†:母になり損ねた女 3
前回は、厚労省と海兵自衛隊がセレブレという果実を分け合い、裏で結託していたのだろうということについてお話ししました。
地下施設の担当官は双方の出向者で占められ、本来教育行政を担うべき文科省の人間は一部しかいないようです。断定調で語れないのは、官僚側が具体的な数字を出さないからです。
わたしは厚労省に関する情報閲覧の権限しか持っておりません。しかも厚労省の人間は、出向する際、過去の所属や経歴といったログを消されており、セレブレ計画の機密については、戦略統合会議を統括する官邸が一手に握っている状態でした。
したがってわたしは、官邸が機密解除した情報しか知りませんし、総理や官房長官が私的に語る話以上のことを知りうる立場にないのです。
ところで現在、セレブレの生徒による警察官殺害事件が起き、厚労省はその対応に追われていますが、その立場を逆手に取って、担当官からの事情聴取の段取りをつけています。そこで情報が得られれば、この手記にも反映させる予定です。
二十年後の情報公開に備えて、わたしは自分が知りえたこと、少なくとも知ろうとした過程をここに残しておくつもりです。戦略統合会議の人間が「首領様」と呼ぶ人物は、中でも重要な情報の一つです。
首領様とは何者か。会議の出席者の話を総合すると、地下施設の最高責任者として担当官たちを束ねていた存在のようです。もし厚労省の人間だとすれば、人事記録にログが残っていないことから察するに、すでに退職したか、内閣府に籍を移したものと思われます。
そんな正体不確かな人物が地下施設の頂点に君臨していた。異常なことだと言うほかありません。現にわたしは会議の場で疑問をぶつけ、会議の事務局長である内閣府の人間を難詰しました。ところが彼の答えが傑作です。「答える権限を持たない」と言うではありませんか。
他の担当官たちの所属はおろか、彼についても機密扱いというわけです。仮にもわたしは、会議の一翼を担う厚労省の大臣です。そんなわたしを相手に情報秘匿とは、政治主導が聞いて呆れます。
では、どこなら権限を持っているのか。再度の問いかけに事務局長は答えました。「権限を持っているのは海兵自衛隊」だと。ならばと海兵自衛隊出向の制服組に問い直すと、彼らはこう答えました。「われわれはそのような存在を認識していない」不機嫌そうな顔をした制服組の仏頂面が今こうしている間にも頭に浮かびます。
勿論、それは矛盾した回答でした。なぜなら会議の面々がかわしたであろう過去の議事録には、首領様という単語はコードネームのようなものとして、ごく自然に頻出していたのですから。まるで自分一人が蚊帳の外に置かれた気分でした。わたしは頭にきて、彼らの秘密主義を攻撃しました。大臣就任以降、セレブレ関係の資料を大量に読み込んできたことを梃子に、彼らの重い口を開かせようとしました。
「首領様の存在を認識していないという山辺一佐の発言には矛盾があるのではないでしょうか。わたしが閲覧したデータによると、元厚労省の医官一名が、計画の発足以来、頻繁に地下施設を尋ねていることが明らかになっています。目的は運営状況の視察、及びH組生がつくった詩作の鑑賞、そしてその表彰。名前は黒塗りでシークレットとなっていますが、わたしはこのような行動をとっていた人物こそ首領様だという疑念を持っています。そもそも地下施設の最高責任者さえ機密扱いとは、政治家を馬鹿にした話です。わたしは国民の付託を受け、こうしてこの場にいるのですよ。官僚主義もいい加減にしていただきたい」
わたしは力説しながら、山辺一佐ではなく、その向こう側にいる総理の顔をじっと見つめ続けました。
「繰り返しになるが、われわれはそのような存在を認識していない」
もう一度意味のない発言をし、山辺一佐は黙り込みました。軽い神輿として担がれた、当選四回生の大臣など相手にしないということでしょうか。
わたしは席を立ったまま、なおも総理の顔を凝視しました。役人は相手にならない。情報を引き出すなら、彼らの上に立つ人物を動かす必要がありました。しばらく睨み合いが続いたあと、総理は厳粛な調子で口を開きました。
「鷹木大臣」
わたしのことを見返し、無感情な声で言いました。
「あなたは情報公開に熱心でしたね」
それは問題の矛先を変える発言でした。わたしは「はい」と答えました。
「官僚側は、あなたのそうした政治姿勢を警戒しているのですよ。セレブレ計画の詳細は、二十年後をめどに公にすることが法令で決まっている。しかし情報の中には、残すべきものと、残さないことで意義を持つものと二つある。
そしてもう一つ、残すべきかどうか、判然としないものがある。セレブレの第一期生はまだ社会に出ていない。くわえて海兵自衛隊が担当官として関与している以上、セレブレに関する情報は軍事機密でもある。そんな不安定な状態で情報をいたずらに拡散させるわけにはいかない。たとえ大臣であっても、厚労省の枠を超えた情報にタッチさせるわけにはいかない。そのような問題認識を共有して貰えないだろうか」
総理の言葉は重い。なにせ戦略統合会議の議長なのですから。
わたしは自制を説かれ、忸怩たる気分を味わっていました。情報公開に熱心なことは悪いことでしょうか。
二十年後、セレブレ計画を評価する上で、全ての情報を残すべきとわたしは思っています。今こうして肉声を残していることからも、その前向きな姿勢がわかっていただけることでしょう。
しかし総理は、そんなわたしのスタンスこそが問題だと言ったのでした。ならば官僚の警戒心を解くべく、方針を変えるべきでしょうか。わたしの答えは断じて否でした。情報公開の促進はわたしの数少ない政治信条の一つでした。
「納得がいきません。首領様は厚労省の医官ではないのですか?」
その質問に総理は答えませんでした。
「せめて秘匿性が高い理由だけでも教えてください」
すがりつくように言うと、総理が顔をしかめました。隣に座る官房長官に耳打ちをし、何ごとか会話をかわし、ふたたびわたしの目を見据えてきました。
「大臣がこの件にこだわるのは、公的な動機かな? それとも私的な動機かな?」
「無論、公的な動機にもとづいています」
総理の質問は、わたしの痛いところを突いてきました。なぜなら本当のことを申しますと、わたしの中で厳密な公私の区別はできていなかったからです。そしておそらく総理は、わたしの抱える個人的事情について知っていたのではないかと思います。
「本当だろうか?」総理はなおも食い下がります。
「はい」わたしは意地になって答えました。
「やれやれ……」
そんなわたしにうんざりしたのでしょうか。総理は息を吐き、こう言い添えました。
「わかりました、一つだけ教えておきます。首領様の秘匿性が高いのは、H組の育成に関わっていたからだ。あれは地下施設の中でも特別な位置づけにある。今はこれ以上のことは話すことができない。鷹木大臣、納得してください」
「承知しました。総理がそこまで仰るなら、黙らざるをえません」
わたしは不承不承といった体で、頭を下げ、着席しました。
このときのわたしは、些細な情報を出し惜しむ会議全体の空気に反発を抱かざるをえませんでしたが、のちにそれがきわめて妥当な判断だったことを痛切に感じました。なぜなら会議から一週間後、セレブレによる警察官殺害事件が起き、その犯人が施設の中でも特に秘匿性の高いH組生だと判明したのですから。




