクから離れろ。さもなくば、こいつらの命はないものと思え」
その声からは本気が感じられた。俺は選択にぶちあたった。
革命のために犠牲を許容するか、それとも友人を守るかの二択だ。
渚の表情は、ニット帽に隠れて判別できない。彼が目的の達成を望むなら、犠牲もやむを得ない。そんな逃げ道は塞がれていた。かつてない動揺が俺を襲った。
こんなとき、康介ならどうしただろう。想像してみても、その答えはなかった。康介は単独で行動し、罪を一人でかぶった。俺の場合は違う。かけがえのない仲間の生死にも、俺は責任を負っている。その重さは、康介が味わわなかったものだ。
逡巡は数秒のことだったろう。俺は革命の遂行を選び、渚たちを見捨てる決心をした。だが、絞り出した声はまったくべつのことを指示していた。
「みんな、一旦止まれ」
「生徒全員、自分の席に戻れ」
片桐がそう吐き捨てた瞬間、俺は壇上から駆け出した。依然として渚は、銃を頭に押し当てられている。だが、この作戦に命を懸けるのは俺一人でいい。
担当官席に向かって、俺は渚の代わりになるつもりだった。
逸脱という汚名を着て、銃で撃ち殺されるかもしれない。だがそれでいい。康介も同じ気持ちったのだと思う。
なぜなら大切な仲間を見殺しには、決してできな――
そのとき、銃声が響き渡った。
渚が撃たれたのか?
まさかという思いで、片桐の手元を凝視したが、彼が握っていた拳銃は絨毯敷きの床に滑り落ちていた。そして、もんどりうって倒れ込むその長躯が、渚の体に覆いかぶさる。銃で撃たれたのは片桐のほうだった。彼の鼠蹊部は小刻みに脈打ち、そこからは真っ赤な血が吹き出していた。
俺は息をのみ、考えた。誰が片桐を撃ったんだ?
視線をめぐらせると一人の男性が、硝煙の立ち上る拳銃を構えていた。来賓席に陣取る正装した海兵自衛官だった。制帽を目深にかぶっているので目許はよく見えなかったが、面だちにどことなく見覚えがあった。その理由はたちどころに判明した。
「和希くん、あなたは優しい人間ですね」
柔らかく諭すような声音に、はっきりと聞き覚えがあった。
――ひょっとして……美琴先生?
そう言えば、首領様が言っていた。先生は自衛官だと。
桐生美琴。中等科の三年間、俺たちセレブレを家族だと言って育ててくれた元担当官。H組の生徒たちは、ひげが濃くて男らしい外見と名前のギャップで笑いをとるのが大好きだった。そんな先生が目の前で、拳銃を片手に突っ立っている。
「美琴先生?」
もう一度、声に出して言う。
「覚えていてくれたのですね、とても嬉しいですよ」
制帽をわずかにずらした先生は、慈愛のこもった視線で俺のことを見つめてきた。その片手には銃とはべつに端末が握られており、カメラレンズがこちら側を向いている。
先生が手首をくるりと返すと、画面にはSNSアプリの配信動画が流れていた。しかしそこに映し出されていた動画は講堂ではなく、驚愕に染まる俺自身の顔だった。




