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セレブレの園  作者: 天ぷら髭寝違えサウナおじさん
第一章 祝福されし者
2/49

†:手紙 2


 皆さんでしたら、絶望という言葉を聞いて、独特な感慨に襲われる生徒は少なくないのではないでしょうか。

 ――死に到る病。

 キルケゴールは絶望のことをそう呼んだみたいですね、有名なエピソードです。


 けれどここで申し上げたいのは、そんな小難しい話ではありません。

 わたしが言いたいのは、絶望というのは、それ単独では存在できないものだということです。

 人間は誰しも欲を持ちます。所有欲だったり、自己顕示欲だったり。それは一般生徒も同じことでしょう。けれどあなた方に限っては、欲望のレベルが一段も二段も高いと高いと思うのですが、どうでしょうか。


 わたしの見たところ、一般生徒が持っておらず、あなた方にのみ発生した事象があります。それは「希望」です。


 人びとが持つ欲というのは現在、つまりは今ここで欲求を満たすことにあります。けれど、希望は違います。希望というのは、人が未来に望みを託すことです。将来の夢、なんてふうに言い換えれば、あなた方には通りがいいでしょうか。


 例えば(なぎさ)くん、正義心が強かったあなたは初等生の頃、困った人を助けたいからという理由で消防士になりたいと願っていましたね。

 わたしが中等生の担当官に赴任するとき、引き継ぎ書類で読みました。その夢を一般生徒に語って聞かせ、担当官を巻き込むトラブルになったことも。


 一般生徒は夢を持てません。より正確にいえば、一般生徒たちは、みずからに課された使命以外の未来を望むことができません。あなた方と違い、彼ら彼女たちは、すでに家業を継ぐことが決まっている職人さんの子供のようなものだと言えるでしょう。


 農家の子供が畑を継ぎ、酒造家の子供が酒蔵を継ぐ。そういった職業の方は、代を継ぐと戸籍の名前まで変える人がいるそうですね。

 定まった未来を自分のものとして生きるという意味で、一般生徒は彼らによく似ています。

「皆さん一人ひとりに大事なお役目があるのよ」というわけです。


 そうした埋めがたい溝があるなかで、渚くんの起こしたトラブルは一般生徒を過度に混乱させるものとして、当時の担当官から強く(とが)められたはずです。


 わたしはそのショックから渚くんが希望を変えたことも把握しています。あなたは消防士になるという夢を咎められたと思い、看護士になりたいと言い始めましたよね。どちらも人のためになる職業だとはいえ、渚くんは思ったはずです、「先生に叱られて、自分の望んだ未来を否定された」と。


 希望が裏切られ、自己が否定されること。絶望という魔物は、そこに生じた隙間から忍び寄ります。渚くんに限りません。皆さんは、多かれ少なかれ同じような体験をしているのではないでしょうか。


 H組は能力主義です。自分が何者になりうるか、それを徹底的に教え込む学級です。

 体力の乏しい子が、警察官になれることはありません。自分の身さえ守れない者に、それを遂行する資格がないからです。


 知能に劣る生徒は、研究職には就けません。もしその子の手先が器用なら、パン屋か家具職人になったほうが幸せだからです。


 H組はそうやって生徒個人の限界というものを常に教え込んできました。

 その最たるものが、夢を見られるのが初等生の頃までで、中等生になれば一度抱いた夢を捨てなければならないという残酷なルールでしょう。


 一般生徒はこうした喪失を味わうことはありません。

 希望を捨てるという身を切り裂くような思いを体験したのは、この学校ではあなた方だけです。

 そして知ったはずです、希望という言葉の本当の意味を。


 けれどそれは、絶望なくしては学べなかったことのはずです。

 卒業式を一ヶ月後に控え、奉仕先の行方が気になっている皆さんは、またしても絶望を味わうのではないかという不満に駆られていることでしょう。


 最初から希望など持たず、ゆえに絶望も知らない一般生徒のほうがどれほどましだろうと、自分たちに過酷さを強いたわたしたちを憎んですらいるかもしれませんね。


 ですがそれは正当な感情なのです。

 希望があって、絶望がある。絶望の深さゆえに、希望はより輝く。

 皆さんは他のクラスの誰よりも希望を大事にしています。そのかけがえのなさを理解しています。いまだ将来を諦めていない生徒一人ひとりに問いかけたいです。「あなたの希望は本物ですか?」と。


 それにイエスと答えられるなら、わたしたちの教育は間違っていなかったと思えます。

 人間として不完全な状態で卒業するのではなく、あなた方の「親」が望んだようにしっかりとした一人前の大人として世に送り出せることになるわけですから。


 この手紙を書きながら、人工太陽の光が弱まってきましたね、そろそろ夕暮れでしょうか。ホームルームでの話程度にまとめるはずが、少々長文になってしまっています。

 お説教はいいから早く本題に入れ?

 何だか琉架(るか)くんが、そんな顔をしている姿が思い浮かびます。


 すみません、もう少しだけ話をさせてください。

 なぜなら今日付けで、わたしは担当官を解任されることになるのですから。


 皆さんが周知のとおり、康介くんの件の責任を取って異動となるわけです。

 いくら監督責任とはいえ、わたしはこの時期に担当を外れることを残念に思っています。先ほどの話に引きつけて言えば、軽く絶望しているわけです。


 けれど繰り返しになりますが、絶望を知らなければ、希望を本物にすることはできません。絶望も希望も知らなければ、あとに残されているのは諦めだけです。

 諦めなら無自覚にできます。

 気づいたときには全てが決定されていて、何の疑問もなくそれに従うこと。


 無自覚のうちに人生を諦め、絶望を知らないだろう他のクラスの人たちに比べ、あなた方は恵まれた環境に育ったとわたしは思っています。


 あなた方は絶望を知り、とても怖れています。

 それは使命を抵抗なく受け容れる一般生徒にはできないことです。希望が叶わないかもしれない。その恐怖心はあなた方を想像以上に人間らしくしています。そのことを悲しまず、むしろ矜持(きょうじ)を持ってください。

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