憂鬱の浅葱色
「…事情は分かった。身寄りがないと言うのだから仕方あるまい」
新選組…もとい、壬生浪士組局長・近藤勇。
今目の前にいる、その人。
がっちりとした体格。
威厳と迫力ある顔つき。
太い声。
あまりの存在感に圧倒されてしまいそう。
「しかし土方が言うように、我々をよく思っていない連中も複数いる。君にも危険が及ぶかもしれない」
「はい、心得ています」
できるだけ動揺を隠さなければ。
「わたしは会津の出身です。壬生浪士組は会津藩お預かりだと伺いました」
そう、その調子。
落ち着いて話せば大丈夫。
知ってる限りの知識を言葉に乗せるの。
口に出しても差し支えないことだけを。
「我が会津のお殿様のもとで忠義を尽くす方々のところであれば、わたしも会津のため、いえ、お国のために働けます…」
「ほう」
「ちゅ、“中庸”では、“何事も誠に始まり、誠に終わる。誠がなければ何も成り立たない”と…言います」
何かそんなこと古文で習った記憶が。
「中庸を嗜むのか?」
近藤勇の顔色が明るくなる。
もしかしてもうひと押しでいけるんじゃ…?
あっ!そうだ、日新館童子訓!
「会津では教育のために小学や論語などを編集した"日新館童子訓“という書物を子供の頃より諳じ、人としてあるべき姿を学びます」
たしか昔はね。
今はその昔にいるらしいから…
よし!
「ひ…人は生まれながらに3つの恩を受けています」
わたしだって小学校で冊子を配られて、クラスで音読したんだから。
「父母の恩、主君の恩、師の恩にございます。親がいなければこの身はなく、主君がいなければこの身を養うことができません」
「ほう」
「その恩に報いるべき忠・孝・礼・義を知らなければ、人の顔をしていても獣と同じです。師から学ぶことで道徳を知り、獣にはならず人として正しい道を歩けます」
この部分は覚えてる、何となくだけど。
「何と聡明な…今でも暗記しているのか」
「三つ子の魂百まで、とはまさに…」
「このご恩に報いたいのです。わたしの行いは小さなものかもしれませんが、主君のために、この国の繁栄のために微力ながら貢献したいのです!」
やば…大口叩いてしまった。
「素晴らしい…!大したものだ」
「そこまで考えているとは。會津の女子は肝が据わっていますねぇ。良いのでは?私は賛成です」
わたしの必死のプレゼンにそう口添えしてくれたのは、井上源三郎さんという人だった。
この中ではいちばん年上に見える。
「うむ…覚悟もあるようだし、正式に住み込みで働いてもらおう。後で皆にも紹介しよう」
「ありがとうございますっ!」
元気よく言って、深々頭を下げた。
ふぅ~…
緊張して変な汗かいちゃった。
突然の割にうまい言葉が出てきた。
上出来だわ。
ホントはそんなこと思ってないけど。
我ながら感心感心。
勉強、人並みにやっててよかった。
こんなところで役立つなんて、よく覚えていたと自分で自分を大絶賛だわ。
近藤勇は情に厚いみたい。
身寄りがないと目を潤ませると、問い詰めることもなく単純に受け入れてくれた。
ちょっと申し訳ない気もするけど、半分は本当だもん!
半分嘘で、半分本当。
あ、えくぼ。
笑うと穏やかそうで。
思ってたより優しいし、見た目と違って普段は怖くなさそう?
もし土方歳三が局長だったら、こうはいかなかったよね。
っていうか、歴史上の人物とご対面してるんですけど。
変な感じ。
「ねぇ、君の年はいくつ?」
その場に居合わせた若い男の人が無邪気に言う。
「総司、不躾に失礼だろう」
「いいじゃないですか。年は取っても減るもんじゃない」
「こらこら…」
「あーっ!」
「びっくりしたっ!」
「総司って、まさか!沖田総司…さん?」
「そうだけど、なぜ私の名を?自己紹介はまだなのに」
「そっ、それは…」
しまった…
めっちゃ怪しんでる?
「そーれは……う…ウワサです!ウワサ!」
「噂?」
「み、壬生の浪士組には凄腕の剣士がいるらしい、っていう…」
「ほう、そんな噂が」
「早くはないか?京に来て数ヶ月だぞ」
「あー!それに!女の子が騒いでますから。颯爽とした素敵な殿方だと口を揃えて…お会いしてみて納得です」
「なるほど」
「私の腕前が知られるなんて、やる気が出るな」
「これは天然理心流の名を広める良い機会かもしれませんねぇ」
焦った…
何とかピンチを凌げた。
余計なこと、迂闊に喋らないようにしなきゃ。
「そうかねぇ」
さっきからひとり、どうも納得がいかない表情の土方歳三。
手強い…
「近藤先生、一層剣の道に精進します!」
「宜しく、頼んだぞ 」
「それで?君はいくつ?」
「19です」
「私の二つ下か」
ふーん、沖田総司は21か。
「そうか、随分若く見えるな。てっきり十五、六かと思ったよ」
ここでは天保15年の生まれということになった。
天保って、笑っちゃう。
“天保の改革”の天保よね?
教科書で見て思ってたけど、昔の人って実年齢より上に見えるのよね。
若い人も老けてる…いえ、落ち着いている。
そういや、写真で見たことがあるのは近藤勇と土方歳三だけ。
沖田総司っていったら、マンガでもドラマでも“美青年の天才剣士”って設定がお決まりで。
必ずイケメン俳優が演じるもんね。
土方歳三のような美形っていうよりは、爽やかアイドル系かな?
ホンモノも美青年に違いはない。
他に名前を聞いたことあるのは…
あ!
斎藤一って人いたよね?
「住み込みも決まったことだし、八木さんに挨拶に行こうか」
「八木さん?」
「この家のご主人だ」
そっか、ここは屯所として間借りしているから、元々の住人も今までどおり生活してるんだ。
どうやら、私が運び込まれたのは八木家の離れで、その30~40m先に母屋があるようだ。
何か、現代の八木邸よりもかなり大きくない?
敷地も広いし、何坪あるんだろ?
近藤勇に連れられ、当主である八木源之丞さんと奥様の雅さんにご挨拶。
局長の話によると、室町時代から壬生に住む旧家で、壬生村の経営や壬生狂言の公開にも携わる地元の名士らしい。
そのお家柄のためか、幕府のお役人とも繋がりがあって、さらに家も大きいことから、浪士組を受け入れることになったとか。
近藤勇に連れられ、当主である八木源之丞さんと奥様の雅さんにご挨拶。
「そうどしたか。かいらしい子が健気どすなぁ…なぁ、あんた」
「ひとりやふたり増えたとこで変わらんやろ。もう好きにしぃや」
「よろしいのですか?」
「あんたはんは女子やさかい、特別やで!近藤はん、勘違いしたら、あかんえ?」
「はぁ…八木さんにはすっかりご迷惑をおかけしてしまって、申し訳ない限りです」
「かれんはん言いましたな?ま、困った時はお互いさんどす」
「慣れん土地で大変でっしゃろ。父や母と思うて頼っとくれやす」
「ありがとうございます。一生懸命お手伝いさせていただきます」
深々と丁寧にお辞儀を。
この様子だと、壬生浪士組のことは快く思ってないみたいだけど。
何はともあれひと安心。
親切に受け入れてくれたご夫婦に感謝です。
何だかんだ言ってたけどいい人そうだし。
よかった、普通の感覚の持ち主がいてくれて。
「じゃあ、次は」
「次?!」
まだあるの…?!
お次は他の隊士たちにご挨拶。
道路を挟んだ八木家のお向かい。
前川さんのお宅を借りた屯所に移ると、すでに大勢集まっていた。
こちらも広くて、何部屋あるのか大きなお屋敷。
たぶんお金持ちで相当の財力の持ち主なんだろう。
前川家のご主人は掛屋という公的なお金を融通、両替したりする現代でいう金融業者で、御所、京都守護職、京都所司代、奉行所、さらには大阪城などにも出入りして出納を担当しているそうだ。
いわゆる役場のような仕事も引き受けているとか。
浪士組の面々から一気に視線を浴びる。
「こちら秋月かれんさん。今日より住み込みで働いてもらうことになった」
ここには一体何人いるわけ?
「くれぐれも、変な気を起こさぬように!」
男子校ってこんな感じなのかな?
野獣みたいな集団だったら…どうしよう!
「どうした!ボーっとして」
「わぁっ!」
「永倉さんが急に声かけるからビックリしちゃったじゃないですか。ごめんね」
「すまん、そんなに驚くとは」
「無理ないですよ。男ばかりだから驚くでしょう」
「あ…あの、さっきの?」
「ああ、覚えてたか!さっきは災難だったな」
「かれん!」
「は、はい?」
「左之助、いきなり馴れ馴れしすぎやしないか?」
「いいんだよ。このほうが早くお互いを知れるってもんだろ」
「たしかにそうかも…」
「會津の出身なんだって?」
「はい」
「容保様と會津にはお世話になってるからね。今後ともよろしくね、かれんちゃん」
「いえいえ、こちらこそ」
彼らは永倉新八さん、原田左之助さん、藤堂平助さんと言った。
さっきの夕方の斬り合いで、土方歳三と一緒にいた3人だ。
仲いいのかな。
この人たちと沖田総司とはすぐに仲良くなれそう。
「會津といえばよ!俺の故郷の伊予松山と少なからず縁があるんだぜ。加藤嘉明公って槍の殿様がいてな。槍使いとしては尊敬しちゃうね!」
「カトウヨシアキ…?」
「知らねぇか?あの賤ヶ岳の合戦で功名を上げた“賤ヶ岳の七本槍”のひとりだ」
「ああ!織田信長亡き後、豊臣秀吉と柴田勝家が戦った戦だな」
「天下分け目の関ヶ原の戦の後に、松山二十万石の藩主になったんだ。そんでその後、加増移封で會津四十万石の藩主になったんだぜ」
「松山から會津に国替えになったのか」
「昔も今も同じ殿様の下で働いてんだ。俺とお前は志同じくする仲間だな!」
「はぁ…そうですね」
わたしにはここでの志とかないけど。
あ、でもこの人たち、意外と学があるのね。
「縁ついでに、俺の腹の刀傷、見るか?」
「左之、やめとけ」
「毎回毎回、いちいち見せなくていいですよ」
「何ですか?」
「おっ!見たいか?」
「見たいです」
「お前、話の分かる奴だな!」
「かれんちゃん、話に乗っちゃうんだ」
「また始まるぞ…」
肌脱ぎをして自慢気にお腹を見せる。
腹部を横断するように残る一文字の傷痕。
「この腹の傷はなぁ、昔俺が切腹しようと腹を斬ったときの傷なんだ」
「切腹?!切腹したんですか?」
「そうだ」
「何で生きてるの?」
「俺はそのへんのヤワな奴らとは体が違うんだよ!」
「信じられない…」
「不死身だから、“不死鳥の左之”とでも呼べ!」
ダサっ!
気さくな人柄に笑みがこぼれる。
人を斬ってるなんて信じられないくらい、明るくて楽しくて優しい人たち。
普段は普通の人、だよね?
ふと目をやると、柱の前に黙って座る人。
不思議なオーラがあるというか、独特の雰囲気というか、何というか。
黙っていても人を惹き付けるような。
着流すことなく、着物をきちんと着てる。
きっと几帳面な人なんだろう。
「あの人は?」
「あいつは斎藤一」
あの人が!
「おい、ハジメ」
あ、流し目。
「お前も来いよ」
「いや、俺は…」
返ってきたのは、聞こえるか聞こえないかギリギリのボソッとした声。
少しだけ笑って目をそらした。
ひとりが好きなのか、それとも無口なのか、シャイなのか。
物静かで神秘的。
ミステリアスとかアンニュイって言葉が似合う人だなぁ。
それにしても。
ここは今まで教科書やテレビでしか知らなかった世界。
“泣く子も黙る新選組”
とか何とか言われる予定の人たちみたいだけど、わたしと年が近い人もいるらしい。
年が近いって言っても、実際はものすごい年の差だけど。
戦国時代から一転、約260年も戦のない天下太平が続く徳川様の世、江戸時代。
そんな時代も終盤に差しかかった、今や幕末。
幕末って鎖国も終わっていろんな思想の人が出て来るわ、徳川幕府に味方するだの倒すだのでモメにモメてた時代でしょ?
物騒なイメージ。
早速巻き込まれたしね。
世界でも指折りの安全な国、現代日本じゃ考えられない治安の悪さだわ。
国の未来とか、幕府とか。
思想のために自分の命を懸けるなんて、想像もつかない。
戦争もない平和な平成の日本じゃ、そんなこと思う人、ほとんどいないんじゃない?
仕事に熱中することとは意味が違うもの。
愛国心とかニュースでやってた時期もあったけど、正直そんなの深く考えたことはない。
オリンピックやワールドカップで日本代表を応援するとか。
ノーベル賞やコンクールで日本人が賞をとったと喜ぶとか。
宇宙飛行士に選ばれたとか。
日本って意識するのなんて、そのくらいだと思う。
わたしなんて、今まで暢気にのほほんと生きてきた。
自分と、自分の周りの人の幸せをいちばんに願ってきた。
それじゃダメなの?
この時代に生まれれば、女であるわたしも何かしら思想を持ったんだろうか。
ここにいる人たちもそうなの?
貫くべき思想や信念を持って生きているの?
ともかく!
タイムスリップ、なんてよく分かんないことに巻き込まれちゃったけど、飛ばされたのがここでよかったのかもしれない。
生まれ育った会津と少なからず関係がある。
長州の人たちのとこにでも飛んでたら、とんでもない!
もっとありえないことになってた。
真っ向から対立するふたつの藩。
そこで、会津から来ましたとか言ったら、スパイ扱いされて殺されてたかも…
それが冗談でも事実でも。
考えただけでゾッとする。
不幸中の幸いってやつ?
もちろん、すべて安心ってわけじゃないし、一刻も早く現代に帰りたいんだけど…
現代へ帰る方法は探し続けるしかない。
って言ってもどうやって?!
このまま帰れなかったら、失踪事件になっちゃうんじゃ…
捜索願いとか出されてたらどうしよう!
うーん…
ここでやっていけるんだろうか。
現代とは考え方が違うって以前に、生活スタイルだって違う。
比にならないくらい原始的なんじゃ…
はぁぁぁ…
お先真っ暗だ…
こんな異世界での今後の人生なんか考えたくもないのに。
絶対絶対絶対、何としても戻らなきゃ!
ひとまず、ここに置いてもらうには何だってできることはやるしかない。
ウソでもあんだけ会津のためにとか言っちゃったし。
無意識に腕を組み、首を傾げて考えていた。
新選組は会津藩主であり、京都守護職の松平容保お預りとして働いてるのよね。
そのくらいわたしだって知ってる。
一応、会津若松出身ですから。
今までに何度も見た松平容保の写真。
「昔の人にしてはイケメンだ」とか。
「綺麗な顔立ちのいい男」とか。
地元の人も他県の人も。
みんな、そう言う。
英姿颯爽。
誉れ高き風采。
学校では『会津の歴史』を勉強済みだし、日本史だって人並みには知ってるつもり。
会津と新選組が深い関係だってのも分かる。
もちろん結末も。
と言っても、新選組自体が何をしたかと聞かれれば答えられないんだけれども。
忘れちゃいけないのは、ここが幕末だってこと。
教科書的に言うと“激動の時代”。
山南さんは文久3年だと言ってたけど…
今って西暦何年?!
明治まであと何年?!
文久って言われてもなぁ…
どうにか西暦を入手したい。
あ、そうだ…!
山南さんは10年前にペリーと黒船が来航したと言ってたっけ。
ハリスの将軍謁見も、日米修好通商条約も、安政の大獄も、桜田門外の変も、すべて10年以内に終わったって。
えーと…
“開国はイヤでござんす黒船来航”は1853年。
“いやこわい、不平等条約”、日米修好通商条約は1858年。
“いっぱい獄につながれた安政の大獄”は1859年。
からの、“井伊は無礼と桜田門外の変”は1860年。
今は1863年!
たしかに、年号的にもすべて10年以内の出来事だ。
“慶喜むなしい大政奉還”が1867年。
その次の年に戊辰戦争と、明治の五箇条の御誓文で1868年だから…
明治まであと5年!
よしっ!
割り出せた!
のはいいけど、The幕末にいるのは変わらない…
何にしてもこれから起こる出来事を知ってるなんて、口が裂けても言えないわ。
ヘタに動いたら命を落としかねない。
せっかくみんなと仲良くなりかけて、信頼関係を築いてる途中なんだもん。
まぁ…未来から来た、なんて言ったところで信じてもらえなそうだし。
現に自分自身が未だ信じられないんだから。
でもね。
たとえば、これから起きる出来事を言ったら歴史は変わっちゃうのかな?
突如現れた、素性もよく分からないわたしに良くしてくれる人たちを思うと複雑で…
この人たちの未来は明るいものではない。
それを知ってるのに。
未来を伝えなくていいんだろうか。
言わないことが正しいことなんだろうか。
どうすればいいんだろう…
歴史を知るわたしには何ができるんだろう。
「住み込みで女が働くことになったって?」
何…?
酔っぱらい?
我が物顔で部屋に入って来た。
絡まれたら絶対めんどくさそうな人たちだな。
「どこだ?顔を見せろ」
あらら?
場の空気がピリっとしたような。
「…誰ですか?」
小声で隣にいた永倉さんに聞く。
「芹沢鴨…壬生浪士組筆頭局長だ」
と教えてくれたものの、ちょっと厄介そうな顔をしたのは気のせい?
「カモ…?」
「お酒が入った芹沢さんには気を付けてね。酒乱だから」
「酒が入ってねぇ時なんかあんのかよ」
鳥の鴨?
お城のお堀とか、猪苗代湖でよく泳いでる、あの鴨?
おもしろい名前。
って、人のこと言えないけど。
たぶんわたしも思われてるんだろうな、幕末の人たちから。
わたしの存在に気づくと、ドカドカと足音を立ててこちらに近づいてくる。
「芹沢先生!秋月かれんさんです。今日からここで働いてもらいます」
慣れた様子で、空気を察した近藤局長がさっと出る。
ニコニコと満面の笑み。
対して、俺に断りもなく…という雰囲気。
すごい威圧的。
対照的なふたりの局長。
「名のとおり、可愛い顔してるじゃねぇか」
そりゃ、どうも!
とか何とか言って、顔を近づけてきて触ろうとするとかありえないから!
お酒臭い…
それをかわそうと顎を引き顔を背けた。
厄介そうなのは気のせいじゃない、100%!
「芹沢鴨だ。ここで暮らすなら覚えとけ」
「…鳥の鴨、ですか?」
「そうだ」
「お互いめずらしい名前ですね…」
動じたら負けだ。
目をそらしたら負けだ。
がんばれ、わたし。
顔が引きつる。
完全なる作り笑い。
「以後、お見知りおきを。お嬢さん」
うつむいたわたしの顎をクイッと持ち上げ、強制的に目を合わせる。
イヤッー!
やめて、おっさん!
21世紀じゃ立派なセクハラだからね!
それに顎クイと、ついでに壁ドンは“イケメンに限る”んだから!
いい加減にしてっ!
で、反抗的な態度。
「わたしはっ!女を商売にしてるんじゃありませんっ」
「何?」
「おいっ!かれんっ!」
「い、いけませんか?」
肩に手を回し、顔が余計に近づく。
「ふん、気が強いのがいい。酌をしろ」
はぁ?!
何様?
なんでわたしがお酌しなきゃいけないわけ?
逆効果だった?
命令口調にイラッとするけど、空気を読むのも大事よね。
酒乱って言ってたし、暴れられてみんなに迷惑かけるのも申し訳ないし。
ここは言われた通りにしておこう。
「うまい」
「芹沢先生、私にもお酌をさせてください」
「そうか、土方君」
「はい…」
芹沢鴨とわたしの体が離れた隙に、土方さんが間に割って入る。
あれ…?
もしかして助けてくれた?
「先生!私もご一緒させてください」
沖田さんも…ありがとう!
「お前、なぜ離れる?こっちへ来い」
「いえ…遠慮します。先生の隣だなんて滅相もございません…」
「いいから来い」
だから嫌なんだってば!
「あ!これは何ですか?」
とっさに芹沢鴨の横に置かれた扇子を指差し、話をすり替えた。
「これは鉄扇だ。持ってみろ」
「わっ!重っ!」
「そうだろう。女子の細腕ではそう思うのは当たり前だ」
「こんな重いものを軽々と?」
今度は腕を掴んで太ももを触る。
「お触り禁止です!」
「何だと?」
「か、かれん!」
静まり返る部屋。
「せっ、芹沢先生は女の人におモテになるでしょうから、勘違いされて刺されたりしたら嫌です…」
あんなにドンチャンしてたのに、今は嘘のようにシーンとして誰の声も聞こえない。
まずかった…かな?
「はっはっはっ!」
と思いきや、笑い出した芹沢鴨。
連なるように、芹沢一味も笑い声を重ねた。
大きく響き渡る。
「度胸のある娘だな」
持っていた瓢箪の徳利から注がれるお酒。
おもむろに手渡された。
「飲め」
断るとこの後が面倒くさそう…
数秒間の躊躇の後、それを一気に飲んだ。
「威勢がいい」
満足気に笑いながら、一味を引き連れてどこかへ消えて行った。
やっと終わった…
拷問だったわ。
「気に入ったみたいだぜ、お前のこと」
「冗談やめてよ!」
やば、心の声が漏れた…
「あ…すみません。あの、それはそれで、ちょっと…」
勘弁してよ。
ちょっとどころか大変迷惑だ。
台風が去り、ふぅ~っと大きなため息をつく。
疲労感で少し痛む肩を押さえた。
先が思いやられるなぁ…
「すまないね、大丈夫かい?」
近藤局長が気遣ってくれた。
「大丈夫です…」
「驚いたなぁ!芹沢さん相手にあんなこと言うなんて」
「まったく、ヒヤヒヤしたぜ」
「心臓が止まるかと思いましたねぇ」
ちらっと土方さんを見る。
言わんこっちゃない、俺は知らない、といった表情で目をそらした。
土方さんはいつでも落ち着いていてクール、らしい。
他の人と違って近寄りがたいんだよね。
慣れるまでに時間がかかりそう。
隣に腰を下ろした沖田さんが、こそっと耳打ち。
「かれんちゃん、土方さんはね、ああ見えて実は優しいところもあるんだから」
「はぁ…」
「関係ないふりするのは得意なんだ」
「もしかして、さっきわたしを守ってくれたんですかね?」
「さぁね」
明確な返事はなく、キラキラの天使の笑顔だけ。
そんな彼に愛想笑いを返した。
ほんっっっとに、もうイヤ!
限界!
明日の朝、目が覚めたら、もとの世界に戻ってますように!
お願いだから、夢なら早く覚めてぇぇぇ!
【年号語呂合わせ】
1853年…開国はイ(1)ヤ(8)でご(5)ざん(3)す黒船来航
1858年…い(1)や(8)こ(5)わ(8)い、不平等条約(日米修好通商条約)
1859年…いっ(1)ぱ(8)い獄(59)につながれた安政の大獄
1860年…井伊(1)は(8)無(6)礼(0)と桜田門外の変
1867年…慶喜む(6)な(7)しい大政奉還