我が上の星は見えぬ
ぱちっ。
目が覚めた。
よかったぁ、夢で…
あんなの、目覚め悪すぎ。
そりゃ涙も出るよ。
よっぽど怖かったのね。
落ち着いたところで、深いため息。
ぼんやりと天井の木目を見ていた。
あれ…?
ここ、わたしの部屋…?
「じゃない!」
自分の部屋の白い壁と天井がない!
ベッドではなく、見慣れない6畳ほどの和室に敷かれた布団。
ばさっと慌てて飛び起き、部屋を見渡す。
「痛っ…」
足を挫いたのは夢の中だったはず。
ズキズキと痛む右の足首。
熱を持っているのが分かる。
それよりここ、どこ…?
誰の家?
一瞬にして不安に襲われ、加速する鼓動。
うーん…
眉間にシワをよせて考える。
病んでる?
まだ夢の中なのか…
考えても考えても全然分からなくて頭を抱えた。
襖の向こうから足音。
誰かこっちに来る!
寝たフリしようか…
「あ…」
「目ぇ覚ましたか」
さっきの人…
普段、人見知りなんてしないのに無意識にバリアを張る。
やっぱり何かの撮影だった?
袴姿に時代錯誤な髪型。
ストレートの黒い艶髪。
肩に届くほど長い髪をポニーテールのように後ろでひとつに束ね。
カツラにしては超自然な髪型なんですけど。
じーっと見て境界線を探す。
地デジ対応なの?
まさか地毛?
役作りってやつ?
メイクはしてないのね。
さすが俳優さんは違うわ。
知らない人だけど。
こんなカッコイイ人、いたっけ?
舞台俳優?
「きれい…」
端正な顔立ち、雪のように白い肌。
わたしより色白なんじゃないか。
「俺の顔がめずらしいか?」
「いっ、いえ…すみません…」
「具合はどうだ?逃げようとした時に捻ったんだな」
「…そうみたいです。まだ痛みますが…大丈夫です」
「そうか」
怯えながら小さな声で答える。
あ、薬の匂い。
処置してくれたの?
「あの…」
「うん?」
「手当てしていただいて、ありがとうございます」
「造作もねぇよ。見せてみろ」
「えっ?ちょっ…」
強引に布団をめくり、足首に巻かれた包帯を解いていく。
「腫れがひかねぇな。捻挫だろうから、すぐ良くなるさ」
「はぁ…」
「これで冷やせ」
何か妙な違和感を感じていた。
これといった確信はないけど。
ここ…
旅館や楽屋だとしても電気がない。
テレビもコンセントも。
ただ単に置いていないだけ?
この人の言葉遣いだって変。
まるで時代劇だ。
醸し出す雰囲気も何か違うのよね。
空気が違うというか、ニオイが違うというか…
「てやんでいべらぼうめ…的な?」
「あ?」
「へっ?あっ、いえいえ…」
「お前、どういう髪型してんだ?初めて見るな」
「初めて…ですか?」
「どこの髪結いにやってもらった?それとも自分で結ったのか?」
「髪…結い…?」
何、その古風な言い方。
美容室のこと?
古風に言うのが流行ってんの?
「面白い。見せてみろ」
「ちょっ…」
ぐっと顔を寄せて、まじまじと。
近い、近いっ!
おもしろいって…
失礼な。
普通なんですけど。
むしろ上出来。
編みこみも上手にできたし、かんざしはお気に入りの1本。
友達も褒めてくれた。
「縮れ毛だな」
「パーマが取れかかってるので、コテで巻いたんですが…」
「ぱぁま…?」
「え?パーマですけど、これ」
「はぁ?!」
は?!って。
どんだけ時代遅れなの?!
流行りに興味ないとかいうレベルじゃないし!
時代祭にはレンタル着物で行こうってことで、本日は大和撫子気取り。
てか、みんなドコに行ったの?!
何も言わずに置いてくなんてひどい!
けど、まあ、いいや。
とにかく何でもいいから情報がほしい…
「あの…テレビを見せていただけませんか?」
「は?てれび…?」
「はい、ありませんか?パソコンでも…インターネット繋がってます?」
「何だか知らねぇけど、ねぇな」
「そうですか…あ!じゃあ、新聞はありますか?」
「しんぶん…?」
「何でもいいので、ニュースが見たいんです」
「にゅう…?すまねぇ、分かるように話してくれ」
「え…?」
もしかして、そういうコンセプトの旅館?
日常を忘れてリラックスするために、テレビもパソコンも新聞も、近代的でデジタルなモノや情報はあえて置いてません、みたいな。
電気はランプだったりして、暗くなったら寝て、明るくなったら起きる、っていう。
ときどきあるもんね、そういう旅館!
「失礼するよ」
静かに襖が開いて現れたのは、またも侍姿の男の人。
知的で紳士的な雰囲気。
穏やかな声。
この先、侍が何人出てくるわけ?
「土方君、近藤さんがお呼びだ」
「ああ、分かった」
「あのっ!」
「どうした?」
「外の空気を吸いたいんですが…」
「足、気をつけろよ。掴まれ」
「すみません…」
「山南さん、すまねぇ」
ひょこひょこと痛む足を引きずり、ふたりに支えられて外へ。
何、この緊張感。
「気晴らしか?」
「その、町の様子を…」
門をくぐり、目に飛び込んできた景色は…
「ウソでしょ…」
眉を寄せ、口を開けて固まった。
電柱も電線も街灯も。
ビルもない。
そもそも京都に超高層ビルはないけど。
「コンクリートじゃないし…」
それどころか車の走る音が全くしない。
響き渡る虫とカラスの声。
いやいや、今いるのは田舎のほうなのかも。
でもさ…
どんなに田舎だって電線や標識やカーブミラーはあるに決まってるじゃん!
「ここ、どこ…?」
とにかく、この状況を分かるように説明してよ。
「これ、セットですよね?映画ですか?ドラマですか?!」
「何…?何言ってやがる。頭でも打ったか?」
「え?」
「え?って…聞きたいのは俺たちのほうだが」
どういうこと?
映画でもドラマでもないなら何なの?
「じゃあ…コスプレ?観光客向けの変身写真とか…ですか?」
「はぁ?!」
「土方君、こちらのお嬢さんは…?どこのどなたで、何を仰っているんだい?」
「俺にはさっぱり…。山南さん、あんたのほうが賢いだろ」
「いえ、私も何のことやら理解しかねる…」
他に考えられることは?
だめ…思い浮かばない。
頭も気持ちもスッキリしないままでは。
話がまったく通じない。
確かにこの人たちが話すのは日本語だけど、さっぱり伝わらないのはなぜ?
目の前にいるのは日本人のはずなのに。
「近藤さんには?」
「いや、まだ」
「あっ!」
「今度は何だ…」
「もしかして茶道?日舞?歌舞伎役者?伝統芸能的な?!」
くるりと背中を向け、わたしと距離を置いて耳打ちする。
「…こいつ、大丈夫か?」
「ぼーっとして意味不明なことを口走る…。医者を呼んだほうがいいのでは?」
「そうだな。斬り合いの場に居合わせたから、精神的にやられちまったかもしれん」
何を話してるのかは聞こえなかったけど、意見が一致したんだろう。
顔を見合わせ、うん、と同時に頷いた。
「足も挫いているし、医者を呼ぼう」
「あの、今、保険証持ってないんですけど…」
「は?」
混乱してる割に、意外と現実的な言葉が出た。
「さっきから意味の分かんねぇことばっかり!何が言いてぇんだ!」
「まぁまぁ土方君、落ち着いて」
そんな…
それじゃあ、わたしの頭がおかしいみたいじゃない。
ん?
ちょっと待って、今何て言った…?
“ヒジカタ君”って言わなかった?
少し前に“コンドウさん”っても言ったような…
そうか!
あの水色の羽織、見覚えがあると思ったら。
嫌な予感…
違う!
だって、そんなファンタジーなこと起きるはずがない!
心の中で言い聞かせる。
まさかね…
絶対、ぜぇっっったい!
そんなわけない。
「とにかく布団に戻れ!もう暫く休んでろ。山南さん、頼む」
「はいはい」
あたしを侍紳士に預けると、“ヒジカタ”さんはその場を後にした。
どうなってんの?!
何が何だか…理解不能!
むしろここは日本なのか?
「君は一体誰だい?」
その一言にはっとし、現実に引き戻される。
“ヒジカタ”さんとは対照的。
温和で親切そうな人柄が内面から滲み出ている。
「わたし、あの方に助けていただいて…」
動揺のせいで、質問を無視した答えを口走った。
っていうか、あなたこそ誰?
「あ…ケータイ!」
枕元に置かれていたバッグの中をガサゴソとかき回す。
「あったぁ!」
「その道具は?」
【20XX年10月22日17:11】
ほっと安堵のため息。
けれど、圏外だということにちっとも気付かず…
優しいオーラを持つこの人に思い切って聞いてみる。
「あの、時代祭は…?」
「時代祭とは?」
「え…?京都の三大祭りですよね?」
「三大祭り?そんなものがあっただろうか?祇園祭と五山送り火ならば分かるが…。ああ、それに、朝廷で行われる葵祭も聞いたことがあるね」
有名なのに知らないのかな?
京都にいるのに。
まぁ、いいや。
「今日は10月22日、ですよね?」
「いいや、九月の五日だが」
「9月?!」
1ヶ月ちょっと逆戻りしているのは、なぜ…?
次!次!!
別の質問を…
「何か撮影ですか?『新選組』とか、幕末モノの」
「シンセングミ、バクマツ…はて?」
怪訝な顔のまま。
何で?
さっきの水色の羽織は新選組のものでしょ?
よく見る、あの独特の。
「すみません、話が見えないのですが…」
「ここはどこですか?」
「壬生浪士組の屯所です」
「み、壬生…浪士組…?」
頭が混乱する。
この人たちは何者?!
またも眉間にシワが寄る。
「ここ、京都ですか?!」
とっさに聞いたけど、何を言うのだとばかりに首を傾げる。
「はい、ここは京の都のはずれ、壬生村ですが…」
壬生村ってドコ?
その呼び方の違いに不安が膨れ上がる。
壬生寺とか壬生狂言とかの壬生?
“壬生村”ってどういうこと?
壬生寺があるのは京都市内だし。
しかも“京”っていつの時代の呼び方してるわけ?
どこまでが夢で、どこからが現実か分からない。
こんなこと聞いたら…
いやでも!
今はそんなちっぽけな体面を気にしてる場合じゃない気がする。
非常識でバカだと思われてもやむを得ない。
背に腹はかえられないわ!
「ちなみに!日本の首都はどこですか?あーあの!変な意味じゃなくてですね、知らないわけでもなくて…。何というか、念のため…」
「シュト…?」
ふざけてんの?!
「うーん…日本の“都”は東京ですよね?」
「トーキョー?皆目見当がつかんな…」
知らないなんて、現代人じゃありえない。
この人、ホントに日本人?!
…だよね、明らかに。
「それなら、今の総理大臣は誰ですか?!」
「ソウリダイジン…?」
総理大臣…?
って訝しげな顔されても、困る。
「じゃなきゃ、天皇陛下はどちらにお住まいですか?」
「帝なら京の御所にお住まいだろう」
「み、帝?!」
「はい」
「あ…えっと、東京の皇居では…?」
「コウキョ…?ちなみに先ほどから君が言う“トーキョー”とはどこだい?」
東京は東京だよっ!
大都会の東京!
「“東の京”と書いて東京なんですが…」
「東の都なら江戸だろう」
「江戸って…そんなわけ…」
やだ、ヘンな汗が出てきちゃった。
東京を知らない。
でも江戸なら知ってる。
総理大臣も知らない。
挙げ句の果てに天皇、いや“帝”は京都御所にいると言う。
まさかと思うけど…
「“将軍様”のお名前は…?」
「本気で言っているのか?」
「確認のためです。頭を打ったかもしれないから…」
「それは一大事じゃないか」
「だから、わたしの思ってる答えと同じかどうか教えていただけますか?」
「第十四代将軍・徳川家茂公だよ」
ちょっと待って。
何言ってんの?
ウソでしょ?!
将軍がいるっていうの?
少なくとも、わたしの生まれた世の中には…いないよね?
え?!
もしかして実はいるのかな?
「ペリーは?!黒船来航しました?!」
「はい、ぺルリなら十年ほど前に…」
「ハリスは?!将軍様に謁見しました?!日米修好通商条約は?!安政の大獄は?!桜田門外の変は?!」
「落ち着いて…!すべて過去十年のうちに起きた出来事です」
「うそぉ…」
「嘘ではありません」
嘘だと言って!
それがホントなら、悲惨です。
念のため、最後の一押しをさせて。
できれば聞きたくなかった。
ここがどこなのか。
確実に分かる方法。
現実を知るのが恐ろしすぎて、わざと遠回りしてた。
この問いの答えを聞いたら、一発で打ちのめされてしまう。
「…最後の質問です」
「はぁ…私に分かることでしょうか?」
「はい」
深い深い深呼吸をして。
「今、何年でしたっけ?平成何年ですか?!2千何年ですか?!」
「ヘイセイ?二千?可笑しなことを聞くね」
笑って悲劇的な年号を口にした。
「文久三年だよ」
「ぶ、ぶ、ぶんきゅう…?」
まさか…そんなこと…
へなへなと全身の力が抜けていく。
ぼんやりと思っていたことが確信に変わった瞬間だった…
“ぶんきゅう”って何?!
この人たちがホンモノの新選組だとしたら、ここは江戸時代で、しかも幕末ってこと?
さっきのは殺陣じゃなくて、ホンモノの斬り合いだっていうの…?!
そんな…映画やマンガじゃあるまいし!
それとも童話の魔法使い?!
神隠し?!
今、21世紀だよ?!
科学が進化し続けてる時代に、こんなことってありえんの?!
わたし、タイムスリップ…しちゃったのかな?
どうしよう…
何で…?!
ありえない!!
わたしがいた21世紀の京都で、あのとき一体何が起こったの?