第五話:夜営
馬車を止めて、舗装路から森に入り、夜営の準備をする。
休みを挟みながら五時間ほど走ったので60kmほど距離を稼げた。
馬に疲労がたまっており、これ以上は進めない。
だが、帝国の補給基地まではあと40kmちょっとだ。明日にはたどり着くだろう。
ルシエが、馬に草を食べさせるために森の奥にいっている間、薪を集めて乾いた枝に火打ち石で苦労して火をつける。
「エルフだと、やっぱり火の魔術はきついか」
属性を持つ魔術は、自らの体内魔力で自然界の魔力を呼び出し発動させるが、マナそのものに属性が付いており、そこに相性が存在する。
大まかにわけて、六属性にわけられるが二つは特別な存在しか使えないので重要なものは四つ。
地・火・風・水
例えば、個人差があるが人間の標準だと、100を最大の適正値と見た場合。
地:40 火:40 風:30 水:30
となる。地の魔術を使う時に、相性が40だと、体内魔力でいくら地のマナを呼んでもなかなか呼びかけに応えてくれないし、集まったあとの制御もひどく苦労する。
人間という存在自体が属性魔術に向いていないのだ。だが、今のエルフの俺だと相性は下記だ。
地:30 火:10 風:90 水:70
風や水に愛されている分、土が苦手で火に至ってはほぼ使えない。
相性90もある風だと、1の体内魔力を消費してマナを呼べば、10のマナが集まってくる。そして、制御も楽なため、集めた力をほぼ、そのまま全て魔術に出来る。
だが、相性10の火だと、1の体内魔力を消費してマナを呼べば、0.05~0.1の力しか返ってこない。しかも、制御は困難なんてレベルを飛び越え、ほぼ不可能なレベルだ。俺ですら、集めた力のほとんどがロスになってしまう。
一流の魔術士でも、相性値が40で、ぎりぎり魔術として成立させられるラインだと言われている。
「火と土は便利だから、使えないのは痛いよな。最悪、固有魔術でドワーフの頃の俺とか、ドラゴンのときの俺とか呼び出すか」
それができるのが俺の強みだ。
かつての自分になれば、相性もがらりと変わる。
それにしても、ルシエが遅い。暇だし夕食でも確保しておこう。
まだ、馬車内に兵士たちの保存食があるが、あれは温存しておいたほうがいいだろう。
「【知覚拡張】」
体内魔力を活性化し、周囲の風のマナに溶け込ませる。
風のマナと一体になった俺の知覚は大気が存在する区間全てに広がる。今の脳処理能力と魔力では、せいぜい半径300mが限界だが、いずれはもっと知覚区間が広がるだろう。
流石相性値90。風のマナを呼び出す際に抵抗がないどころか、自ら力を貸してくれているとさえ思える。
「シカが居るな」
拡張された知覚が野生のシカを捕らえた。それにイノシシも。
それに、近くに小川があるし、山菜、きのこもある。クランベリーなんてしゃれたものも自生している。
なにより……
「この森の木はカエデなのか!?」
自然と笑みがこぼれた。
カエデは数ある木の中でももっとも有用な木の一つだ。木材の特徴として、心材は硬く、肌目は緻密で衝撃に強い。なにより美しい。
木材として使う以外にも、冬限定とはいえ、俺たちの居る地方のような冷帯気候では貴重な……
「ダメだ、考えが明後日の方向に行ってしまった。まずは食料を確保しようか」
俺は、100mほど先に居た大きなシカに目をつける。そのシカを選んだ理由は、障害物なしで射線が通っていること、草を食むのに夢中で動かなさそうなことの2つ。
魔力による身体能力の強化を実施すると同時に懐からナイフを取り出す。
投擲の構えを取り、弾道計算の術式を走らせる。そして、全身の筋肉を完璧に制御し、一切パワーロスがない理想的なフォームで投擲。
ナイフには風の加護をつけている。
こうすると、風がナイフを避けるため横風の影響も、空気抵抗も受けず、ほぼ初速のまま目標に到達する。
投擲したナイフは、シミュレートした弾道をなぞるようにして、シカの首に突き刺さり、頸動脈を傷つけられたシカから噴水のような勢いで血が噴き出す。
「さて、取りにいくか」
俺はそう呟き歩きはじめる。
シカの所に行く途中で、予め見つけておいた山菜やきのこを確保し、さらに小川の水を水筒に入れておく。その際に水魔術で不純物を取り除くのを忘れない。時として生水は毒になる。
「お前の命は無駄にしない」
シカは自らの生み出した血の海に沈んでいた。
首元に刺さったナイフを引き抜き、その場で解体を開始した。
◇
魔術を駆使したおかげで十分もかからず解体が終わる。解体と言っても血抜きをした後、下腹部に刃を入れて、内臓を抜きだしただけだ。
胃や腸は置き去りにするが、レバーと心臓は栄養価が高く、うまいので楓の樹皮で包んで持ち運べるようにした。
肉に付着した血を風で飛ばし、内蔵が抜けて軽くなったシカを背負って、たき火の前に引き返した。
「シリル、遅いよ。どこ行ってたの?」
たき火の前で俺を待っていたルシエが頬を膨らませて文句を言ってくる。待ち合わせ場所から何も言わずにいなくなった俺を心配してくれたのだろう。
「悪い、ちょっと暇だったから狩りに行ってたんだ。うまそうなシカだろ?」
「……どうしたら、30分足らずでシカを狩って、血抜きと解体なんてできるの」
少し呆れたニュアンスでルシエが聞いてきた。
シカは警戒心が強くて、人が近くに来れば逃げるし、体力も人間の比ではない。
そもそも狩猟犬が居ないと見つけることすら困難な上に、矢が二、三本刺さっても平気で走り回り、動きが早く、人が走れない道も平然と行ってしまうので、エルフの村では、三~四人の集団が狩猟犬を連れて一日かけて一匹取れれば御の字、だいたい二~三日は山に籠って狙う獲物だ。
「愛するルシエに美味しいものを食べさせたくて頑張ったんだ」
「気持ちでどうにかなる問題だとは思わないけど……その、ありがと」
ルシエは顔を赤くして目を逸らす。
今までの俺は、ルシエにこういう歯の浮いた言葉を伝えるのが照れくさくて仕方なかった。
だけど、これからは素直に気持ちを伝えていきたい。そうしないで後悔するようなことはしたくないから。
「肉と皮は、馬車に積んで今日は、レバーと心臓を食べよう」
「そんな贅沢許されるのかな? 本当に食べていいの?」
「俺が捕まえた獲物だ。遠慮することないさ」
レバーや心臓は、栄養価が高くて、しかもうまい。エルフの村では村長などの重役と獲物を仕留めた狩人以外、食べることが許されていない。
だから、ルシエや俺は大人たちが美味い美味いと話しているのを聞くだけで、今まで口にしたことがない。
「それじゃ、早速料理しようか」
俺はまず、シカの心臓を綺麗に掃除し、筋を取り除きカットする。それに塩を擦り付けて、カエデの樹皮の上に並べる。さらにそこに採ってきた山菜を並べ、一気にくるむ。
それをカエデの樹皮で作った即席の紐で縛ると、たき火の灰が溜まり白くなっているところに放り込む。
こうすれば燃えることなく、蒸し焼きになり、カエデと山菜の香りで生臭さが消えるし、山菜のうまみを吸い込んでくれる。
「シリルって料理できたんだ。今まで一度も台所たってるの見たことないよ」
「山で一生暮らしていけるぐらいには、練習してあるよ」
「シリルの料理って初めてだから楽しみ」
「自画自賛になるが、かなりうまいから期待してくれ。そうだ、今まで料理当番を押し付けたお詫びにしばらく俺が料理を担当しよう」
「そんなの悪いよ」
「いいから、いいから、ルシエに俺の料理を食べてほしいんだ」
山籠もりで自給自足の生活をした経験は、それこそ山ほどある。
ファンタジー世界だと、決まった拠点を持たずに、野宿を繰り返すケースが多いので自然に身についているのだ。
「蒸し焼きは、結構時間がかかるから、その間にレバーを食べようか? これをルシエに食べさせたくて頑張ったんだ」
「私に? それって美味しいから?」
「それもあるけど、ルシエにはビタミンが足りてない。今はまだ軽い段階だけど、放っておけば、命に関わるよ」
「脅かさないでよ。ビタミンって何?」
「果物や、生肉を食べれば得られる栄養だよ。冬はとくに摂取が難しいから今のうちに手をうっておかないとね」
エルフの村は食料が少なく、働き盛りの大人から優先的に食料が回されるせいで、ルシエは十分な食事がとれていない。
綺麗な髪や肌が痛んでしまっていて、俺はそれが許せない。
肉体強化の術式を施すときに触診したところ、軽度のビタミン欠乏症の兆候が見られた。
「シリルってなんでも知っているんだね」
「これでも俺は元村長の息子で、そのための教育を受けていたんだよ」
曖昧な言葉で誤魔化して俺はレバーの処理に戻る。
シカのレバーの処理には少しコツがいる。
シカには胆嚢がなく、胆汁をレバーの中に貯蓄している。この胆汁は、黄緑色で苦く、まずいし体に悪い。これを取り除かないといけない。
俺はレバーをナイフで薄く輪切りにする。レバーの中心部に林檎の芯のような空洞があり、そこに溜まっている胆汁を捨て、水筒に入れていた水で洗い流す。それと同時に血抜きも完了させた。
そして、構造上胆汁にほとんど触れていない、レバーの上半分をルシエの皿に盛り、下の少々苦味があるが食べられなくはない部分を自分の皿に入れる。
念のため、風の魔術で気圧を操作し、レバーの周囲を低気圧から一気に高気圧にすることで、寄生虫や、細菌を殺す。
山で育っていると抵抗力が強く、ウイルスや細菌などには強いのだが、寄生虫の対策を怠ると地獄を見ることになる。
「あとは、残りの山菜を添えれば完成だ」
俺は採取しておいた生で食べられる山菜のナズナとユリワサビを添えて、ルシエに渡す。山菜にもビタミンがあるし、味の面でも相性がいい。
仕上げに塩をさっと振りかける。ビネガーでもあればよかったが贅沢は言ってられないだろう。
「シカのレバ刺しの山菜添え。村では村長と、狩人しか食えないごちそうだ。食べてみて」
「うん、すっごく楽しみだけど、ちょっと怖いね」
おそるおそるといった様子でレバーを掴み口にする。
ルシエは二度、三度と、咀嚼して目を輝かせて満面の笑みを浮かべた。
「美味しい! 甘くて、コリコリして、ぜんぜん臭くなくて、こんなの初めて」
「喜んでもらえてうれしいよ。俺も頂こうか」
ルシエに渡したほうとは違い、どうしても下半分のほうは胆汁に浸っているのでえぐみがあるが、それでも十分うまい。
肉の甘味の正体はグリコーゲンなのだが、シカのレバーは牛のレバーの四倍以上のグリコーゲンを蓄えている。
シカのレバーが世界でもっともうまいと言われている一因がこれだ。
だが、興奮状態になるとすぐに、グリコーゲンは体を動かすための糖にかわり全身にまわってしまう。即死させないかぎりシカの味は一気に落ちるので狩りには細心の注意を払った。
一心不乱にレバ刺しを食べるルシエを見て微笑ましい気持ちになる。料理が美味しいというのもあるが、何より、ビタミン不足の身体が求めているのだろう。
人の身体は、自分に不足している栄養を何より美味しく感じるように出来ている。
今まではこうして彼女のために何かをしてやれることなんてほとんどなく、俺はいつも彼女に心配させて、迷惑をかけて、世話をさせていた。
こうして少しずつでも彼女に恩を返していきたい。
「ほら、そろそろ心臓と山菜の蒸し焼きもできあがるよ」
俺に声をかけられたルシエは顔を赤くする。
がっつくように食べる姿を見られて恥ずかしいのだろう。
「ちょっと、我を忘れちゃった」
「ルシエはたまにそうなるぐらいがちょうどいいさ。いつも、周りに気を配ってばかりなんだから」
「うう、シリルに優しくされるなんて……でも、シリル変わったね。急に大人になった気がする。私はシリルのこと手のかかる弟みたいに思ってたのに」
「子供じゃ居られなくなったからね。いつまでもルシエに甘えてられないさ。これからは俺がルシエを守るって決めたんだ」
「馬車の中でも言ってたけど、本気なの?」
「もちろん、俺は自分の言ったことを曲げないさ。村を救う、帝国を倒す、それから、ルシエと幸せに暮らす」
そのための力が今はある。
頭の中に溢れてくる知識と経験、それが出来ると囁いている。
「ねえ、もしだよ? 私が二人で逃げようって言ったらどうする?」
「それがルシエの本心だったら、そっちのほうがずっと楽だし、迷わずそうするよ。あの村は好きだけど、ルシエのほうがずっと大事なんだ」
それは紛れもない本音。俺はルシエを守るついでに村を救おうとしている。
「私はシリルと……ううん、私も頑張るから、二人で村を守ろう」
「いいよ。そのために全力で戦おう」
ルシエは馬鹿じゃないが甘い。
村の危険さは理解している。でも、それを理解した上で、二人だけで幸せになることを許せない。みんなで一緒になるために努力することを選ぶ少女だ。
「だけどね、一つだけ約束して欲しいの」
ルシエはそう言って手のひらを前に突き出す。
こっちの世界の指切りげんまんの動作。
俺は手のひらをそっと合わせて指を絡める。
「私に後悔させないで、もし、シリルが無理して死んじゃったら、二人で逃げればよかったって一生悔んじゃう。だから、死なないで。絶対に何があっても生き延びて」
自分を助けてじゃなくて、俺に死なないでと言うあたりがルシエらしい。
「そのままだと約束はできない。一つだけ、修正させてくれ。何があっても二人で生き延びる。それでいいなら誓おう」
「うん、わかった。訂正するね。何があっても二人で生きていこう」
「世界樹の祝福のもと、俺は誓う」
そう言い終ると絡めた指先を離し最後に、親指同士を押し当てる。
エルフの村では今は存在しない世界樹の名を持ち出すこの約束を破るのは、最大の恥辱とされる。
「ねえ、シリル、お昼のプロポーズの返事、今していい?」
「ダメ。ちゃんと全部終わってから聞くから」
「いけず」
「もともと俺はいけずだよ。心残りはもっておきたい」
「そっか、じゃあ私もそれを言うまで死ねないね」
それから、シカの心臓と山菜の蒸し焼き、それにデザートとして山に自生してたクランベリーを食べる。クランベリーは死ぬほど酸味が強く、甘味もほんのわずかしかないが貴重なビタミン源なので二人で顔をしかめながら我慢して飲み込んだ。
食事が終わると、水で濡らした布で体を拭いて二人で手を繋いで寝た。
男の傍なのに、ルシエは安心して寝息を立てている。
それだけ俺が信頼されているんだろう。今はまだ手を出せない。だけど、いつかきっと……そんなことを考えながら俺は眠りについた。