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†:愛に飢えた子供 3


 一体何が僕をここまでかき立てたのだろう。


 理由は単純だ。人間性を発揮して、よりよい奉仕先を得ること。僕の理解では、H組生は「人間性」というゴールをめざして互いに競争しあっていた。一般生徒に課せられたべつの使命、すなわち臓器提供者になるか、戦場に送られる人間兵器になるかの二者択一を乗り越えるべく、実りのある人生を求め、長いマラソンレースを続けていた。


 そのレースの先頭走者はずっと康介だった。学年一位の和希がその次で、三番手が僕だった。僕は和希を抜き、康介に追いつくのが目標だったが、和希には追いつけても、康介をとらえられる自信はなかった。康介は何もかもが異質だったからだ。


 寡黙で物静かな康介は、クラスの中心人物でこそなかったが、底知れない存在感を放ち、クラスの空気を確実に彼の色に染めていた。

 明るい太陽のような奴ではなく、ほの暗い光で夜を照らす、控えめな月のような奴だった。

 おかげでH組は中等生らしい馬鹿騒ぎとは無縁な、思慮深く落ち着き払った印象のクラスになった。その意味で彼は担当官に近い。生徒への影響力という点で、美琴先生に勝るとも劣らないものがあった。


 そして人望というのだろうか、常に数人の生徒が彼を取り囲んだ。しかもクラスの中心人物である和希や渚が彼の友人だった。


 人間関係だけじゃない。普段は本や漫画に耽溺するだけの彼が、討論の場となるとがらりと人が変わり、その弁舌は冴え渡った。

 学級会の論点を明確にし、テーマを掘り下げるのがうまかった。ある日の議題は「勇気」だった。戦場に赴く勇気じゃない、もっとデリケートで具体的ななものだ。


 ――君は仕事帰り、ホームレスとなった友人と出くわす。君は友人を憐れみ、自宅につれて帰って風呂に入れてやろうとする。しかし移動手段は電車しかない。つれて帰ろうとすれば、悪臭で不快になる乗客が多数出ることだろう。君はそのとき、友人を助けてやるだろうか。


 僕たちはホームレスを見たことはないが、それがどういう存在かを知っている。

 電車に乗ったことはないが、本や映像で見たことはある。そこがいわゆる公共空間であることも知っている。


 大人びた思考を持つH組生たちは、公共空間では不快さが忌み嫌われることを理解している。だが康介は、ディスカッションタイムにおいて堂々と主張した。たとえ九十九人を不快にさせても、残りの一人を救えるのならば人間は行動に起こすべきであり、それこそが勇気なのだと。


 誰かが言った。

「それは理想論ではないですか」

 康介は言った。

「俺は現実的な理想を語ったつもりだ。俺の主張は非現実的だろうか」


 誰かが言った。

「べつの交通手段を利用するべきでは?」

 康介は言った。

「タクシーを使えというのかい。あの馬鹿高いタクシーを。それこそ現実的じゃない」


 誰かが言った。

「何もしないのも勇気なのでは?」

 康介は言った。

「そういう勇気があるのは認めるけど、憐れみの感情はそれに先立つ」

 やがて賛否を口にするでもなく、押し黙ったH組生たち。そんな奴らをしりめに、僕は反論を試みた。


「康介。君が言っていることは間違っている」

 友人を助けるという考え自体、そもそもおこがましいものだが、憐れみの感情は誰しも抱くものだし、それはいいとしよう。しかしわざわざ家につれて帰ることは、問題解決になっていない。助けるという行為は、もっと本質的でなければならない。


「僕なら金を渡す。友人は風呂に入れる。温かい食事もとれる」

 そして何より、乗客が不快を味わうこともない。公共空間は平和に保たれる。そこまで見越して身銭を切ることこそ、本当の勇気だ。


 合理的な答えはそれしかないと思ったし、ゆえに康介の立論を崩したという自信もあった。だが、そこからが奴の真骨頂だった。


「琉架。君の主張は半分正しいけど、半分間違っている。確かに金は、ホームレスの友人に様々な恩恵をもたらすだろう。金は万能だからだ。


 けれど施しを受けた側はどう感じると思う? 君は金を渡した。そしてその場を立ち去った。あとに残された友人は何を思うだろう。遠ざかる君の足音を聞きながら、惨めさを感じるんじゃないか。どん底に落ちた自分を見られた恥ずかしさが、さらに深まるんじゃないか。


 金はその溝を埋めることはできないけど、自宅につれて帰るという選択は、かつて友人だった頃の自分にホームレスを引き戻す。人間らしく扱われたという温情そのものが、彼を惨めさから解き放ってくれる。金は半分しか解決しない。それに俺は思うんだ。もし金を渡すことで解決してしまったら、ホームレスと君は二度と友人関係に戻れることはないんじゃないか?」


 チェックメイト。僕は白旗を揚げた。


 へ理屈といえばへ理屈だろうと思う。しかし康介の主張には、どこか抗いがたい説得力があった。それを突き崩すには、矛盾するようだが、鋭くて柔軟な論理性が必要だった。僕には柔軟性がないという点で劣っている自覚があった。だから彼を本気で倒す気なら、自分のエゴをむき出しにしないとならないこともわかっていた。


 そう、康介は常に正しい。

 だが僕は、彼が正当化した不快さを誰よりも嫌っていた。不快こそ現代社会最大の害悪だと思っていた。僕は不快なものを嫌い、快適なものを好んだ。僕にとってビジネスやそこにおける他人との関係は、快適さを得るための代償だった。


 この学校の寮が個室だったのは幸いだった。もしも相部屋だったら、僕はおそらく発狂していただろう。個室を思うままにドレスアップできるのが僕の癒しだった。


 自分の中の女らしい部分が明るい色を好み、僕の部屋は統一した色合いの北欧製のデザイナーズ家具で構築されていた。それは僕の内面そのものだった。康介にも、和希にも、世界が与える使命にも邪魔されない僕の城。金ならいくらでもあった。そこは人間性という競争に疲れた僕が羽を休める唯一の場所だった。


 誰も彼もが裏に回れば康介、康介……本当にうんざりだ。

 富を貯めること。それは康介を見下すためのべつな生き方だった。親愛な情なんていらない。友人も恋人もいらない。僕がほしいのは強さだ。金はそれを与えてくれる。シャイロック、君だけが僕のたった一人の味方だ。

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