†:愛に飢えた子供 1
人殺しはどうやって肯定されるのだろう。
僕は神に問いかけた。答えはなかった。でも、僕は神が示した答えを知っている。神は十戒によって殺人を否定し、それと同じ口でヨシュアに殺人を命じた。
そこから導きだせる答えは、容易く想像できる。正当な理由のある殺人は許されるということだ。
「琉架・H。怖れてはならない。戦いてはならない」
神はようやく僕の問いに応えてくれたが、神がそう言わなくても、僕は僕のなすべきところを把握しており、それを実行に移すまでだ。僕――琉架・Hは神を信じていないし、僕は僕以外の人間を信じていない。
ここは学校の屋上だ。人工太陽に照らされた明るく隠れ場所もないようなところだ。
僕はここで公明正大に人を殺す。逸脱した康介の仲間、僕らの家族として育てられた和希・Hを、僕は屋上の隅に追いつめ、首筋を押し込み、空の向こうへ突き落とそうとしている。
体力は互角だが、僕には正当な理由がある。それは力となって現れた。和希は康介という逸脱者を継ごうとしているし、彼が事を起こせば僕らの人生は変えられてしまう。それも悪い方向に。
僕はそんな彼を亡き者にすることで、僕自身の使命を変えたかった。運命。宿命。何と言い換えてもいいだろう。
僕らはこの箱庭で育てられ、固有の奉仕先を持ち、外の世界へと送り出される存在だ。セレブレ。神に祝されし者たちは使命をよい方向には変えられない。降りのエレベーターはあっても、昇りは存在しない。ならば階段で昇ってやるまでだ。人を意のままに動かせる僕には、人の上に立つ資格がある。臓器提供者に選ばれたのは間違いだ。その誤りをこの手で修正する。
「おまえはシャイロックに金を借り、その金を康介に渡した。契約どおり返して貰うぞ。さもなければ死だ。契約書に書いてあったとおりだ」僕は言った。
「殺せるものなら殺してみろ」和希はそう言い返した。
さすがは学年一位。死ぬ寸前にあっても余裕たっぷりじゃないか。
和希を奈落に押込みながら、僕は考える。通常の人間にはありえない特別な出自を持つからこそ、セレブレは完璧な猿として育てられてきた。
人間扱いなんて担当官の自己欺瞞、ごまかしだ。
なのにこいつや康介ときたら、本気で人間になったつもりでいる。尊厳や自由意志。そんな外の世界ですら存在のあやしいたわ言が通じると思っている。
この地下施設を出ても、人間はほんの一握りだ。他の奴らは日々、労働という名の苦役を課され、猿として生きている。この学校はそうした外部の縮図だ。選ばれた一部の人間と、人間だと思い込まされている猿と、自分が猿であることに気づかない猿。最後のカテゴリーは僕らの言葉でエニモーと呼ばれている。
僕は金の力によって猿たちを支配し、霊長の王となった。そんな僕こそ、人間性の体現者だ。担当官たちが決めた使命は絶対に間違っている。
僕は和希の首にかけた手に力をこめた。
「死ね、逸脱者」
康介は死に値する真似をしてこの世界から葬り去られた。聖良は僕に嘘をついた。康介は死んでいる。そして彼を継ぐ者は同じ目に遭わねばならない。僕はその成果を踏み台にして人間になる。外の世界でも、猿を従わせる強者となる。