†:革命を継ぐ者 2
康介と俺の関係が始まったのは、今からはるか昔、初等科の高学年の頃だった。
H組の人数も多く、クラスが雑然としていたことを覚えている。その頃のH組は、女子ばかりを集めた完全な女子校状態で、俺たちは病気のことを自覚していなかったが、すでに康介と俺は、自分のことを「俺」と呼び、そのためクラスから浮いていた。
互いに変わり者同士、仲が深まるのはあっという間だったと思う。俺たちは気に入った漫画を貸し借りし、共通の趣味を一緒に楽しんだ。性の不一致が明らかになったことで仲は一層深まった。
そして和希さんが和希くんになり、他のクラスメートとの溝は無視できないほどになっていった。おそらく異性として意識し合うようになったからだろうと思う。俺自身、クラスの委員長を務める聖良に関心を抱き、切ない恋というものを知った。俺の体が女子である以上、親しくなることに躊躇いが生まれたからだ。
他方で康介だが、特定の人間を好きになることは一度もなかったという。康介は博愛主義者だった。好意をもった一人の相手をとことん愛するより、より多くの対象を広く薄く愛した。そうした感情をあいつは「友愛」と呼び、地下施設で暮らすセレブレ全員を大事にしたいと言っていた。そんな変わり者の中でも輪をかけて変わり者だった康介を俺は羨ましく思った。
中等科に上がった俺たちの仲間に渚がくわわった。あいつも俺たちと同じく、性に問題を抱えていた。思春期を迎え、性の不一致は、自分を苛むほどになっていたのだと思う。少なくとも俺はそうだった。だから他のはけ口を求め、勉強に打ち込んだりした。学年で一位をとり、クラスでのポジションは急激によくなったが、成果はそれだけだった。
今にして思えば、康介は日々男らしくなっていくおのれの内面をどう捉えていたのだろうか。一つだけはっきりしているのは、彼には迷いがなさそうに見えたことだった。確固たる自分の考えを持ち、男性である自分を受け容れているように見えた。無理をしている様子はなく、どこまでも自然体だった。勉強嫌いのせいか、成績は常に低空飛行だったが、それとは裏腹にやたらと弁の立つ奴だった。
ある日の弁論授業のこと。俺は、康介と向かい合った。テーマは「対テロ戦争の是非」だった。弁論とは一種のテクニックだから、肯定側に立とうが否定側に回ろうが、レトリックを駆使して周囲を説得するのが目的だ。
康介は、くじ引きで自分の主張に沿う否定側の立場をとった。あいつは不滅の裁き作戦を独特の論法で言い負かそうとした。
「テロリストたちがのさばるのは、自分たち民主主義国家に自由という理念があるからだ。彼らはそこをセキュリティホールとして攻撃をしかけてくる。テロリストとの戦いとは、領土をめぐる争いではなく、自由をめぐる戦いなんだ。戦争肯定派はそう考えるだろう。ところが実際起きていることは、憎悪と憎悪の戦いだ。抑圧されたイスラム過激派たちの憎悪、彼らに大事な人の命を奪われた市民たちの憎悪。こうした負の連鎖は戦争では解決することができない」
最初はいかにもな否定意見を述べた。当然、俺は反論をした。
「旧ユーゴスラビアの内戦では、欧米の軍事介入によって虐殺の連鎖が壊された。不介入主義が理想論にすぎないことは歴史的にも明らかだ。中東への軍事介入はそうした歴史的経緯を背景におこなわれている。それにテロリストの存在が、民主主義国家の掲げる自由という理念を脅かしていることも見逃すわけにはいかない。康介が言ったとおり、これは自由をめぐる戦いだ。本当の自由を取り戻すためにも、テロに屈してはならない」
歴史的背景という言葉に人は弱い。前例は説得力を増すからだ。
しかし康介は、びくともしなかった。彼は次第に自分の主張を明らかにし始めた。
「旧ユーゴと中東情勢は比較することができない。前者の場合、欧米はムスリムの肩を持った。だが、後者の場合、敵も味方もムスリムだ。これは本来、穏健派ムスリム対過激派ムスリムの戦い、あるいは過激派ムスリム同士の戦いなんだ。
俺はイスラムのことはイスラムに任せるべきだと思う。さもなければ、過激派に欧米社会を破壊する口実を与え続けることになる。イランのような国家が理想なら、イスラム国家はみなイランになればいい。それを肯定するのか否定するのかは、彼ら次第じゃないか。そこを俺たち民主主義国家の側が否定しようとするから、テロが収まらないんだ」
確かに、欧米はイスラムがみなトルコのようになることを望んでいる。世俗主義を採用し、近代的な市民社会と融合することを是としている。なぜならそれらの価値は、グローバルなものだからだ。世界が単一の価値によって統治されること。過激派イスラムはそこからこぼれ落ち、べつのルールを打ち立てたいと願っている。そしてそれゆえに、凄惨な虐殺を繰り返してきた。
「康介は忘れているようだが、内戦によってたくさんの民間人が殺されてきた。人道的な立場からそれを見逃すわけにはいかない。不介入主義は、彼らを見捨てることと同義だ」
俺はグローバル国家群には、収束しない虐殺を止める責任があると思っていた。だから口にした反論は、自分の意見そのものだった。傍聴側に回っているクラスメートも、俺の発言に頷いていた。一般市民の虐殺こそが、戦争が始まった発端である。その事実をみな思い出したのだが、そこから康介はなおも主張を繰り出してきた。
「介入主義の本当の目的は、民間人の死を止めることじゃない。世界をグローバルな価値観で統一することだ。いわば世界政府を志向しているわけだ。テロとの戦いは、世界政府をめざすか、それとも分断された世界を受け容れるかの対立だと俺は思う。
そして俺は、世界は分断されたままでいいと思う。単一の宗教の代わりに、俺たち人類はグローバルなシステムを打ち立てた。だが、その達成を重んじるあまり、俺たちは異質なものの存在を甘く見るようになった。世界の本質は統一ではなく、孤立だ。人間がそうであるように」
話が大規模なことになってきた。これ以上議論を交わすと、互いの人間観に分け入ってしまうことになる。弁論授業が求めるのは、そうした根源的議論ではなかった。俺が下りるか、康介が折れるか、待っているのは二者択一だった。
それを自覚したからこそ、俺は話を収束させようとした。
「なあ、康介。おまえはテロが過激な奴らの自己実現装置になっていることをどう考えている? 自分を大きく見せたがるのは人間の性だ。一度、戦争という味を知ってしまった連中は、市民社会に戻れないんじゃないか。不滅の裁き作戦が止んでも、あいつらはまたべつの戦争を求めるだろう。そのことをどう思う?」
戦争を求める奴らがいる限り、この世から戦争はなくならない。だとすれば、ベストとは言わないまでもよりベターな戦争を続けるほうがましではないか。俺が終着させようとしたのはそうした解だったが、康介はその誘いに乗らなかった。
「戦い続ければいいと思う。イスラム法による統治を望むなら、そうした勢力がまとまるように争えばいい。さっきも言ったとおりだ。俺は、中東は中東のやり方で争えばいいと思う。
王族による支配が嫌なら打倒すればいい。近代主義を打ち立てたヨーロッパもそうして戦争と革命、多くの流血を繰り返してきた。同じことが中東でも起きるだけだ。イスラムは遠からず、EUのような独自の共同体をつくるべきだと思う」
「イスラエルの立場を無視してもか?」
「核兵器がある限り、彼らは自存できる。過剰防衛は許されないが」
分断した世界を受け容れろ。康介はその立場を崩さなかった。俗物的な戦争反対派が述べるような安っぽい平和主義とも違っていた。彼は独自の世界観を持っている。反論する手札を失った俺は、傍聴席のジャッジを待たずに白旗を揚げた。




