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†:母になり損ねた女 2


「小説のような世界が到来したことに国民も戸惑っているのではないでしょうか」


 議員宿舎に戻ったとき、秘書官が漏らした台詞が笑えた。

 冗談を口にするタイプではないだけに、なおさらおかしかった。


「身勝手なものね」

 デスクチェアに座り、頬杖をつきながら、わたしは語気を強めて言う。

 身勝手というのは、国民のことだ。


 野党は当初から、セレブレ計画には反対だった。原発事故を引き合いに出し、隠蔽体質で管理の甘い官僚組織に委ねることはできないというのが主たる理由だったが、計画の発足以後、厚労省の起こす度重なるトラブルを経験したわたしたち政治家にとって、野党のお歴々たちの慧眼にはひれ伏さざるをえない。現にこうして今も、与党の代表者として彼らから総攻撃をくらってる。


 態度を変えたのは国民のほうだ。単性生殖的にデザインベビーをつくれることが法的に可能となるに際して、大衆の後押しは決定的だった。

 先進国の中では、理論的に可能なこの技術を不採用にしている国もあるくらいだ。しかし日本はその先頭を切って、セレブレを社会に受け容れることにした数少ない国家の一つとなった。


 出生率の向上が政策的課題になり続けていた中、非婚姻者でも子供を持てる未来の到来は、科学技術の達成として、大いにもてはやされた。その裏に、最新鋭兵器を運用できる兵士の養成と、枯渇した臓器移植市場を潤す提供者の育成が含まれていたとしても、大衆はイエスと答え続けた。そのクライマックスは国民投票だったが、推進派は地滑り的な勝利を収めた。


「実際に運用が始まれば、トラブルは必至。わたしたちはその中で不断の改善をしていけばいいというのに、すぐに始まったのは揚げ足取りとヒステリックなセレブレ蔑視。くわえてあの西村とかいう議員、海兵自衛隊が組織の中枢を握っていることを知っているなら、防衛省を矢面に立たせるべきでしょうに。頭にくるわ」


 わたしは秘書官を近くに呼び、二つの指示を出した。

 一つは防衛省との交渉だ。厚労省にばかり責任を押しつけて、本当に腹が立つ。

 もしセレブレ導入時の厚労大臣で、与党の派閥領袖でもあった龍田(たつた)先生がご健在なら、このような屈辱を味わわずに済んだだろう。先生の早すぎる死が、官僚の力関係を変え、おそらくそれが地下世界にも及んだのだ。


 もう一つは、機密漏洩の洗い出しだった。西村議員が発言した「実験的に導入した特別なクラス」というのは、セレブレ計画の最高意思決定機関である戦略統合会議において、通称「H組」と呼ばれるクラスのことだ。


 この組織に関しては、表に出てくる情報が限りなく少ないため、わたしにとっても謎が多い。生徒による警察官殺害事件で後手に回っているが、謎を明らかにすべく、内部にいた人間から直ちに事情聴取をしたいと思っていた。その権限を持っているのは官邸だけだ。


「要望はそれだけでしょうか」

 秘書官は腰を低くして言うが、わたしはその物言いに引っかかりを覚えた。

「要望ではなく、指示よ。間違えないで頂戴」

「申し訳ありません」

 慇懃に言って、秘書官は部屋を出た。これから市ヶ谷に向かうのだろう。


 わたしは一人きりになった。幸い決裁書類は空で、手持ち無沙汰になった。

 ――例の作業をやるか。

 セレブレの起こした事件のあと、ここ一週間ほど、ひそかに着手していることがあった。

 わたしは十年来、セレブレ計画の推進者として関わってきた政府側の人間だ。のちの情報公開に備えて、その貴重な肉声を残しておこうと思ったのだ。


 法令で定められた規則ではあるが、ここまで積極的なのはたぶんわたしだけだろう。しかし将来セレブレ計画を評価するにあたって事実は何より意味を持つ。特にこの計画は、導入の賛否こそ国民に開かれていたが、組織の内実に関しては官僚主導で決められた経緯がある。政治の力とは、そこで生じる闇に光を当てることだ。


 わたしはパソコンを立ち上げ、普段答弁用のスピーチ原稿をつくる自動文字起こし機能を使って、肉声を文字にし始めた。それは承前の発言を受け、地下世界を牛耳ってきた、通称「首領様」と呼ばれる監察官への疑義を呈するところから始まった。

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