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†:告発者の詩 1


 美琴(みこと)先生が担当官を外れて一週間、わたし――聖良(せら)・Hは、憂鬱なときを過ごしました。


 内定した奉仕先も希望どおりでしたし、本当なら人生最良の気分を味わうべきところなのですが、気持ちはいっこうに晴れません。

 その理由の一つは、同級生の全てが意に添った奉仕先に内定したわけではないからです。特に普段から仲の良かった(ともえ)麻由子(まゆこ)がともに大学病院へ内定したことがわたしの気分を暗くしています。


 一週間前、美琴先生が奉仕先を告げたとき、彼女たちはこの世の終わりとばかりに悲しみ、告知の記されたファイルを開いたまま、自室のベッドに倒れ伏し、泣き崩れてしまったと言います。


 それ以来、彼女たちとは会話らしい会話はしていません。この一週間に起きた様々な出来事によって、会話なんてできないと言ったほうが正しいでしょう。

 今もざっと見渡したところ、クラスの半数以上の人たちが自分の奉仕先に不満を抱いているのか、卒業式を控えたH組は、火の消えた暖炉のような有様です。


 美琴先生は、卒業までの間、好きなことに励めと言いましたが、それを実行している人はほとんどいないのではないかと思われます。


 そんな中、自分だけが笑顔でいることは難しいです。わたしは友人たちの悲しみを分かち合うように、暗く重苦しいクラスの雰囲気に染まっています。

 これらの原因は、みずからに与えられた奉仕先に対する不満という理由もあるでしょうが、それとはべつに、やはり美琴先生が退任間際に送られた手紙が影を落としているのではないかと思っています。


 先生はこれまで――とりわけ修学旅行以降、わたしたちが抱いていた様々な疑問を、実に率直な調子で解き明かしてくれました。康介くんの処遇、美琴先生の言葉でいえば「処分」の話は、わたしたち全員に衝撃を与えました。

 H組の学級委員長として、わたしは他の生徒のことを常に気にかける立場にいましたが、富山まで逃走し、警察に捕まった彼のことは、中でも特別な位置づけにありました。

 どういう裁きが下されたのか、個人的な心情からも人一倍心配していたと思います。


 その結果はあなたもきっとご存知でしょう。先生は「処分」というオブラートに包んだ言い方をされていましたが、逸脱した生徒に待っている処罰がどれほど苛烈なものか、想像できないわたしではありません。覚悟を決めた今だからこそ書きますが、康介くんは殺されてしまったのだと思います。少なくとも客観的には、そう理解するのがまともな思考というものです。


 中等科の三年間をあらためて振り返りますと、わたしたちは人間らしくいられる貴重な時間を過ごせたと感じます。


 美琴先生はわたしたち一人ひとりを決して差別しませんでしたし、いつも厳しくも優しく叱咤激励してくれました。おそらくはよい奉仕先を得られるよう、絶えず肉親のような立場から接してくれました。

 先生の言葉を借りれば、わたしたちH組は一つの家族のようでした。

 たとえそれが仮初(かりそ)めのものであったとしても、真夏の蝉が生命を謳歌(おうか)するように、わたしはこの三年という月日を精一杯生きました。


 勿論、そのあとに待ってる奉仕への不安があったのは確かですが、それを忘れるかのように今を生きることができました。康介くんの逸脱はありましたけど、初めて外に出られた修学旅行は本当に楽しいイベントでした。

 わたしは新宿のデパートに行って、以前からほしかったブランドのバッグを買いました。それを携えながら、外の世界で奉仕する姿を想像して、こみ上げる喜びに我を忘れそうでした。

 そうした時間が二度と戻ってこないのだと思うとこうしてペンを取りながら悲しみがこみ上げてきます。


 戻ってこないと言えば、もう一度康介くんと会いたいという思いも、かなわぬ願いでしょう。

 康介くんと同じ班だった女子に聞いた話では、脱走する当日、彼は池袋の街中で絡まれ、喧嘩を売られかけた琉架くんを止めたそうです。

 無駄なことはやるなと言わんばかりに割って入り、代わりに不良じみた人びとに殴りつけられたと聞きます。


 どうして彼は、そこまでして犠牲を払うのでしょう。美琴先生は、康介くんは自己犠牲の化身だと評していましたが、彼の行動原理の謎を解き明かすことはもうできません。問いをかけようにも、彼はこのクラスには戻ってこないのですから。


 詩に定まった形式はない。わたしにそう教えてくれたのは、確か初等科の頃の担当官でしたけど、ここまで自由に書いたものが「詩」として認められるのか、甚だ不安でなりません。

 だけど学内の検閲を通り抜ける唯一のものが、わたしたちの書く詩だということは、それを奨励したあなたがもっともよく知っているはずでしょう。


 今だからこそわかることですが、あなたは、わたしたちの内に宿した人間性を測る基準として詩という課題を与えたのですね。

 初等科から中等科に上がってからも、詩はわたしたちの学業の中心にありました。それは外の世界に送られ、誰かが読む。決定的な証拠はありませんが、長らくわたしたちは、それを読む人物があなただと信じて疑いませんでした。


 そしてその疑問に対して、美琴先生が答えを与えてくれました。首領様は存在する。彼は厚労省の監察官であり、セレブレ計画の推進者としてH組生たちの書いた詩を読みながら、人間的成長を測っている。そんな考えを肯定してくれました。


 わたしは、この詩を首領様――あなたが読んでくれていると心から信じています。だからこそ、美琴先生がいなくなってから一週間、その短い間にわたしたちH組で何が起こったのか、それを生徒側の視点から伝えようと思います。


 学内の事情聴取では話さなかったことをあなたにはお話しします。あなたなら、美琴先生以上の影響力をもってセレブレ計画の歪さを汲み取ってくれると思うからです。

 最初は美琴先生に宛てて手紙を書くことも考えたのですが、あいにく連絡先がわからず、ネットがないのでメールも送れません。それにそもそも、美琴先生がいなくなったH組に悲劇が起きたのは、先生にも多くの責任があると思うのです。


 先生は退任間際、わたしたちに真実を教えてくれました。離別を残念がってくれました。だけどそれらの言動は、わたしたちの気持ちを慮ってくれたというよりも、多分に先生の都合でなされた一方的なものだったとも思うのです。


 康介くんの意志を継ごうとする者に逸脱を唆すような言い方をしたのが最たる例ですが、クラス委員長という立場から言えば、これは最悪の置き土産でした。現に退任演説のあと、H組の人びとが受けた動揺は、美琴先生の想像をはるかに上回るものだったと言わざるをえないでしょう。


 そう断定するのは、先生の代理に就いた常磐慎司という担当官の存在にあります。

 康介くんの末路とみずからの奉仕先を知り、ただでさえ不安定だったわたしたちを、常磐先生は「逸脱」というキーワードを使ってどん底に陥れました。


 そしてH組の特色だった「人間扱い」という縛りを容易く解き放ってみせました。彼はたった数日でクラスのあり方を変え、悲劇はそのせいで起こったのです。

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