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†:愛に飢えた子供 2


 僕の中にシャイロックが居着き始めたのは二年前、中等科一年の終わり頃だった。最初から金貸しになろうとしたのではない。きっかけはもう少し些細なことだった。


 この学校では一般生徒は購買にあるものしか買えず、僕らH組生だけが、外の世界の商品を、申告制とはいえ購入することができた。

 そのルールの隙をついて、僕はある商売を始めることにした。

 それは、一般生徒のポイントを現金化してやり、望みの商品の購入を代行してやることだ。


 本やゲームなどの娯楽はH組生しか入手できない品目の規制があったが、服飾品はその限りではなかった。彼ら彼女らはデザインの豊富な衣服を喉から手が出るほどほしがっていた。


 最初は口コミで始めた商売だが、噂はあっという間に広まり、僕はこの代行業を予約制にして、一ヶ月先まで埋まるほどの大盛況となった。担当官から咎められなかったことから類推するに、こうした僕の行為は人間性の発露として黙認されていたように思える。


 もし処罰の対象なら、最初の段階でペナルティを受けている。だがそうはならなかった。僕は大手を振るってビジネスを営み、見事に資本形成をやってのけた。


 その合間を縫って始めたのがポルノの小売りである。少なからぬ一般男子が、そうした「下半身向け」の娯楽を求めていたことは知っていた。


 僕たちH組生には無用の長物でも、彼らにとっては高嶺の花だ。僕はそこに商機を見いだした。

 通常利用する大手ネット書店には、倫理規定上、ハードなポルノは置いていなかったが、成人指定がなくぬるいソフトポルノは溢れていた。

 成人指定さえなければ、中等生でも購入できる。誰もやろうとしていなかっただけで、それはボロい商売だった。


 学校側から掛かる、本やゲームのような規制もなかった。僕はそこから入手したポルノに高い手数料を乗せ、一般男子に売りつけた。

 手元資金の都合から商品は大量に確保できなかったが、限定部数というふれこみで売ると、僕の用意したポルノは彼らの心を掴んだのか、まさに飛ぶように売れた。


 たぶん、その頃だったと思う、僕が一般生徒の中にある動物性を見いだしたのは。あぶく銭のように貯まる金を数えながら、深く得心がいったのだ。欲望に踊らされ、せっかく貯め込んだポイントを刹那的な娯楽で消費してしまう愚かな奴ら。あいつらは人間ではない。刺激と快楽に飢えたエニモーだ。そう、理解したのだ。


 僕はそのとき、世の中の摂理を掴んだのだろう。外の世界のポルノは決して古びることなく、日々刷新していることがわかった。常に新たな商品を仕入れれば、僕の始めたポルノビジネスは成立する。女子のエニモーを相手にすることも検討したが、ニーズはできるだけわかりやすいほうがいい。チャンスを逃す手はなかった。


 僕は手元資金を増やすべく、まっさきにポイントと円を交換する現金化のレートを上げることにした。従来一円=一ポイントのところ、一円=三ポイントとることにした。物を右から左に流すだけで二ポイントの利益が出る。ポイント上の粗利は一気に十倍になった。僕は急増したGポイントを、今度はエニモーに貸し付けることにした。


 金貸しを始める前夜、現金化レートの変更を境に、僕の扱うポルノ商品の価格は三倍にはね上がっていた。本来なら、売り上げが落ちてもおかしくないところだが、エニモーはそれでも新作をほしがった。すでに購入したポルノには早くも飽きが来てしまったというわけだ。


 とはいえ学内におけるポイントの稼ぎ方は、そう多くない。

 学業成績。体育祭の成績。文化祭の成績。特別表彰。そして月々支払われる一定額のポイント。

 これは通常、食費や雑費などの生活費にあてられるべきものである。だが、性に飢えたエニモーたちは、僕が想像した以上に貪欲だった。食費や生活費を削り、それでも足りなくなったポイントを何かで埋め合わせたくなっていた。

 僕には彼らの思考をトレースすることはできないが、彼らが何を欲しているかは手に取るようにわかった。そこに金貸しの機会が転がっていたのだ。


 シャイロックはシェイクスピアの戯曲『ヴェニスの商人』に出てくるユダヤ人の金貸しだ。大仰な台詞回しが鼻につき、僕は戯曲を好まなかったが、『ヴェニスの商人』は軽妙な喜劇というつくりもあって珍しく肌にあった本だ。


 その喜劇の中にあってシャイロックは、喜劇の枠に収まらない人間性を発揮したという点で僕の琴線にふれてきた。人間性。僕たちH組のセレブレがめざすべき頂だった。シャイロックに倣うことで僕はその頂上に辿り着けるかもしれないと思った。しかも舞台は整っており、最初の一歩を踏み出すにはうってつけの状況だった。その日からシャイロックは僕の一人格となった。


 この学校において金はGポイントだ。金を貸す上で、現金のやりとりは必要ない。ポイントを端末越しに移動させる、それに契約書を交わせば取引は成立する。


 貸し付ける相手は、エニモーの中にごろごろ転がっていたが、とりわけ金に困っていそうだったのはパチンコでポイントを失った奴らだ。まずは彼らをターゲットに僕は金貸しを始めた。


 地下世界に外の世界の法は及ばず、ゆえにここに金利制限はない。僕はポルノビジネスで増やしたポイントを十日で一割の金利で貸し付けた。それが妥当なものだったかどうか、答えはすぐ明らかになった。パチンコにはまった奴は、借りた金をさらにパチンコで使い込んでしまうのだ。


 生活を立て直そうとする者はほんの一握りだった。約束の十日が経ち、エニモーたちはさらに貧乏になっていた。エニモー。頭をなくした動物ども。脳の提供はなされないのだし、多くは戦争へと送られる捨て駒なのだから、どんなに馬鹿になってもいいというわけだ。


 とはいえ、生活費のほとんどをパチンコに注ぎ込む奴が出てくるとは驚きだった。金を貸していい相手かどうかを見きわめ、借り手を選ばなくてはいけなかったのだ。後悔しても遅いが、僕は取り立ての手段を講じなければならなくなった。


「通常のレートで購入代行をしてやる。見返りに取り立て屋をやってくれないか」


 僕が声をかけたのは、体力にまさる戦争予備軍のA組生だった。通常レートでは規制対象外の商品を三分の一の価格で購入できる。それを好条件と受け取ったのか、僕が依頼したエニモーは迷うことなく頼みを承諾してくれた。僕は契約書の文言にこう一文を書き加えた。


 ――おまえはシャイロックに金銭を借りた。上記の契約どおり、期日までに所定のポイントを返して貰う。さもなければ痛い目を見ることになる。


 実際、痛い目に遭わさなくても、A組生の脅しは効果をもたらした。パチンコ狂いの奴らも次のギャンブルにポイントを注ぎ込むのをやめ、返済に精を出し始めた。エニモーはエニモーらしく、恐怖にはとことん弱かったようだ。


 僕がやるべきことといえば、彼らからポイントの返済を受けつつ、A組生が増長する前に十分な見返りを用意することくらいだった。僕は彼らと違う。身体能力こそ劣るが、人間としての知恵がある。それによって人をどう動かせるかを知っている。人間の弱点を知っている。巧妙にコントロールすることができる。大人よりもはるかに。


 こうして僕の周囲には、金が金を生むシステムが構築された。僕はエニモーに信用を与え、エニモーは僕に金を納めた。徐々にまともなエニモーもこのシステムを利用し始め、僕の中のシャイロックは、徐々に人間性の高みへと昇りつめていった。果たしてこの学校のポイントの何割が僕の懐を通過していただろう。計算したことがないからわからないが。


 エニモーたちが担当官にチクらなかったのは、バレれば奉仕先に影響すると思っていたからだ。僕らは秘密を共有する運命共同体になった。勿論、たとえバレたとしても、僕はペナルティを受けない自信があった。


 僕の行為が逸脱なら、とっくの昔に罰を下されているからだ。担当官は黙認している。なぜならこれはエニモーにはなせない所業、担当官がH組生に望んだ人間性の発露でもあるからだ。Gポイントが電子端末を通過する音を聞くたび、僕は自分が正しかったことを知り、金貸しの営みに確信を深めていった。


 ただし、シャイロックの顧客の中で、一人だけどうにも始末に負えないエニモーがいたことは述べておかねばならない。ここではその生徒の名前を仮にミキオ・Dということにしておこう。


 ミキオは異常なまでの肥満に苦しんでいたが、彼をそんな境遇に陥れたのは食い意地ではなく統合失調症だった。ミキオはメンタルヘルスに問題が多いセレブレの中でも、きわめて状態の重い患者の一人だったのだ。幻覚に苦しみ、幻聴に魘され、ありもしない存在の影に怯え、一時はクラスの授業も休んでいたという。


「ボクは好きで太ったわけじゃない」

 あるとき泣きながら、ミキオは僕に言った。

「全部クスリのせいだ。あのクスリを飲まなければ、ボクは健康体でいられた」

 ミキオを堕落の道に落としたのは、統合失調症の特効薬、ジプレキサだった。

「ジプレキサさえなければ。食べても食べても飢え死にしそうなんだ」


 ミキオはエニモーにしては人間らしく苦悩していた。僕の中のシャイロックが借金の取り立てをキツくしたことで、ミキオは追いつめられていた。勿論、追い込んだのは僕だ。彼は協力者に雇ったA組生に連れられ、僕が待つ放課後のH組教室に現れた。


「何をする気なんだ」

 怯えるミキオを無視して、僕はA組生に指示を出した。そのデブの首根っこを掴んで、窓の外に突き出せ。

「何をする気なんだ」

 ミキオはもう一度、懇願するように言った。僕は耳を貸さない。

 A組生は念入りに振り付けをされた猿よろしく、ミキオを窓の外に突き出し、眼下の景色を見せた。一年次のH組は、校内でもっとも高い位置にある教室だった。五階建ての建物の、約二十メートルの高さから上半身を突き出されたミキオは、恐怖に震えながら僕の顔を見た。僕は契約書に書き加えた一文をそらんじた。


 ――おまえはシャイロックに金銭を借りた。上記の契約どおり、期日までに所定のポイントを返して貰う。さもなければ痛い目を見ることになる。


 ミキオは金を返さなかった。それどころかポイントは全部食費に消え、手持ちは常にカラという有様だった。


 彼は統合失調症を寛解(かんかい)させる代わりにジプレキサを飲み続け、その副作用である訪れない満腹感と、暴食による肥満に苦しんでいた。


 縦にも横にも膨らんだミキオはまるで相撲部屋のレスラーみたいだった。だが動きは鈍く、A組生は彼を易々と屈服させることができた。脅しにかけられたミキオを見ずに、僕はこう厳かに言った。


「暴食は罪だ。七つの大罪の一つ」


 暴食を生んだのはジプレキサだが、大食いをやめなかったのはミキオだ。医師に指示を守り、節制をしていればこんなことにはならなかった。ある意味パチンコ依存よりタチが悪い。

 食べることは動物の本能だから、本能にしたがっている限り、間違った行動ではないと言い訳ができるからだ。七つの大罪にパチンコ依存はない。僕はミキオと出会うことで、宗教の正しさを思い知った。


 僕が貸した金を食費に使い込み、ミキオは取り立てから逃げようとし、逃げ続け、逃げまくった。ここが地上なら、彼は地の果てまで逃げようとしただろう。

 シャイロックは証文を盾に悪を犯そうとする。ヴェニスの商人、アントーニオーの肉を一ポンド切り取って殺そうとする。僕はシャイロックに倣い、ミキオの無駄な贅肉を切り取ってやりたかった。それができないなら、窓から突き落とし、死をもって償わせたかった。


 自分の中にコントロール不能な暴力性が芽生えていることは知っていた。僕はミキオの約束を信じない。暴食をやめ、きっちり返済するという泣き言を頭から信じない。ミキオは再起不能だ。僕は事前の打ち合わせどおり、A組生に命じた。「――突き落とせ」

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