第二話:声
「アブねえじゃなえか、坊主」
しかし、その拳はやすやすと右手で受け止められ、先ほどまでルシエの胸を掴んでいた手が真っ直ぐに伸びてきて俺のみぞおちに突き刺さった。
「うがぁ」
まるでカエルが潰れたかのような音が口から洩れる。
思わず膝をつく、意志の力で無理やり首に力を入れて上を向くと、追撃をすることなく隊長は笑っていた。
「エルフは貧弱だなぁ、その細い体で何をするつもりだ? うん?」
にやけた面で勘に触る言葉を吐いてくる。俺は反論ができなかった。
男は180cm後半の巨体に鍛え抜かれた引き締まった体。腕なんて丸太のようだ。
それに比べて俺は160cm前後で鍛えられてはいるが線は細い。
何よりも無様に這いつくばっている現状がすべてをものがたっている。
「それにな。慌てなくても、おまえも連れて行ってやるからよ」
「どうしてシリルを? ノルマは三人って言ってたじゃない。私を入れて三人でしょ」
「この馬鹿がつっかかるし、おまえが綺麗だから殺すのが惜しくなったんだよ。俺の女にすることに決めたから、やっぱ、あと一人居るんだわ」
ルシエの表情が絶望に染まる。
「おいおい、そんなにこいつが大事か。なら、おまえがこいつの代わりになる奴を選ぶなら、そいつの命を助けてやろう。もちろん、自分っていうのはなしだぜ?」
「そんな、他の人を選ぶなんて、私、できないよ」
「だったら仕方ないよなぁ」
男の笑い声が頭に響く。
優しいルシエは自分を犠牲に出来ても、他の誰かを犠牲にすることができない。
それでも俺のために、必死に悩んで、苦しんで、泣いている。
なんとかしたい、肉弾戦では勝てない。
なら、魔法しかない。エルフの魔力は人間を凌駕する。
魔法式を構築しながら、体内魔力を活性化させ、自然界の魔力に働きかける。
「くっ」
強烈な頭痛、頭の中にひどいノイズが響き、組もうとしていた魔法式が霧散する。
束ねようとした魔力が指向性を失う。
首につけられた魔術師殺しの機能が十全に機能したらしい。気力を振り絞れば振り切れる。そんな甘えがまったく通用しない。
「ばっかじゃねえの?」
その言葉と、奴の蹴りあげた足の甲が俺の顎に直撃したのは同時だった。
俺は無様にひっくり返る。
情けない。
「もう寝とけよ。てめえの細腕じゃ話にならねえ。そもそも、非力なエルフは魔法を奪われた時点でただの家畜だろ? あんまり俺の手を煩わせるなよ」
力も魔力も、何もかも足りない。あまりの惨めさに涙がこぼれる。こんな気持ちははじめてだ。
俺に力があれば……
『なら目を背けるな。自分に向き合え。力はある。幸い、今度の体は優秀だ。いい目をしている。奴の攻撃が見えているだろ? ならあとは魂に刻んだ動きをなぞればいい。教えてやる。これは、おまえの、俺の、力だ!』
頭の中の声が響き、適切な戦闘技術が知識を飛び越えて経験として体に染みつく感覚がした。
俺は今まで、この感覚を拒絶していた。
だが、もう逆らわない。力が得られるなら、悪魔にだって魂を売ってやる。
自分が書き換わっていく。そこに、恐怖はない。本来の自分に戻っていくのだとそう思える。
俺は、仰向けの姿勢からロボットのように、不自然な動作で一瞬にして起き上がる。
「なんだてめえ、その気持ち悪い動きは、殴られすぎて頭がおかしくなったか?」
隊長の声を無視して手を二、三度握り直し、さらに軽く飛ぶ。そして、腕や足を軽く回す。
思考がクリアになっていく。視界が広がる。
頭に無数の情報が流れていく。
軽微な魔術妨害発生中。ノイズパターン解析完了。小規模な魔術であれば使用に支障なし。
魔術により肉体情報のスキャン、記憶の中の体と誤差修正。アジャスト完了。一部、肉体性能上再現できない技を一時的に思考から凍結。その上での最適パターンを構築し、思考を介さない反射条件づけとして設定。
チェック工程オールクリア。
敵戦力評価。非常に軽微な障害。
俺は、笑顔を浮かべてルシエだけを見て口を開く。
「ルシエ、庇ってくれてありがとう。でも大丈夫。ルシエを連れてなんていかせないし、俺も死ぬつもりもない。すぐに助けるから待ってて」
「やめてよ。無理だよ。シリルが死んじゃう」
「大丈夫だよ。だから泣かないで」
ルシエが泣いている。一刻も早く泣き止ませないと。
言葉では足りない。泣いている原因を取り除く必要がある。
そのためには、こいつは邪魔だ。
「人間。おまえが居るとルシエが泣く、だから死んでくれ」
肉体的なダメージは少なくはない。軽い脳震盪に腹部へのダメージによる運動性能の低下。
だが、それがどうした? この程度の相手、たとえ両手両足が折れていても倒して見せる。
「ほう、生意気を言ってくれるな。後悔すんなよ。この場で心臓抜き出してやる」
右手を大げさに振りかぶり殴りかかってくる。
見えている。視界だけではなく、音、匂い、肌に触れる空気。必要な情報全てが得られている。
あとは体が勝手にやってくれる。
近接戦闘において、もっとも重要な要素となるのは時間だ。
0コンマ1秒以下の世界における判断の連続、まともな思考は走らせる時間はない。
だからこそ、訓練により基本動作を無意識の行動……反射まで落とし込む。
本来なら、記憶や知識では補いきれない領分、それが俺の体に魔力によって刻まれている。魔術によって設定され、最適化され続けている動き。俺の身体はそれを再現するだけの機械と化す。
唸り声をあげながら襲い掛かってくる拳が空を切って通り過ぎる。そのお返しに、俺が突き出した拳が隊長の顔に突き刺さった。鼻の骨が砕ける感触がする。
そして、180cmを超える巨体が派手に吹き飛ぶ。
「いっいでぇ」
パタポタと血が流れる鼻を押さえながら隊長が漏らす。
俺の筋力ではこれほどの威力は生まれない。だが、それを覆したのは、相手の力を利用したクロスカウンター。そして、もう一つは、筋肉線維の一本一本まで完璧に制御し、一切のロスがない運動エネルギーの連動を魔術によって実施していたこと。
「手加減したか」
俺は鈍い痛みがする右の拳をそっと撫でた。本当だったらあの一撃で再起不能に追い込めたはずだ。しかし、拳が壊れないレベルに手加減するようにプログラムが判断したみたいだ。
あとで修正しないと。ここは拳を壊してでも決めるべきだった。
「てめえ、ぶち殺す!」
隊長は地面に落ちていた兜と小手を身に着け、さらに肉厚の両手剣を装備した。
そして、その両手剣を闇雲に振り回す。
俺は、作業用の小さなナイフを取り出して逆手に構える。
兜の下で隊長が笑った気がした。
確かにそうだ。こんなちんけなナイフでは両手剣を受け止めた瞬間に俺の体ごと叩き折られる。それに全身鎧にフルフェイスの兜までつけたこの男相手に刃が通ることはないだろう。
一度目の横薙ぎをバックステップで躱し、二度目の振りおろしを体を捻ってやり過ごす。地面に叩きつけられた刃が、あたりを揺らす。
すさまじい筋力。簡易な魔術での強化が見受けられる。
だが隙だらけだ。まともな武器を持っていれば、五回ほど殺せる機会があった。
その後も連撃が続く、いくつか回避不能の攻撃があり、ナイフで受ける。当然、普通に受ければ終わりだ。流し、逸らし、相手の力を制する。柔らかい防御。力加減、角度、タイミング、いずれかがわずかにでも狂えば、武器だけでなく腕を粉砕され、容赦なく斬り伏せられるだろう。
それを1mmの誤差もなく、刹那のタイミングで的確にこなす。
恐怖はない。この程度出来て当たり前だ。
「おいおい、逃げ惑うだけか」
隊長は息を切らせながら、苛立たしげにそう言った。挑発しているのに、荒い息が全てを台無しにしている。
「いや、そろそろ終わりだ」
「ほざけ」
そして、疲れは腰の入っていない中途半端な剣を産む。そう、手打ちでの力のない振りおろし。
俺にとって理想的な角度。これを待っていた。
あえてナイフの先で剣を受ける。先端が砕け、空中に刃の破片がきらめく。それを体を一回転して加速させ、ナイフの柄で弾き飛ばす。
目標はフルフェイスの兜に守られた隊長の顔。
ナイフの刃の先すら通さない細いスリットに、光をはじく破片が吸い込まれていき、両目を抉った。
「ぎゃややややぁぁぁ、目、俺の目がぁ」
のたうちまわる隊長を蹴り飛ばし、両手剣を奪った。
目が見えない男なんて怖くない。これで完全に無力化だ。
「ルシエ、大丈夫か?」
俺はルシエの元に駆け寄って背中に庇う。
「私は大丈夫……でも」
ルシエはそう言って、殺意を俺に向けている、兵士たちに目を向けた。
さきほどまでは、隊長が一方的に俺を殺すと信じていて観客モードで見ていたが、今では殺気立って弓まで構えている。
「おい糞人間。その弓、うってみろよ。死んでもいいなら」
俺が安い挑発をすると、兵士たちが顔を真っ赤にして冷静さを失う。
「このガキ!」
「上等じゃねえか」
四人の兵士のうち三人が弓を引いてきた。
「忠告はした」
しかし、その矢は俺に届く前に急激に失速し、反転して持ち主の小手で守りきれない指や手の平に突き刺さり、悲鳴をあげる。
使ったのは風の魔術。
首輪は相変わらず、ノイズを発し続けている。
これを無力化する方法は二つ。
一つは、首輪が反応しない程度の小規模な魔法を使う。例えば体術をプログラミングした魔法は、使用魔力が極度に小さい上に魔力が漏れず肉体の中で完結するので、首輪が反応しなかった。
そして、二つ目は毎回発生するノイズが決まっているのであれば、それすら盛り込んだ魔法式を作ればいい。
今までの俺では絶対に出来ない繊細な作業が苦も無く行われる。
「きええええええ!」
そんな中、弓を構えずに一人剣をもって突撃してきた男が斬りかかってくる。
俺は危なげなく躱して、隊長から奪った両手剣を、下段の構えから振り上げる。
俺の筋力では持つだけで精いっぱい巨大な剣も、全身の力を全て使って回転運動で振るえばするどい一撃となる。
その一撃は、先の隊長に比べれば品質の劣る鎧を突き破り腹に突き刺さる。
致命傷であることを確認し、深々と鎧にめり込んだ剣を引き抜くのを早々に諦め、未だに突き刺さった矢を引き抜こうとしている男達に向かって走る。
そうするとぎょっとした顔で慌てて弓を捨て剣を構える。
だが、どうしようもなく遅い。
「絶対に逃がさない。皆殺しだ!」
一人でも逃がすわけにはいかない。仲間を呼ばれたら厄介だ。
皆殺しにしても、こいつらが戻ってこなければ、真っ先にこの村が疑われ、人が派遣されるだろうが少しでも時間を稼ぎたい。
俺は獣のような表情を浮かべて突進した。