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マナーソルジャー

1 圭造さんの日課

2 ことのはじまり

3 マナーソルジャー

4 方針

5 僕だけのヒーロー

6 圭造さんのとまどい

7 窓ガラスの理論

8 圭造さんの日常



1 圭造さんの日課


 坂田圭造は、政令指定都市S市のSB鉄道浅井駅前で自転車預かりを経営している。

 圭造本人も、浅井駅のあるSB鉄道の始発から終電まで、毎日、自転車預かりを勤めあげるのが自分の役割と心得ている。

 昼間の時間帯はシルバー人材センターやパートの人を雇って店番をしてもらっているが、始発から早朝の時間帯と終電までの夜の時間帯はなかなか手伝ってくれる人を探すのは難しい。ただ、終電の時間帯は近くのMM大学の学生君が、バイトで入ってくれている。

 その学生君が真面目な人柄なので、圭造はありがたいと感謝している。

 だから、圭造は始発からの早朝の時間を担当し、毎日朝四時に起きて自転車預かり所を開けている。

 そして、まずは、店の前の掃き掃除をしている。

 圭造の自転車預かり所の経営は安定していて、少ない年金を補うのに余りある収入をもたらせてくれている。圭造はこれはひとえにSB鉄道の浅井駅が、先祖から代々引き継いできた土地の真向かいになったことのおかげだと考えている。

 人にも恵まれ、場所にも恵まれ、圭造は感謝に満ちた思いを持っていた。

 だから、自分が毎朝日課としている掃き掃除を自分の自転車預かり所の前だけで済ませようなどという狭い考えは持っていない。

 自転車預かり所の前から、向かいにある浅井駅の改札口の前まで、感謝の気持ちを込めて掃くことにしている。

 そんなことをしていると、毎朝始発で出勤するサラリーマンや職人達が「おはようございます。」と挨拶してくれる。

 これも圭造にとってはありがたいことだった。

 自転車預かり所という商売が地域社会に貢献できていることを実感できる瞬間でもあった。

 そして、掃き掃除が終わると圭造はいつもちり取りの中を見る。

 そこには、必ず、タバコの吸い殻が数多く入っていた。毎日、30本から40本の吸い殻である。

 1日をかけて、家から駅まで行く人が、駅に着くまでにタバコを吸うことによって、ポイ捨てされた吸い殻の数である。

 自転車預かりをしながらでも、ポイ捨てをする人を見ることがある。

 時にはそれが高校生ということもある。

 圭造はそれを(なげ)かわしいことだと考えていた。

「道徳の崩壊」

 テレビでこのような表現を聞くことがあったが、それが自分の住んでいるこの街でも当たり前のように起こっていた。

 それが嘆かわしかったのである。



2 ことのはじまり


「ネットのニュースサイト、平成2X年6月9日のニュースより」


 今日の午後5時10分ごろ、大阪のK鉄道NB駅で、ホームに入ってきた電車に乗ろうとした中年女性が、車内に乗り込んだところ、スーツを着た男性に銃のようなもので撃たれ、死亡する事件がありました。

 現場は大阪中心部のターミナル駅で、帰宅ラッシュの時間帯でもあったため、一時騒然となり、3万人の足に影響がありました。

 なお、犯人は事件発生時の騒動に紛れ、逃走したまま、いまだ捕まっておらず、警察が非常警戒体制で犯人の行方を追っています。


「このニュースの口コミ情報掲示板より」


 XXXXさんの意見

 俺、実は現場にいたんだけど、この殺されたおばはん、他の人が並んで、電車を待っていたのに、横から割り込んで入っていって、それで中にいたサラリーマンに撃たれて殺されたんだ。

 サイレンサーかなんかしらんけど、音がしなかったから、銃で撃ったって、誰も気づかなくて、犯人のサラリーマンは隣の車両に普通に歩いて行ったので、おばはんの体から血が流れてくるまで、誰も殺されたって気がつかなかったんだ。

 おばはんが椅子に座り込んでいるのが変な感じだったけど、割り込みしやがったんで、寝たふりでもしているんだろうって、周りも思ってたんだ。


 XXXYさんの意見

 みんな並んでいるときに平気に横から割り込んでくる人見ると、死ねばいいのにって思う時あるけど、ほんとに殺されると、なんかおそろしいね。



「ネットのニュースサイト、平成2X年6月15日のニュースより」


 今日の午後5時ごろ、愛知県A区T町の路上で、H区に住む女子高生の2人がコンビニエンスストアを出て100メートルほど走ったところを、銃のようなもので撃たれる事件がありました。

 すぐに駆けつけたコンビニエンスストアの店長が119番に通報しましたが、救急隊が駆けつけたときには2人の心肺は停止しており、間もなく病院で死亡が確認されました。

 事件当時は人通りの多い時間帯であったため、目撃者も多く、警察は目撃情報を分析しています。

 なお、9日に大阪NB駅で起きた銃撃事件との関連性についても捜査しています。


「このニュースの口コミ情報掲示板より」


 XXYXさんの意見

 マスコミってどうして片寄った情報しか流さないんだろうね。女子高生がコンビニから出て100メートル走って、店長が駆けつけてたんだから、万引きして逃げてたに決まっているじゃん。

 どうしてそのことを報道しないんだろう。


 XXYYさんの意見

 つまり、犯人は店長、万引きした女子高生にブチ切れて、後ろから銃殺したんだろ。


 XYXXさんの意見

 成敗執行!



「ネットのニュースサイト、平成2X年6月20日のニュースより」


 今日の午前4時ごろ、東京都C区H町の駐車場で、S区に住む専門学校生の2人が、体から血を流して死亡しているのが発見されました。

 周囲にはスプレーが散乱しており、警察は持ち主の特定を急いでいます。


「このニュースの口コミ情報掲示板より」


 XYXYさんの意見

 最初が電車割り込みばばぁで、その次が万引き女子高生、そして、今度は落書きヤローか。犯人っていったい何者なんだろうね。


 XYYXさんの意見

 これで、万引き女子高生の店長の無実は証明された。警察の張り込みがついてたはずだから、アリバイがちゃんとあるはずだ。



「ネットのニュースサイト、平成2X年6月28日のニュースより」


 今日、午後9時ごろ、福岡県K市で会社員の男性が自宅の前で、銃のようなもので撃たれ殺害される事件がありました。

 家の前で物音を聞きつけた妻が、夫が倒れているのを発見し、消防署に通報しました。

 現場は、住宅が密集している地域であり、犯人を目撃した者がいないか、警察が聞き込みを行っています。


「このニュースの口コミ情報掲示板より」


 XYYYさんの意見

 これって例の連続通り魔の事件だよね。今度はこの男性はどんな悪いことをしてたの?


 YXXXさんの意見

 会社でセクハラしまくってたって噂だぜ。


 YXXYさんの意見

 今までの通り魔事件は捜査を混乱させる目的で行われていて、本当に殺したかったのはこの男性。この男性を殺したかった犯人が、恨みによる犯行だと気づかれないために今までの無差別事件を起こしていた。



「ネットのニュースサイト、平成2X年7月3日のニュースより」

 今日、午後2時10分頃、広島県のN市の中学校の敷地内でこの中学校に通う中学2年生の男子生徒2人が銃のようなもので狙撃され死亡する事件が発生しました。近くにもう1人男子生徒がいましたが、この生徒は無事でした。事件が起こったのは中学校の教員達が通勤に使用する自動車を停めておく駐車場で発生し、その当時、駐車場にはこの3人の生徒以外に誰もいなかったということです。

 N市の教育委員会と警察では事件の起こった時間が授業中であったことから、なぜこの生徒達が3人だけで行動していたのか、無事だった生徒が犯人を目撃していないかなどの確認を急いでいます。


「このニュースの口コミ情報掲示板より」


 YXYXさんの意見

 今度はいじめっ子が殺されました。いじめられっ子は生き残り、いじめから解放されることになりました。


 YXYYさんの意見

 YXYXさんの情報は確か。この学校の裏サイトがあるので見ればわかる。

 → http//www.○○○…



3 マナーソルジャー


「連続通り魔の犯人を語るスレッド掲示板より」


ナンバー001 ID AAABの発言

 まとめておきます。

① 1件目、大阪K鉄道のNB駅で、割り込みをした中年女性を射殺。犯人は多くの人に見られていて、スーツを着たサラリーマン。黒ぶちの眼鏡をかけていた30歳前後の男性という目撃情報。

② 2件目、名古屋のT町でコンビニで万引きをして店長に追いかけられていた女子高生2人を路上で射殺。目撃者は大勢いるも、犯人を見た者はいない。

③ 3件目、東京H町で駐車場に落書きをしていた専門学校生2人組を射殺。

  殺された時間帯は深夜2時から4時の間、目撃者はなし。

④ 4件目、福岡K市で中年男性が自宅前で射殺される。目撃者なし。

⑤ 5件目、広島N市の中学校で、中学2年生のいじめっ子2人がいじめられっ子の前で射殺される。いじめられていた子は生き残ったが、犯人の姿は見ていないと証言している。


 5つの事件とも、武器は銃ではないらしい。弾丸や薬莢(やっきょう)がいっさい見つかっていない。犯人は銃のような威力をもった武器、水鉄砲?空気鉄砲?のようなものを使っているらしい。だから、発砲音もしない。

 4件目以外、被害者は明かなマナー違反や軽犯罪現行犯だったりする。4件目はセクハラしていた、タバコのポイ捨てをしていた、電車で携帯鳴らしていたなど、いろいろな報告があがっている。


 ここでは、この犯人がどのような人物であるかを語りたいと思います。


ナンバー002 ID AABAの発言

 ただのテロリスト。しょせんは人殺し。


ナンバー003 ID AABBの発言

 いや、ある意味、正義の味方だ。

 実際、これらのマナー違反や軽犯罪で迷惑をこうむったことのある人は、殺したいとは思わないまでも、死ね、くらいは思ったことあるはず。

 彼、彼女?はその正義感を実行している。

 正義感を行動で表しているんだからいるんだから、正義の味方だ。


ナンバー004 ID ABAAの発言

 マナーを守らない敵を倒す、マナーを守る戦士、マナーソルジャーだ。


ナンバー005 ID ABABの発言

 テレビのヒーローも、見た目が怪物で、ちょっと人に迷惑かけたら、ワル者だと判断して、ワル者を殺しているんだから、これも正義の味方でいいんじゃない。


ナンバー006 ID ABBAの発言

 こんな奴は正義の味方ではない。暴力では何も解決できない。テレビの子供向け番組といっしょにするな。

 人を殺したくて殺したくてしょうがない奴が、マナー違反とかのちっちゃな理由をいいことに、殺人を楽しんでいるだけだ。


ナンバー007 ID ABBBの発言

 「大いなる力を持つものは大いなる責任をともなう。」

 「相手が殺されて当然の人間だからと言って、お前が殺してよいという理由にはならない。」

 スパイダーマンで出てくるセリフ(のもじり)、子供向けのコミックも馬鹿にはできない。


ナンバー008 ID BAAAの発言

 いや、実際の現実の世界に、正義の味方が現れたら、こんなふうに賛否両論になるのは当然。

 この行動に賛同する者も現れるし、反対する者も現れる。

 ウルトラマンが現実の世界にいたら、きっと地球人の敵だと騒ぐ人間もいるはずだ。

 それと同じ。


ナンバー009 ID BAABの発言

 オレは、自慢じゃないが、情けないくらいマナーを守って、悪いこともせずに生きてきた。だから、今まで損をすることの方が多かった。

 マナーを破ったり、ばれなかったら多少悪いことをする人の方が要領がよくて、得するようにこの社会はできている。

 そんなオレからすれば、マナーソルジャーは正義の味方だ。

 罰を与えてくれているのだから。

 それに、オレは殺される心配はない。悪いことはしないからだ。

 マナーソルジャーを正義の味方じゃないって言ってる人は、すねに傷のある人でしょ。

 うしろめたいことのない人はマナーソルジャーを喝采しているはずだ。


ナンバー010 ID BABAの発言

 4件目の事件がオレにとってはストレスだ~。そのおっさんはどんなことをやってて殺されたんだ。明確にしてくれ~。


ナンバー011 ID BABBの発言

 結局、4件目のおっさんは自宅前のマンホールにタバコをポイ捨てしてたんでしょ。排水口が吸い殻でつまるくらい毎日毎日、会社帰りにポイ捨てしてたんで、近所の人も困っていたという話。


ナンバー012 ID BABAの発言

 サンキュ、011番、これですっきりした。

 マナーソルジャー、最高。


ナンバー013 ID BBAAの発言

 彼が守っているのはマナーではなくモラルですよ。

 マナーソルジャーじゃなくて、モラルソルジャーの方がいいんじゃないの?


ナンバー014 ID BBBAの発言

 マナーソルジャー、次は、カルト教の教祖をやっつけてくれ。


ナンバー999 ID BBBBの発言

 とくかく、みなさん、これからはマナーは守りましょう。

 正義の味方、愉快犯、テロリスト、彼(彼女)が何者なのかは分かりません。

 ただ、どんな小さなことでも、悪いことをしていたら殺すつもりのようです。

 だから、どんなささいなことでも悪いことはやめましょう。正しく生きましょう。車が通らないからと言って赤信号を渡ることさえ止めましょう。

 それが生き残る安全策です。彼(彼女)が誰で、そして、どこでみなさんを見ているか分かりません。

 とくかく、彼(彼女)はまだ、捕まっていないんですから。



4 方針


「警部。」警部補の荒井が声をかけた。

「どうした。」事件の資料を見ていた立石が、引き続き資料の方を見たまま返事をした。

「インターネットではこの犯人、『マナーソルジャー』なんて名前がつけられてますよ。」

 その言葉を聞いて、立石がにらむようにチラッと荒井を見た。

「市民やマスコミはこの手の事件をおもしろがる。われわれとしては困った話だ。」

 立石が時計を見た。もう夜の11時半を過ぎていた。

「遅くなったな。他のみんなはもう帰ったか。」立石が捜査本部の周囲を見ると、もう残っているのは警部補の荒井だけだった。

「目撃者の家を張り込んでいる部隊と、学校周辺の聞き込みに行っている部隊以外は帰りました。」

 広島県警ではこの連続殺人事件の一つ学校内射殺事件に対して捜査本部を設け、100人体制で捜査を行っていた。

 立石のその現場責任者、荒井が立石の補佐である。

「まぁ、徹夜したからといって、何か出てくる事件じゃない。今日はもう帰ろう。」

「はい。」荒井が返事した。

「しかし、武器からして特定できないというのはどういうことなんでしょうね。」荒井が 机の上を片付けながら尋ねた。最近では、机の上に資料を広げたままにすることに対して、非常に厳しくなって来ている。

「銃のようなもので狙撃されているが、弾丸は見つかっていない。もちろん現場には薬莢も落ちていない。薬莢が見つかっていないだけなら、リボルバー式の銃だと言えるが、弾丸さえもないんだから、銃とさえ言えない始末だ。」

「弾丸が残らない銃なんて、世界にあるんですか?」

「知らないね。聞いたことがない。」

「レーザー銃が実は開発されているとか。」

「レーザーなら、傷口に火傷のようなあとが残る。だが、それもない。」

「じゃ、なんなんです。」

「わからない。」立石は荒井と話をしながらであったが、自分の資料はもう片付けた。荒井も資料を片付けたの見て、「よし、戸締まりはいいな。」と言った。

「はい。」荒井は周りを見ながら答えた。戸締まりは先程、確認したばかりであった。

 二人は捜査本部の部屋を出た。

「とにかく、武器からアプローチをするのは止めた方がいい。まるで見当がつかなさすぎる。どこかの軍で開発された武器かもしれんが、それがまったくわからんのだから、追いかけようがない。それに捜査相手が外国政府になってしまう。」

「はは、そうですね。無理な話ですね。」

 立石は荒井の受け答えを聞いて、表情を確認するように見た。

「では、警部は何から手をつけるつもりですか。」

「目撃者だ。」立石は確信するかのように断言した。「この連続殺人事件には夜の犯行もあるが、明るい時間帯か、日のある時間帯の犯行のものもある。」

「1つ目の事件では多くの通勤客が犯人の顔を見ている。防犯カメラの映像でも何人かに候補は絞れている。2件目も白昼堂々人混みの中だった。、ただ、2件目は遺体の傷の状況から10メートルほど離れた所から狙撃されているらしい。たぶん人混みの中に犯人がいたんだろう。だが、きっと犯人の姿を見ている者がいるはずだ。3件目、4件目はおそらく目撃者はなかなか見つからないだろう。人通りの少ない夜の犯行だからな。だが、我々が担当している5件目に至っては昼間の中学校でおこっている。学校というのは、部外者が中に入ると思った以上に目立ってしまう場所だ。中学校の中から部外者が出てきたら、『おやっ』と誰でも記憶に残すものだ。」

「なるほど。」荒井は相づちを打った。

「だが、」立石は力を込めて声を出した。「ただ一人、絶対に犯人を見た者がいる。」

「あの少年ですか。」

「そうだ。自分の目の前で2人が殺されて、1人だけ生き残った少年だ。」

「いじめられていた中学生ですね。でも、遠くから狙撃されて見てないかもしれませんよ。」

「この事件は5件起きている。武器は不明だが、5件とも同じ武器が使われたことは分かっていて、傷跡から射撃距離が推測できている。1件目も至近距離からの犯行だったが、5件目はもっと至近距離から撃たれている。だから、5件目の生き残った少年は犯人が目の前で他の2人を撃っているのを見ていたはずなんだ。」

「でも、本人は見ていないと言ってるんですよね。」

「そうだ。だが、殺されたのは自分をいじめていた2人で、彼は生き残った。」

「警部は少年が犯人をかばっていると?」

「おそらくな。非協力的だと考えるべきだろう。だが、なんとしても口を割らせなくてはならない。マスコミや一般市民はおもしろがっているかもしれないが、犯人がやった行為は殺人なんだ。あの少年にとっては、いじめっ子をやっつけてくれた恩人かもしれないが、俺はそんなことは認めん。犯人は捕まえなければならないのだ。あの少年が犯人をかばうというのなら、あの少年は共犯だ。そうはさせんぞ。」



5 僕だけのヒーロー


 神様なんて、いなかった。


 僕はずっと神様にお願いしていた。

 僕の願いはそんなにぜいたくなことだったのだろうか。

 僕が間違っていて、あいつらが正しかったとでも言うのだろうか。

 あいつらは悪だった。

 僕はいじめられていたんだ。

 屈辱の毎日で、僕は人間ではなかった。

 あいつらにとっては僕はストレス解消アイテムだったんだ。


 僕はそんなつらい毎日が終わるように神様に毎日祈っていただけなんだ。


 だが、神様は聞いてくれなかった。


 ニュースでいじめられっ子が自殺している。

 いじめられっ子が自殺して死んでしまうと、かわいそうだと世間は注目してくれる。

 だけど、今、起こっているいじめには注目してない。

 本当に助けて欲しいのは死んでからじゃない、死ぬ前なんだ。


 そして、誰も僕を助けてはくれなかった。


 だから、僕はある日決意した。


 僕はいずれ死ぬだろう、自殺して。

 そして、あいつらは僕の代わりの誰かを見つけて、またその誰かをいじめるのだろう。


 どうせ、僕が死ぬのなら。


 あいつらを生かしておけば、たとえ僕が消えても、なんの解決にもならないんだ。

 だったら、あいつらを殺せばいいんだ。

 僕が殺人犯になってしまうけど。

 親にも妹にも迷惑がかかるけど。

 それで、将来、あいつらにいじめられる運命にある人達を救うことができるのなら。

 僕は死ぬ前に誰かを救うことができるんだ。


 僕は、あの日、夜中に、家にあった去年の残りの灯油入り10リットルケースを2つ持ち出して、自転車に乗せて、あいつらの家に向かっていた。


 家に火を付けて、あいつらを焼き殺してやる。

 逃がしやしない。

 家族もろともだ。


 そのときの僕の心には悪魔がいた。


 神様はもういなかった。


 その時、あの人が僕の前にあらわれた。


「僕、それで何をするつもりなんだね。」


 僕はその人の姿を見て、その人の声を聞いて、自然と目から涙があふれ出た。

 そして、何も言えなかった。

 僕の足は震えた。僕は(ひざまつ)いて、地面で泣いた。

 本当は僕は意気地なしで、何もできない人間だった。

 その人が僕に一声かけてくれて、僕はもとにもどったんだ。


「さぁ、僕、話してごらん。私なら力になれるかもしれないよ。」


 僕は泣きじゃくりながら、すべてを打ち明けた。

 僕がいじめられていること、そして、これから、あいつらを殺しに行こうとしていたこと。


 その人は、僕の気持ちをわかってくれた。

 その人は約束してくれた。


「約束しよう、私が、きっと助けてあげよう。」


「お兄さんはいったい誰なの?」

「私は悪い人かもしれないよ。警察に追われているからね。」

「絶対、悪い人じゃないよ。正しいよ!正義の味方だよ!」

「ありがとう。だが、正義や悪とは難しいものなんだよ。」


 その人は消えた。僕との約束だけを残して。


 絶対に、僕は警察には何もしゃべらない。

 あの人が、もし世界中から悪者だと言われたとしても、僕にとってはヒーローだ。

 もし、警察に拷問されたとしても絶対にしゃべったりしないぞ。


 あの人は僕にとってはヒーローなんだ。


 僕だけのヒーローなんだ。



6 圭造さんのとまどい


 ある日、坂田圭造はいつものように自分が経営する自転車預り所の前から向かいの駅の改札口までの掃き掃除をし終えた。

「こりゃ、いったいどういうことだ。」と思わず独り言が口から出た。

 彼が手に持っていたちり取りに、タバコの吸い殻が1本もなかったのである。

 他のゴミも少なくなったように感じるが、タバコの吸い殻は確かに1つもなかった。

 昨日まで30、40本あった吸い殻が、今日は全くない。

「不思議なこともあるものだ。」圭造は思った。


 圭造はふと、『もしかしたら、わしが掃除をする前に誰かが掃除をしているのかもしれない。』と思った。ゴミも全体的に少なくなっているので、誰かがすでに掃除した後だと考えるのが合理的であった。


 そう理解した圭造の次の興味は『では、それは誰なのだ。』ということだった。是非とも姿を見て、挨拶の一つでも交わしたいと感じた。


 駅の係員が配置転換になり、新しく来た駅員が駅前を掃除するようになったのかもしれない。それなら、それは立派なことで、本来、駅員とはそうあるべきものであった。


 そこまで考えていると、始発に乗るお客さんが、自転車に乗ってやって来て、自転車を預け始めた。

 圭造はその対応の方に気を取られ、誰かが掃除をしているという疑問については忘れてしまった。


 次の日の早朝、圭造はいつものように掃き掃除をし始めた。

「おっ、そうだった。」

 昨日、掃除した時に、タバコの吸い殻は一つもなかったことを思い出したのである。

 圭造は、『今日はどうだろう。』と思った。

 そして、自転車預かり所から駅前までを箒で掃いていった。

「やはり。」

 ゴミもほとんどなかった。タバコの吸い殻はやはり1つもなかった。

 これで、圭造は誰かが掃除していることを確信した。

「誰なんだろう。」圭造は自転車預かり所の周りを見渡した。

 駅前にあるのは圭造の経営する自転車預かり所と、居酒屋のチェーン店である。

 居酒屋のチェーン店の店長は、店の客に対しては、マニュアルに書かれた通りのサービスを提供できる能力を持ち合わせていたが、自分の店の前の道路側にコケの生えていることを問題視する注意力には欠けていた。

 そんな店長が自分から掃除をするはずがなかったし、部下に掃除を命じるにも、その部下は全員、居酒屋での仕事に応募してきたのに、不本意にも清掃の仕事をさせられたと一人前に抗議をするような輩ばかりであった。

『ではやはり、駅の職員だろうか。』圭造は駅舎の方を見た。

 そして、この日もお客さんの来る時間になって、その対応へと意識は移り、それ以上は考えないことにした。


 そして、それが3日続いた。

 圭造はいよいよその掃除をしているに違いない誰かのことが気になった。圭造は掃除をしている人が誰なのかを突き止めたくなった。


 方法は早く起きるしかなかった。早く起きて、誰が掃除するのかを見届けるために張り込みをするのだ。

 だが、老齢になると、そう簡単に無理ができるわけがない。

 早く起きるためには、前の日に早く寝る必要があると考えた。そうなると、いつも夜の9時頃までは働いているリズムを7時くらいで切り上げる必要があった。

 そうなると、夜にバイトに来てくれている学生君に仕事を一人でこなしてもらわなくてはならない。

 それは本人の了解を得る必要がある。

 圭造はさっそくその日の夕方に学生君に相談した。

「明日かあさっては、夜は来られないから、一人で対応してもらわないといけないんだが大丈夫かね。」

「大丈夫ですよ。旅行にでも行かれるんですか。」

「いや、そうではないんだ。ちょっと次の日に暗いうちに起きて、店の前を見張ろうと思っているんだよ。」

「どうされたんですか。いたずらでもする奴がいるんですか。」

「いや、逆なんだ。」

 圭造は、事情を説明した。どうやら誰かが、駅の前を掃除しているらしく、最近全くと言っていいほど、タバコの吸い殻やゴミがなくなったので、それを誰だか突き止めたいんだと言った。

「ハハハ」学生君は笑って答えた。「それは『マナーソルジャー』のせいでしょ。」

「マナーソルジャー?」圭造は首をかしげた。

「知らないんですか?ニュースでやってますよ。」



7 割れ窓理論


「みなさん、本日はよりよい町づくり評議会にご参加いただきありがとうございます。

 昨今はごく普通の住宅街でも凶悪な犯罪が発生するご時世となってきております。

 今日は、みなさんがお住まいのこの町が犯罪のないよい町であり続けるには、どのようにするのがよいのか、また更によりよい町にしていくにはどうすればよいかを、みなさんといっしょに考えていきたいと思っております。

 今回は、『ガラスの割れた窓の理論』とその実践について、ご紹介させていただきます。

『ガラスの割れた窓の理論』というのは英語では『Broken Window理論』と言いまして、直訳すると『割れ窓理論』『壊れ窓理論』となりまして、日本でもその名前で呼ばれていることが多いです。犯罪学者のジョージ・ケリングという人が主張した理論でして、ご存知の方も多いのではないでしょうか。

 それは、ガラスの割れた窓をそのままにしておくと、その町の犯罪が増えてしまう、というものです。

 みなさんの住んでいるこの町で、なかなか窓ガラスが割れたままそのままにされているというご家庭はないと思います。そのため、それで犯罪が増えると言われてもすぐには納得できないのですが、犯罪の多いアメリカなどではそのような地域もありまして、ガラスが割られたままにしているだとか、落書きがされたままにしているという状態ですと、その町の治安が低下し、犯罪を誘発するということが科学的に証明されています。

 ガラスが割られていたり、落書きがされている状態というのは、その町のモラルの状況を象徴しています。ガラスが割れているままだと、その町はガラスが割られているというモラルの低い状況を改善とか修復しようという気持ちがない町だという印象を与えてしまいます。

 それが、ひったくりや痴漢や不法投棄などの犯罪を誘発する。

 ガラスが割られたままほっておくような町ですから、そのような犯罪にも十分な対応ができないでいる。

 すると、いずれは重大な犯罪も日常的になってくるということになります。

 だから、私たちは小さなことからしっかりと注意し、見逃さず、改善していかねばならないのです。」


「では質疑応答です。」

「そちらの手を挙げている方、マイクをどうぞ。」


「先程の、割れ窓の理論ですが、それならば、マナー違反や軽犯罪に重罰を与えるべきではないのでしょうか。その町がモラルを大切にし、わずかなモラルの崩壊に対しても気をつけているという意思表示をするべきならば、割れた窓ガラスを修理するだけや、落書きを消すだけでなく、それを行った者、窓ガラスを割った者、落書きをした者を、徹底的に追求し、重罰に処することがその町の強い意思表示となるのではないでしょうか。」


「それは、過激な思想にもつながりかねません。」


「だけど、実際、ニューヨークのジョリアーノ市長が市の治安の改善に乗り出したときは、スピード違反などの交通違反にも厳罰を与えたと言います。」


「それは確かにそうですが…」



8 圭造さんの日常


 圭造がマナーソルジャーのニュースを知って、3ヶ月が経った。

 5件目の事件以来、新たな事件は発生していない。テレビや新聞でももうマナーソルジャーのことはほとんど取り上げられなくなった。

 この3ヶ月間、タバコの吸い殻やゴミくずがたとえ出なくても、圭造は毎朝の駅前の掃き掃除をかかさず継続していた。

 実際のところ、やはり、ゴミはほとんど出なかった。


 以前の圭造は、駅の前という公共の場を奉仕の精神をもって自ら掃除しようという善意の者が1人でも多く現れることを切望してきた。

 3ヶ月前、そんな人が出現したのかもしれないという予感に触れ、心を躍らせた。

 ところが、それは有徳の士が現れたのではなかった。タバコの吸い殻やゴミのポイ捨てがなくなったのは、誰かが掃除をしてくれていたからではなく、マナーソルジャーという狂った殺人鬼の影響だった。圭造はその事実を知って、落胆した。

 そして、圭造は予想した。いつか、「その日」が来ることを。


 そして、とうとう、その日が来た。

 毎日欠かさず続けている掃除をしたあと、ちり取りの中を見ると、タバコの吸い殻が1本入っていたのである。

 圭造はそのタバコの吸い殻を今までとは違う心持ちでしばらくじっと見つめた。

 今までの圭造はそのタバコの吸い殻に、人間の不道徳を見ていた。

 そこに不道徳だけを見てきた。

 だが、今や、そこにあるのは不道徳だけではなかった。また、別のものも確かに存在するのである。

 それは何なのか、愚かさなのか、反逆心なのか、無謀さなのか、畏れ知らずなのか、とにかく別のものが存在したのである。

 ただ、圭造は「喉元過ぎれば熱さを忘れる、ということか。」と独り呟いた。

 そして、チリ取りに集めたゴミをゴミ箱の中へと放り込んだ。


 道徳心は恐怖によって得られるものではない。

 殺すと脅して、マナーを守らせても、マナーは守られるかもしれないが、道徳心を人の心にわき起こすわけではない。

 だから、マナーが守られているからと言っても、人の心に道徳心が存在しているわけではないのである。

 圭造が望んでいるのは、人の心に道徳心が満ちあふれている状態である。

 自分の心も、道徳心が満ちあふれているという状態には到底至らないが、常に道徳心を抱いて生きていたいと思っている。

 そして、世の中の多くの人が道徳心を持って生きてほしいと願っている。

 そうなれば、自ずとマナーは守られるであろう。

 それが、人類の目差す方向である。

 恐怖の支配下ではそれは決して実現することはできない。

 人は恐怖の支配から解放されて、道徳心を目差すことができる。

 だから、今、人はようやく出発点に回帰しただけなのかもしれない。

 いつの日か、人が恐怖に脅されることなく、ちり取りにタバコの吸い殻を見いださない日の来ることを、夢見て、その日が来るまでは、箒で掃き続けよう。

 圭造はそう思うのであった。

※ この作品は、当初「マナーマン」というタイトルでしたが、投稿後に、市川市のご当地キャラクターに「マナーマン」という同名のキャラクターの存在することを知りまして、タイトルを「マナーソルジャー」に変更しました。

 それにともない、本文もマナーソルジャーに合わせて変更しています。

 調べると「マナーレンジャー」というのも北九州市のご当地キャラクターに存在しました。もしかしたら、「マナーソルジャー」もすでに使用されているかもしれませんが、当方が探した範囲内ではまだ未使用でした。

 

 市川市の「マナーマン」や北九州市の「マナーレンジャー」の趣旨とこの作品の趣旨は異なるもので、この作品では不道徳を理由に殺人する者を社会がどのようにとらえるかをテーマにしています。

 趣旨が異なるとは言え、マナーをテーマにした作品が著作権など法的権利のマナーの限度をさぐるような真似をするべきではないと考え、自発的にタイトルと本文を変更いたしました。

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