未来の国のピヤノ弾き
金木犀の香る日々はとうに終わり、秋の深まりとともに涼やかに風が吹く。
揺れる木枝。
ひらり枯葉を地面に届ける。
「んんーっ!天気がよくて気持ちいい」
日の光、碧雲漂う青い空に向かって腕を伸ばす。
屯所がある壬生村は、田畑に囲まれた長閑なところだ。
現代京都の壬生寺周辺とは様子が違う。
新選組のみんなと一緒にご近所の畑仕事を手伝うこともある。
冬になると、壬生菜畑の緑が広がるとかで。
それも直、見れるだろう。
「よし!終わった」
洗濯物を干し終え、ポンポンと腰を叩く。
人数が多いと大変。
「一応、確認しとくか…シワ、大丈夫だよね。よし、よし、よし!あ、ここもう少し間隔空けとこうかな」
斎藤チェックが入るかもしれないし、ね。
「おい」
むっ、この声は。
おいって何様?!
居候だけど、おいって呼ばれる筋合いはない!
「何でございましょう、土方さん」
声の主へ完全なる作り笑いを。
「顔貸せ」
縁側に腰を下ろして向かい合う。
ご機嫌ナナメが隠せない。
「どうした?むくれて」
「むくれてなんか…」
聞いといて無視?!
何やら包みを広げる。
珊瑚のような紅梅のような色の着物が2枚。
「わぁ!」
「こういうの好きか?」
「はい!」
「お前のだ」
「わたしの?!そこまでしていただかなくても…」
「いいんだよ」
「でも高そうだし…」
「お前がちゃんとした格好してねぇと、俺たちがろくな生活させてねぇみたいだろ」
「はぁ…そういう意味」
「分かったら、これ着て大人しくしてろ」
それじゃ、まるでわたしがギャーギャーうるさいみたいじゃん。
お淑やかじゃないのは自覚してるけど。
理由は何にしろ、せっかくのご厚意。
ここは言うとおりに。
「すみません…お気遣いありがとうございます」
「別に」
「土方さんが選んでくれたんですか?」
「そうだ」
「へぇ」
「気にいらねぇのか?」
「いえいえ!とっても気に入りました。そういう意味ではなくて…」
やなヤツなんだか、いい人なんだか…
難しい人だな。
今はとりあえずいい人ってことにしといてやろう。
ひとつ分かったのは、この人は女の人の心を掴むのがうまいってこと。
草履といい、着物といい、さりげなくわたし好みの色やデザインも押さえてる。
チラリ、顔色を見て様子を伺う。
あんまり表情も変えないし、愛想もない。
機嫌が悪いってわけじゃなさそうだけど。
単に嫌われてるのか?
「自分で着れるようになったか?」
「はい、お蔭様で…」
「ったく、どこの姫君だってんだ」
日常が着物だなんて、すっかり忘れてた。
ひとりで着れるわけないじゃん!
現代日本人は着物着ないの、って言えないし。
現代人が洋服着れなかったら変なのと同じ感覚よね。
必死に練習したもん。
「着替えてみろ」
「え?!今?」
「そうだ。早くしろ」
「その…着替えるのはいいんですけど…」
「何だよ」
「見られてたら…」
「お前にも恥じらいという感覚はあるんだな」
「いいから出てってください!」
失礼なヤツ!
わたしにだって恥じらいはあるっつーの!
呆れながらも土方さんが教えてくれたお蔭で、一から十までひとりでできるようになった。
それはありがたいんだけどね。
今までどうしてたんだ、と不審そうにしてたっけ。
さらに変な女度がUPしたわけ。
「着替えたか?」
「あ、はい」
「入るぞ」
「いかがでしょう…か?」
「思ったとおりだ」
「何が?」
「元々着ていたその撫子色の着物も良いが、こっちのほうがよく似合う」
何それ…満足げな顔しちゃって。
「このピンク、すごくきれい」
「ピンク?」
「あ…桃色が角度によって青や紫にも見えます」
「虹色だからな」
「虹色?雨上がりに空にかかるあの虹?」
「他にあるか?」
「7色のレインボーカラーじゃないんだ…」
またしてもカルチャーショックに小さく独り言。
「ブツブツ何言ってる?虹色を知らないのか?」
「いえ!知ってます知ってます!」
「変な奴だな」
「ありがとうございます!大事にします。あーっ!沖田さんとこ行かなきゃいけないんだった…」
はぁ~…
またまた変な女度が上がった。
ペースを乱されてるような…
土方さんだけはわたしに対して厚~い、高~い壁を作ってる気がしてならない。
お互いに心を開いていないせい?
ちょっと苦手かも。
いや、訂正。
かなり苦手…
果たして仲良くなれるんだろうか。
…ま、仲良くなれなくてもいっか。
屯所の門前で振り返る。
入口には『松平肥後守御預新選組』の大きな木の表札。
つまり会津藩主・松平容保様お預かりってこと。
「あ!かれん姉ちゃん!」
屯所のお隣、壬生寺の境内。
近所の子供たちは、沖田さんとわたしと遊ぶのを楽しみにしていてくれているようだ。
人懐っこくて無邪気だから、沖田さんは子供とその家族にも好かれている。
新選組の中では弟のような存在の彼も、子供たちには人気者のお兄ちゃん。
「かれん姉ちゃん、ちょっと来て」
「なぁに?」
両手を子供たちに引かれてついて行く。
少し歩いた先に、白壁の蔵があった。
「ここ?ここに何かあるの?」
「うん。ここな、おもろいもんがぎょうさんあるんや」
「ダメじゃない。勝手に入ったら」
とか言いつつ、好奇心が抑えられない。
「平気や。おっちゃんも好きに入ってええ言うてはるもん」
「でも、鍵は?」
「これな、壊れててん」
慣れた手つきで鉄の鍵を開ける。
ギギギと音を立て観音開きの扉が開いた。
「クシュン」
少し埃っぽい。
倉庫?
大きな木箱に、掛け軸を入れるような細長い箱。
下から上まで物が積まれている。
「かれん姉ちゃん、こっち」
いちばん奥まで行くと、思いがけないものを見つけた。
この時代にはめずらしいもの。
だけどきっと、わたしには身近なものだと思う!
「なぁ、これ何や思う?」
「これ…もしかして」
机のような横長の長方形。
「ピアノ…?」
スクウェアピアノと呼ばれるものだ。
こげ茶色の木目が美しい、艶のあるクラシックな姿。
昔の映画で見るような。
かぶっていた埃を払い、蓋を持ち上げる。
蓋のつっかえ棒に支えられ、白と黒の鍵盤が現れた。
「わぁ!ほんとにピアノ…」
中のピアノ線やハンマーも見える。
レースのような透かし彫りの楽譜立て。
足で踏むペダルはひとつ。
「何でここにあるんだろ?」
幕末のピアノ。
右手で軽く鍵盤に触れてみる。
ソの白鍵。
音が鳴った!
「うわぁ!これ何?」
「箱から音がするなんて思わへんかったなぁ」
子供たちから歓声が上がる。
「ピアノっていうんだよ」
「ぴあの?」
「西洋の楽器よ」
ドレミファソラシド、音階1オクターブを弾く。
次は半音階。
音の響きは少ない。
音が鳴るたび、きゃっきゃっとはしゃぐ子供たち。
興味津々、初めて見る異国の楽器に目をキラキラとさせて。
「弾いてみる?」
「うん!」
「あ!うちも~」
「順番ね」
自分の指で鍵盤に触れ、音が鳴ると嬉々として笑った。
初めてピアノに触ったとき、わたしもこんな感じだったな。
「指はこう置くの。親指、人差し指…って順番に動かして」
ドの鍵盤上の親指から順に…
小さな指を一緒に動かし音を出す。
ひとりひとりに基本を教えた。
現代のピアノとは音の鳴りが比べものにならないし、音程も不安定で調律もされてないと思う。
それでも、まさかここで鍵盤にさわれるなんて!
「かれん姉ちゃんも弾いて」
「まかせて。わたし、得意なんだよ」
自分の時代にあるものに触れられるのがうれしくて、椅子に座って弾き始めた。
最初は2分音符、シのフラット。
2分音符、8分音符、4分音符…
4小節は右手のみで。
5小節目からは、あの有名な旋律が。
「うわぁ!!きれいな曲やなぁ」
Vivo、生き生きと。
“ワルツ第1番変ホ長調 華麗なる大円舞曲 Op.18”
ショパンの3拍子の華やかなワルツ。
明るい曲調に乗って、キラキラしたメロディがリピートしながら次へ次へと流れていく。
子供の頃の夢はピアニスト。
5歳から習っているから、それなりに自信がある。
音大に進んだらどうかと先生に薦められて本気で悩んだ。
「…かれんちゃん?」
ピアノの音色と重なって、背後から聞こえた声に反応し、鍵盤から手を離す。
と同時に、メロディがぷつりと切れた。
くるりと後ろを振り返ると、沖田さんと他の子供たち。
扉が開けっぱなしだったから屯所まで音が届いたみたいだ。
ぞくぞくと人が集まり、首を伸ばしてこちらを見ている。
「何の音かと思って」
「何だこれ?」
「“ぴあの”いうんやで」
不思議そうに顔を出した左之助兄ちゃんに、子供たちが得意気に教える。
「ぴあの?これ、西洋の楽器?」
「はい」
「かれん、弾けんのか?」
「弾け…ます」
まずかったかな。
ピアノ自体を見たことない人ばかりなのに、それを弾けるなんて変に思われるかも…
「すげぇな!」
「へ…?」
「なぁ、新八」
「ああ!西洋の楽器を弾けるとは驚いた」
「俺にも触らせてくれ!」
「えっ?あっ、どうぞどうぞ」
目新しいものを見たみんなのリアクションは、予想とは正反対。
「どれどれ…」
人差し指でシの鍵盤を鳴らす。
「鳴った!」
「へぇ、簡単に鳴るんだ」
子供と同じくらいはしゃいで目を輝かせた。
「かれん、何か曲弾いてくれ」
「じゃあ、さっきの曲!」
リクエストにお答えして。
輝く大きなシャンデリア。
淡いピンクのシャンパン。
今宵は舞踏会。
ここはパリかウィーンか。
まばゆいばかりにきらめくサロンで。
きらびやかなアクセサリーとカラフルなドレスを身に纏い、美しさを競う女性たち。
フリルの付いた扇子で口元を隠して、おすまししながら、あの人からのワルツのお誘いを待つの。
“お嬢さん、一曲お相手を”
流行のドレスを翻し。
あなたの手を取りくるくると踊りながら、見つめ合って甘美な時を過ごしましょう。
なーんてね。
昔から、こんな風に曲の解釈をして、勝手にイメージして弾くのが好き。
楽しい!
こうして弾いてると現代に戻ったみたい。
頭の中の五線譜から飛び出した音符は鍵盤で躍り。
軽やかなメロディが秋の青い空に融けていく。
「とても美しい音色だね」
パチパチと反響する拍手。
局長たちが人波をかき分けやって来た。
「めずらしい音色がしたもんだから」
「初めて聞きますねぇ」
「この楽器は?」
「ピアノです」
「ああ!“ピヤノ”という名前は聞いたことがある」
ピヤノ?
独特の和製の発音。
「確か…シーボルトという異人が、ピヤノを伝えたと読んだな」
「シーボルト?誰だそれ?」
「長崎に鳴滝塾を開いた蘭医だよ」
長崎に伝わったのなら納得だ。
鎖国中から外国との貿易が認められ、様々な国の人が多く住む。
他に開港した港はあれど、今この国で海外に最も近い場所。
「今から四十年ほど前のことだ」
「40年前?!」
そんなに早く?!
日本での西洋音楽の文化は明治が始まりかと思ってたけど、すでにピアノが伝わっていたなんて。
しかも、シーボルトと鳴滝塾って学校で習った。
「さっすが山南さん!」
「博識だねぇ」
「私も触っていい?」
「じゃあ、沖田さん座って」
「この白いのと黒いのは?」
「鍵盤です。白いのは白鍵、黒いのは黒鍵」
「へぇ」
「まず、白い鍵盤だけをこの音から8つ順番に、右に向かって弾いてみてください」
「こう?」
ドレミファソラシド
「自分でやって音が出ると感激だなぁ」
「もう一度、ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド」
「ドレミ…?って何?」
「音の名前です。音階といいます。1つ目がド、2つ目がレ、3つ目がミ、ファ、ソ、ラ、シ、ドに戻る、レ、ミ、ファ、ソ…」
自分で弾きながら西洋の音階の説明を。
当たり前のことを簡潔に、そして日本語だけで教えるって、意外と難しい。
オクターブって日本語で何て表せばいいのかな?
「と、基本はドレミファソラシ、この7音です。7つの音を右に弾くたび、だんだん音が高くなっていくんです」
「本当だ!」
「じゃあ、左に弾いたら低くなるの?」
「正解!ド・シ・ラ・ソ・ファ・ミ・レ・ド」
「確かに、どんどん低くなっていく」
「それじゃあ、次は白黒白黒と交互に弾いてください」
指を重ね、半音階を一緒に弾いていく。
「黒い鍵盤を使うと、音が半音上がったり、下がったりするんです」
「半音?」
「白い鍵盤だけだと音がひとつ上がります」
「その半分という解釈か」
「はい。局長、左側で弾いてみませんか?このドの音からです」
「ああ、ここかい?」
「それから、平助さんは右側で」
「音楽の心得がないけど、私にもできるかな?」
「大丈夫!白鍵にこう手を置いて、このドの音が始まりね」
「うん、分かった」
「沖田さんはさっきと同じように白鍵を弾いてください。3人一緒にせーのでひとつずつ、右に8つ弾きますよ」
「少し緊張するな…」
「簡単ですから楽に。わたしも一緒に弾きますから」
「そうか?」
「指、失礼しますね」
局長の指に自分の指を重ねて。
「いきますよ。せーの!ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド」
低音は局長、中音は沖田さん、高音は平助さん。
「低い音と高い音が同時に出せるんだ」
「そうなんです」
「面白い。どんな仕組みだ?」
山南さんがピアノの上から下から顔を突っ込む。
「鍵盤をひとつ押してくれるか」
「はい」
「まだだ。弾き続けてくれ」
「病気が始まったな」
「病気?」
「“調べなきゃ気が治まらない病”」
「早速、寝る間も惜しんでとことん調べるぜ」
夢中になった山南さんの耳には、周りの声は入らない。
山南さんでも熱くなることがあるのね。
意外な一面だわ。
「なるほど…」
「この数分で分かったのか?」
「鍵盤が動くと、この箱の中の弦も動く」
「どういうことだ?」
「何言ってんだかさっぱり、だねぇ」
「歳、分かったか?」
「いや…引っ張られて音が出るということか?」
「まだ完全に理解したわけではないんだ。もう少し調べてみたい」
「どうぞ、思う存分」
「解体しては駄目か?」
「だっ、ダメです!解体した後、誰がどうやって直すんですか!」
「君は直せないのか?」
「直せません!弾くのと修理するのは別です」
「それでは仕様がないね…」
「ここから見えるだろ。上から見て、気が済むまで調べたらいい」
「はぁ…そうします」
「その様子じゃ、体が疼くみてぇだな」
「ああ。このままでは蕁麻疹が出そうで」
「蕁麻疹?」
「解明できない問題が気になりすぎて蕁麻疹が出たんだ」
「それで蕁麻疹って出るもの?」
「何を調べてたんだっけ?」
「エレキテルに次ぐ発明品の開発」
「それはたしか平賀源内の、ですよね?」
「自動米炊き器とか、自動掃除人形とかね」
炊飯器に掃除機?!
「本を読み漁ったり、時には紙と筆片手に発明家んとこに通ったんだぜ」
「失敗の連続でね。何度黒い煙が立ち込めたことか」
「早く完成させたくてたまらなかったんだろうな。だから体に異常が出たんだ」
「それは専門家に任せたらいい分野なんじゃ」
「そう思わんのが山南さんだよ」
「おい」
「え?」
「それはそうと、なぜ西洋の楽器を弾ける?」
「えーと…それは…」
鋭い質問…
土方さんにまずいところをつかれた。
そこには触れないでほしかったけど、みんなもそう思ってるだろうな。
何かいい答えはない…?
早く、早く。
言葉に詰まったら怪しまれる。
うーん……
「それは…!前に横浜で教えてもらったんです!」
何とか苦し紛れにひらめいた。
異国情緒がある横浜なら大丈夫なはず…
「そうか、横濱なら居留地があるし、異人も多いからねぇ」
「何でお前が異人の居留地に出入りしてるんだ?」
「ちょ、ちょっと…ご縁がありまして…」
「日本人も許可を得れば住めるし、店をやることだってできるだろ?」
「しかし、生麦事件の時は大丈夫だったのかい?」
「なまむぎ…?ああ…!はい…」
たしか、薩摩の島津久光の大名行列を騎馬のまま突っ切ろうとしたイギリス人が斬られた事件…だよね。
薩英戦争のきっかけだ。
日本史の勉強でセットで覚えるやつよね。
「誰に教えてもらった?」
誰にって…
誰がいいんだ?
この時代、音楽をやるような環境にいる人って…
音楽家や楽器の先生以外には、お金持ちか…それか…
「宣教師の先生です…!」
教会は正確にはオルガンだけど、きっとピアノも弾けるはず…
「どこの国だ?」
今度は国?!
どこがいいんだろう…?
ペリーのアメリカが無難かな?
でもクラシックならヨーロッパだよね。
今、日本と関わりのありそうな国…
オランダ?イギリス?フランス?
オランダ語もフランス語も分かんないしなぁ。
一か八か…!
「フラ…イギリ…ア…アメリカ人です!」
「アメリカ?」
「メリケンのことだよ」
ピアノ熱が一旦落ち着いた山南さんが、ようやく話に参加する。
「メリケン…そうそう」
「横濱に住む異人の半数がエゲレス人だと聞いたけどな」
げ…
しまった、外した…?
負けてはダメだ!
押し通すしかない!
「ア、アメリカ人もいますよっ!」
「お前、まさか耶蘇じゃねぇだろうな?」
「やそ?」
「切支丹ではないか、ということさ」
「ああ、キリスト教」
開国して宣教師も来日してると思ったけど、このリアクションは何?
「どうなんだ?」
もしや日本には教会はまだないのか、あったとしても居留地内に限られてるのか…
ということは、日本人にはまだ信仰の自由はないのかも。
「違います。わたしは特に宗教は」
「本当だろうな?」
「まあまあ、素直に宣教師の名を出したんだ。耶蘇なら一切を隠すだろう」
この分じゃ、禁教令は解除されてないようね。
「いいじゃんか、細けぇことは」
「そうそう、西洋の音楽なんてなかなか聴けませんよ。弾ける人がいるなんてすごいじゃないですか」
そう言ってくれて助かった。
ふぅ…
肩をなるべく動かさず、気づかれないようにため息。
土方さんは納得したのか否か…微妙だけど。
一応、ごまかせたかな…
土方さんの尋問タイムはしんどい…
「他に何か弾けるか?」
頭の中に浮かんだ曲を前奏から弾き始める。
「“埴生の…”」
『埴生の宿』
この曲、好き。
とっくに暗譜済み。
“自分が生まれた故郷の家が懐かしい。
田舎の小さな家でみすぼらしいけれど、他のどんなところよりもすばらしい。”
って意味の歌。
「良い歌だねぇ。故郷を思い出して、ジーンとしたよ」
歌を聴いてしみじみと言う。
元は『HOME SWEET HOME』というイギリス民謡。
この曲のメロディも自然とそういう気持ちにさせるのかもしれない。
離れて暮らしていれば、故郷や家族や友達を懐かしむのは当然のこと。
万国共通の想い。
平成に帰れるのはいつ?
元の生活に戻れるのはいつ?
ホームシックかも…
考えたらキリがないと分かっていても、切なくて泣きそうになる。
早く帰りたい。
その気持ちに変わりはないけれど。
いつも、どこにいても希望だけは忘れずに持っていたいの。
進む道を明るく照らす星。
ここでわたしに何ができる?
誰も知らないこの世界で。
五線譜を飛び出した音符は消えても。
異国のようなこの地でも、人の心に何かを残すことができる?
この時代に来た意味は何だろう。
あの時、この場所に。
何かすべきだと神様が言ってる気がするの。
それを知りたい。
探したい。
でも。
まだそれは見つかりそうにない。