†:母になり損ねた女 10
「鷹木大臣」
広い会議場に委員長の声が響き渡った。わたしはそれに反応して立ち上がり、答弁席まで歩いた。机に資料を置き、マイクに息を吹き込んだ。
「今の西村議員の質問ですが、少年Hの処遇については、少年法の枠内で処理されます。マスコミが犯人である少年の情報公開をあらためて申し入れてきていますが、こちらについても、具体的な回答をするわけにはいきません。また、組織的な隠蔽という誹りも的を射たものではありません。生徒の処分はあくまで更正の対象となるべきだからです」
「回答ゼロでは隠蔽と変わらんよ」
判で押したような答えに、西村議員は渋い顔で言った。
「せめて処分の内容だけでも教えなさいよ。検察に送られるのか、裁判所どまりなのか。政府の一存でどうにかできると思ったら大間違いだ」
「犯人の年齢は十五歳です。検察に送致するかどうかは裁判所の判断次第です。われわれ政府としてはそこに意見を挟んでいません」
わたしは落ち着き払った声で言って、大臣席に戻った。無論、嘘だった。わたしが答弁したとおり、世間には犯人が少年法により処罰されるものとアナウンスする、それが政府の方針だった。
聞くところによれば、地下施設でも同様の措置がおこなわれているらしい。セレブレの犯罪だという点は隠され、検閲されたニュースが送られているわけだ。内でも外でも嘘ばかり。
しかし、それが大人のやり方である。今この時点で知る必要のないことは教えない。いずれにしろ、二十年後には全てが明らかにされるのだ。セレブレの運用に問題があるかどうか、計画を見直しすべきかどうかは、そのとき考えればいい。
やがて持ち時間が切れ、西村議員は野党席に戻っていった。わたしは小さく安堵の息を漏らし、大臣席で瞑目した。
今こうしていても、瞼の裏には少年Hの死に顔が浮かぶ。彼女は少年法どころか、通常の裁判を受けることなく処分された。処分。体のいい言葉だ。
二十年の時が経つまでの間、もし政権交代が起こったら、政府の嘘は露見するのだろう。そのときわたしは政治的生命を失うだろうか。人ひとりの死に立ち会ったのに、考えることは自己保身ばかり。そんな自分に嫌気がさしていたことは否定できない。
事実、わたしは少年Hの処分に立ち会ったあと、総理と共に東京へ帰る車の中で、自分の手にした情報の使い途を考えていた。
後世に残すためという美名を盾に、わたしは本来秘匿されるべき事実を知った。政府を裏切ることは簡単だった。わたしは大臣就任以来、セレブレに関する出来事は全部ログに残している。それを世間に公表すればいいのだ。新聞社に送りつけてもいいし、コネのある出版社に持ち込んでもいい。社会を震撼させるニュースを手にして、きっとマスコミは大喜びするだろう。
事実上、地下施設を管理する海兵自衛隊は、厚労省の代わりに大バッシングを受け、政権さえ危うくなるかもしれない。わたしを信頼した総理は、長期政権を築き始めた矢先に退陣を迫られるのだ。
少年Hの味わっただろう最後の苦しみ、それを見届けたわたしの衝撃は、そうでもしないと解消されないように思えた。あと一つ、自分の背中を押すような出来事があれば、事件の内情を暴露するのに動機は十分だったろう。
しかしそうはしなかった。二十年後を待つまでもなく、今この瞬間にやらねばならないと思い切ることができなかった。少年Hの弔いのため、彼女を死に到らしめた大人たちを告発することができなかった。なぜだろう、と今でも思う。
総理に貰った信頼を裏切れない、その思いは確かにあった。これから社会へ出るセレブレを世間の風から防ぎたい、その気持ちもなくはなかった。情報を出したところで、野党には政争の具にされ、マスコミには商売のタネにされるだけ、そうした冷静な判断も当然あった。
しかし結局のところ、わたしは自分の娘にこれ以上つらい思いをさせたくはなかったのだ。他のセレブレは関係ない。ただでさえ親に見捨てられ、一人で社会に出る愛しい我が子を守りたい。今さら親の顔をしても恥ずかしいばかりだが、家庭もなくし、嘘にまみれたわたしが抱く、それが唯一本物の答えだった。
そんなわたしにできることと言えば、自分のついた嘘を引き受けることだ。セレブレ計画は問題なく運営されている。少年Hの出来事はイレギュラーにすぎない。成人年齢を下回っているから、家庭裁判所に全てが委ねられている。彼女の名前など、決して公表することはできない。
真実がどこにあるかなんて、もはやこのわたしでさえ知らない。地下施設がどうなっているかさえも、詳細は把握していない。できることはただ、元監督官庁の人間として、矢面に立ち、情報をコントロールし続けること。燃え上がった炎が消えるまで、これからもずっと。
忸怩たる思いが心を苛んだ。しかし大人は、心にもないことを行動に移せるから大人なのだ。母親としての自分は、この間処刑がおこなわれた場所に置いてきた。何が真実で、何が正義だったのか。その答えは、二十年後の人びとの審判に委ねたいと思う。わたしは粛々と公務をこなすのみだ。
「鷹木大臣」
ふたたび委員長から指名が飛んできた。わたしは背筋を伸ばし、席を立った。
偽りの自分を黙認し、仮面をかぶり続ける決意を再確認しながら。




