†:告発者の詩 8
「きのうのきょうですが、聖良がクラスに戻ってきました。彼女は康介に好意を寄せていたようですが、私的な感情に流されず、琉架の尋問に耐え抜きました。渚や和希と同様、身の潔白を自分の体で示したわけです。その立派な態度は褒めこそすれ、貶すべきことではないだろう。聖良、H組は再び、君を受け容れようと思う。クラスメートのみんなも、彼女に歓迎を意を示してくれ。誇り高い聖良に拍手を」
尋問……というより、虐待を指示しておきながら、翌日のホームルームでシンジはわたしのことを讃え、両手を打ち鳴らしました。クラスの人びともそれに続き、わたしはH組から主体性というものが失われたことを痛感しました。
周りを見れば、琉架くんが渋い顔で拍手をしていました。わたしを虐待しておきながら、彼の欲した秘密は出てこなかった。不満はそこにありそうでした。
とはいえその感情は、本来シンジも味わっているはずのものです。彼はわたしたち三人をターゲットにし――現に和希くんが生徒Aだったわけですが――康介くんの意志を継ぐ者を炙り出したかったはずですが、虐待が不発に終わったことへの不満は感じられませんでした。
ですがそれは早計だったのです。なぜならシンジは、クラス全体を見回しながら、恐るべきことを口にしたのです。
「今回、康介と仲が良かったという理由で三人を尋問したわけですが、あいにく彼とのつながりは判明しなかった。これがどういうことを意味しているか、諸君ならわかるだろう。尋問は続けられるべきだ。このクラスには必ず、康介と裏で意志を通じ合わせていた生徒がいる。それが実証されるまで、H組に卒業はありません」
シンジは無期限の尋問を指示したのです。生徒Aが誰かを知っているわたしには、それが無意味な捜査であることは火を見るより明らかでしたが、他のクラスメートにとっては事情が異なります。
特に希望どおりの奉仕先に内定した生徒たちは、連帯責任を負わされることを何としても回避したいことでしょう。尋問――つまり虐待は続く。こうした事態を前にして、わたしはどういう行動に出ればよいのか、深刻な悩みに直面しました。
だけどわたしには、唯一頼るべきものがありました。それは、和希くんとかわした約束です。彼は「ひと芝居打ってくれ」と言い、わたしにある行動を託しました。ホームルームを終え、シンジがいなくなったあと、わたしは和希くんが動きだすのをいまかいまかと待ち構えました。そんな中、先に動いたのは、琉架くんのほうでした。
「常磐先生が言ったとおり、尋問が不十分だったようだ。このクラスに、生徒A、つまり康介のあとを継ぎ、美琴先生からメールを貰った人がいることは間違いない。したがって僕たちがやるべきは、尋問の継続だ。和希、渚、聖良さんと仲の良かった生徒から順番に尋問を受けて貰う」
このときのわたしはまだ、琉架くんが臓器提供者になる運命だったことは知らず、彼が自分の不遇な人生を変えるべく、シンジの意に沿っていたことは、想像の範疇にありませんでした。単純に和希くんを貶めることが目的だと思っていました。なので他のクラスメートたちを巻き込む発言をしたときには、驚きを隠せませんでした。
わたしたち三人と仲が良かった生徒として次のやり玉にあがったのは、あろうことかわたしの友人だった巴と麻由子でした。
「なにそれ!? わたしたち聖良とは何でもないってば!」
美琴先生がいなくなってからというもの、瞬く間に疎遠になった彼女たちですが、ついこの間まで、一緒に学食したりする仲間でした。そんな彼女たちに友人関係を否定されてわたしは酷く落胆しましたが、それでも二人が虐待されるのを指をくわえて見ているわけにはいきませんでした。
「こんなことおかしいよ!」
わたしは渾身の力を振り絞って大声を出しました。それは和希くんと約束した「ひと芝居」の始まりでもありました。
「琉架の奴は尋問の対象を広げる。だから君はまっさきにそれに反対して、クラスの空気を変えるんだ」和希くんはわたしに言いました。
でもその発言は、たんなる芝居ではなく、わたしの本心でもありました。ライターで焼かれる苦痛と、あとに残る惨めさを、わたしは他の人たちに味わわせたくなかったのですから。
「聖良さん、君が反対するとは驚きだよ」
琉架くんは大声を上げたわたしを振り返り、低く暗い声で言いました。
「彼女たちは、友人だった君を裏切って尋問に異を唱えなかった奴らだぞ。そんな奴らを庇う道理はないだろう。僕の尋問を邪魔しないでくれ。それとも君は、このクラスを連帯責任に巻き込みたいのか?」
なにかと言えば連帯責任です。その殺し文句を言えば、クラスメートを思いのままに操ることができると思っているのでしょうが、逸脱を起こそうといている生徒Aが和希くんだとわたしはもう知っています。だから無駄な犠牲を増やす前に、琉架くんの暴走を何としても止めねばならない。それがわたしの行動原理でした。
「この中には逸脱を起こすような人はいないよ。虐待はもう止めて!」
「虐待? これは逸脱を防ぐ正当な裁きだよ、聖良さん」
私の叫び声に、琉架くんは微動だにしません。正義の杖を握っていると思い込み、事実他のクラスメートの恐怖を束ねている琉架くんに、その程度の抗弁は無力なようでした。
彼の指示のもと、巴と麻由子が椅子に縛りつけられました。わたしは精一杯、暴れたのですが、幾人かの生徒に阻まれ、虐待の進行を許してしまいました。やがて体力的に劣るわたしは床に組敷かれ、見上げた視界には二人が恐怖で震える顔だけが映りました。
そのときでした、約束どおり和希くんが現れたのは。
「逸脱しているのはおまえだ、琉架」
教室のドアを開け、包帯を顔に巻いた人が現れたのだから、クラスメートたちは二重の意味で驚愕したことでしょう。外見の痛々しさに全員が息をのみ、またその声から唐突に現れた人物がが和希くんだと気づいたようです。
歩くことには難はないのか、和希くんは静まり返った教室をつかつかと横切り、琉架くんのほうに向かいました。琉架くんは少し後ずさり、「和希……」と言ったあと、声を失いました。でもそれは一瞬のことでした。
「僕が逸脱している? 馬鹿なことを言うな」
強がりなのか人差し指を立て、琉架くんは和希くんを睨みつけました。
「正義の味方にでもなったつもりか? 僕たちは自主的に生徒Aを見つけだすべきなんだ。それが逸脱による連帯責任をまぬがれる最良の手段なんだよ」
「嘘だ。おまえは俺たちに嫉妬しているだけだろ」
和希くんの追及は止まりません。さらに一歩踏み出し詰め寄ると、琉架くんが言い返しました。
「馬鹿馬鹿しい。どう勘違いすればそういう理屈になるんだ? 僕はこのクラスのためを考えているんだぞ」
「違うな。おまえは俺たちの奉仕先が恵まれていると考え、あるいは自分の奉仕先が不遇だったことを嘆き、やり場のない怒りをぶつけているにすぎない。こうした尋問は、そういう私情にかられてやっていいことじゃない」
そこまで言って和希くんは、巴と麻由子を解放しました。二人は椅子から転がり落ち、琉架くんの足下に倒れ伏しました。そんな二人を虫けらを見るような目で一瞥し、琉架くんは和希くんに視線を戻しました。その表情はどこか自嘲ぎみに映りました。
「フン、おまえは僕の奉仕先がどこか知っているのか」
「なに?」
「憶測でものを言うなと言っているんだ。与えられた使命は、決してよい方向には変わらない。そのくらい僕だってわかってる。僕はこのクラスのことを思って……」
「本当にそうなら、琉架。おまえこそ最初に尋問を受けるべきだ」
「僕は逸脱なんてする気はないよ。何しろそれをするメリットがない」
琉架くんの顔から自嘲は消えません。包帯越しに見える和希くんの視線が痛いほど鋭いのに対して、琉架くんの表情はどこかしら軽薄なものでした。
わたしはそこに、琉架くんが精神的にダメージを受けていることを察しました。彼が無理をしているように見えたのです。だからこのタイミングは、和希くんとの約束を果たすチャンスでした。わたしは大きく息を吸い込み、振り付けどおりの台詞を高らかに言ってのけました。
「琉架くん、康介くんは生きてるよ!」
唐突な宣言だったのにもかかわらず、わたしのひと言で教室は静まり返りました。動揺が広がり、空気が軋む音が聞こえるかのようでした。
それはみんなの耳に意外に聞こえたからでしょうか、それとも薄々想像していたからでしょうか。たった一つの反応から真実は読み取れませんが、康介くんのことなら、ひょっとすると彼の生存は本当かもしれない。そんなクラスメートたちの心の声が聞こえてくるようでした。
静寂に包まれた空気を破り、真っ先に口を開いたのは琉架くんでした。
「康介が生きてる……?」
「そう。美琴先生からメールを貰った生徒Aはわたし。みんなは彼の『処分』を最悪のケースだと思っているみたいだけど、違うの。彼は生きている。管理される側から管理する側に変わっただけなの。そしてこの虐待をどこからか見ているの」
和希くんに仕込まれたこの発言が、クラスメートたちにどのような影響を与えるのか、正直わたしはよくわからないでいました。
だけど変化は顕著でした。再び静寂が下り立ち、空気の温度が変わったような気がしました。
美琴先生は、みんなが康介くんのことを迫害しつつ尊敬していたと言いましたし、そんな彼だからこそ逸脱という真似ができたのでしょうが、わたしの発言は「逸脱」の成功を語っているも同然でした。
彼が消えたことを喜んでいた自分が、今度は彼に消されようといている。そんな恐怖心が、教室の各所から立ち上っているような気がしました。わたしと和希くんはクラスメートの心を掌握することに成功したのです。
「……そんなわけがない。君はでたらめを言っている」
たった一人反論をしたのは琉架くん。その発言は和希くんが否定しました。
「委員長の言っているとおりだ。康介は『首領様』に高い人間性を認められた。美琴先生も言ってたことだろ。あいつはこの学校を管理する人間になったんだ。だから自分のあとを継ぐだろう者たちを虐待するおまえの行為こそ、あいつにとっての逸脱なんだ。自主性という隠れ蓑にまぎれてシンジの言いなりになってるおまえこそ、あいつが忌み嫌う人間のクズに落ちている。その転落を自覚しろ」
琉架くんに限らず、わたしたちは康介くんの処分という真実を、この目で見たわけではありません。だからでたらめに聞こえても、発言の蓋然性がある限り、みんなはその言葉を信じる。和希くんが言ったとおりの展開になりました。
現にわたしでさえ、個人的な願望もあり、康介くんの生存に対する確信が高まったほどです。ですから、康介くんを敬遠していた生徒たちにとってこの発言がどれほど衝撃的だったか、想像するのは難しくありませんでした。
「おまえは詰んでいるんだ、琉架」
和希くんの台詞は、一種の最後通牒でした。
わたしが床から立ち上がると、琉架くんの壮絶な表情が見えました。彼は唇を噛み締め、憤怒を浮かべていました。康介くんへの怒りでしょうか、それとも翻弄された自分自身への憤りでしょうか。やがて彼はその感情を和希くんにぶつけました。
「戯言をぬかしやがって! それ以上しゃべるな!」
振りかぶった拳が和希くんの顔面を捉えました。
「おまえこそ、事実を受け容れろ」
さほどダメージを受けていなかったのか、今度は和希くんが殴り返しました。
このクラスで、生徒の殴り合いを見るのは初めてでした。そうなる前に、必ず美琴先生が止めていたからです。ですが今、先生はいません。……いえ、いないというのは間違いですね。このときクラスを管理しているのはシンジでした。
わたしはもし教室に盗聴器が仕掛けられており、担当官がそれをモニタリングしているならば、シンジが飛んでくると思っていました。和希くんと琉架くんの殴り合いは中々決着がつかず、やがて琉架くんが逃げ出すように教室から出ていきました。和希くんはそのあとを追い、わたしも彼の後ろに続きました。
「何をやっている!」
廊下に出ると、反対側からシンジが駆けつけてきたのが目に入りました。クラスで起こった騒動に気づいたのでしょう。その表情は普段の冷静な彼とは別人でした。
「逃がすか!」
和希くんが大声を上げ、階段を上へと駆け上りました。途中、後ろを振り返って、シンジの追走に気づきながらも、彼はスピードを緩めず、琉架くんの背後に追いすがりました。階段を上へ、上へ。二人の駆け足は早く、わたしは段々ついていけなくなってきました。そして気を緩めた途端、わたしは階段につまずき、踊り場のところで派手に転んでしまいました。
「聖良! おまえたちは何をやっているんだ!」
追いついたシンジがわたしを掴み上げ、顔をしたたかに平手打ちしました。担当官から暴力を受けたのはこれが初めてでしたが、相手がシンジなら当然とも思いました。そんな沈着な思考ができたのはわたしが過度に興奮していたからでした。しばらくすると下から猛烈な痛みがせり上がってきて、おそらく足を捻ったことに気づきました。
「おまえと和希は逸脱した。覚悟しておけよ!」
シンジは立派な体格に似合わず、小物のような捨て台詞を吐き、わたしを放置して階段を上へ駆け上がっていきました。わたしは足の痛みでまともに動けず、何とかびっこを引きながら階段を一段、一段昇っていくのがやっとでした……。
わたしがこの日起こった「悲劇」の詳細について知っているのはここまでです。
琉架くんが逃げ延びた屋上に辿り着いたとき、事態はピリオドを打たれたあとでした。本来、屋上に通ずるエレベーターは生徒が使えないものでしたが、わたしは偶然落ちていた担当官用のIDカードを使い、最上階まで辿り着けました。
屋上の扉を何とかして押し開くと、そこには棒立ちになっていた和希くんの姿だけがありました。琉架くんとシンジはいませんでした。
わたしは最初、その意味がのみ込めませんでした。屋上に踏み出すと、和希くんがこちらを見ました。顔に巻いていた包帯がほどけ、和希くんの焼けた肌が露出していました。その様子から、相当の格闘が繰り広げられていたことがわかりました。
「……何があったの?」
わたしは小声で、そう尋ねるのが精一杯でした。
和希くん肩で大きく息をつき、わたしを見つめたまま何も答えてはくれませんでした。ほどけた包帯が人工風にたなびき、彼に代わって何かを語っているかのようでした。
「…………」
和希くんは無言で屋上の下を指差しました。わたしはそのジェスチャーが意味するところを直ちに理解し、恐怖心にかられながら外をのぞき込みました。
そこには二つの赤い花が咲いていました。
勿論、琉架くんとシンジの遺体です。わたしはその場で嘔吐き、涙をこぼしました。
「逸脱しちゃったんだね、わたしたち」
絞り出すように口にできたのは、たったそれだけでした。