ごく普通のタイ旅行記 総括
今回の旅行は色々と災難であった。
ここから少し、本編で触れられなかったタイ旅行で特別大変だったことを列挙したい。
①信号が全く意味ない
これは歩行者の話である。
タイ人は道路に車が来ていない隙を見計らって、上手く道路を横断する術を持っている。だから歩行者用信号機があんまり意味がなく、たとえどんなに大量の車がビュンビュン行きかっていても平気で突っ込んでいく。しかしただ無謀なのではなく、車が歩行者を見つけると止まるのを上手く活用したりと技術がハンパない。
轢かれないように道路を渡れるようになったらあなたもタイ人である。
②下痢
日本人で東南アジアに行った人間はとにかく下痢に苦しめられる。毎日下痢ピーサンダーである。
実際私も、もう二日目ぐらいから連日腹が下りすぎて危うく痔になりかけた。
防ぐ方法としては、とにかく水を摂取しない・水の多く含まれている食品を食べないことだ。しかし普通に暮らしていたらそれはほぼ不可能に近いという事情もある。そして、おそらく私が腹を下した原因は氷である。暑いからって覚えたてのタイ語で「น้ำแข็ง(氷)」を連発していたらこうなりました。
長期間滞在するなら、ボラギノールや胃腸薬を大量に持っていくことをオススメする。体質が慣れる他に対策は無い。
③トイレ
下ネタばかりで申し訳ない。
タイの公衆トイレは基本的に有料(どんなに高くても10バーツ以下)+紙が無い。常にポケットティッシュを持ち歩くことを推奨されたい。
そして何よりここがポイントなのだが、紙を便器に捨ててはならない。
大体トイレの横にゴミ箱が設置されているので、そこに紙を捨てるわけだがこれが習慣付くまでに時間がかかってしまった。どうして日本にいたときのくせでトイレットペーパーを便器に流そうとしてしまうのだ。ほんの少量なら問題ないが、日本人の感覚で紙を普通に流そうとするとすぐに詰まるので絶対に紙を流してはダメだ。
ちなみにタイ人は基本的にシャワー(大体トイレの水タンクの横にくっついている)を使って尻を洗っている人が多いようである。右手を握手、左手をトイレでと使い分けているんだとか。
④日本語喋れる人についていくな!
日本語で話しかけてくる人は親切な人ではない。ただの商売根性である。タイは親日国だと言われるが、裏を返せば観光で来る日本人をいいカモだと思っているのだ。
私もこの短い滞在期間、色々な場所で日本語で話しかけてくる人たちがいた。バンコクでもアユタヤでも、観光地だと日本語で「いい宿紹介しますよ」とかどうとか言う人がいたり、客引きから逃げようとしても腕掴まれたときもあった。タイは本当にそういう話が後を絶たない。
値段交渉についても、めんどくさがらずにきちんとした方がいい。タクシーに乗った時、百五十バーツだと言われて二人で百五十バーツだと思って乗ったら、一人百五十バーツだと言われて結局三百バーツ払うことになった時もあった。これは乗る前にちゃんと確認しなかったこちらの落ち度である。
日本人はナメられがちなので気をつけよう。
⑤ネットについて
タイもWi-Fiはそこかしこ――マクドナルド、空港、ホテルを借りればホテル――で飛んでいるので、最悪何も持っていなくてもネットを使うことはできる。ただしドーンムアン空港はWi-Fiが無い。
しかし海外で使えるWi-Fiルーターを借りてもっていくと非常に便利である。(羽田、成田ともに空港に貸出窓口がある)ネットがどこでも使えると安心だ。
接続すると大体4G~3Gぐらい、まあまあ快適といったところか。
⑥僧を敬え
タイはそこらじゅうに黄色い服着たお坊さんがいる。電車の待合室にお坊さん専用席とかもあったりする。
タイは日本の無宗教的な土壌は無いので、たとえ自分が宗教を信じていなくても宗教に敬意を払いましょう。
⑦最後に
海外旅行は男子なら一人で行け。
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今回のタイ旅行は私の思い付きであった。
ひょんなことから名古屋のタイフェスティバルというのに参加して、タイに興味を持った。
以来私は今年を「タイの年」と決めて、タイ語を勉強してネットで友達を作った。タイのポップスを聞き、現地を旅行してみたりしたわけだが、実際に外国に行くというのは大切だなと痛感した。
人づてに聞くイメージではなく、現物をこの目で見て空気を肌で感じるのは違う。
タイは面白い国だと思う。何が面白いかというと、文化や生活がまるで日本と違うことだ。日本の影響も節々にみられるが、中国やインド、アメリカなど本当に様々な国がタイに影響を与えている。バンコクは国際都市だし、プーケットはよりマレーシア寄りの文化を持っている気がした。
タイで暮らすというのは一つの選択かもしれない、と思う。旅行よりもっと現実に直面することになるだろうが、そういうのも悪くないだろう。
いずれにせよ、実際に現地に行ってみないと分からないことというのは多すぎるのだ。
ある国を理解する、というのはある種自分が無知で無力であることを認めるということだ。その国に対しての期待も失望も全て受け止めて、はじめてスタートラインに立つことができる。他人の考え方を変えさせようとか、自分の考え方を無理に変えようとせず、あるがままをよしとする。
これは私がさんざん以前、とある国に関わって学んだことだ。
ま、異文化適応のW字曲線、だのという話は実際に体験しないとどーにも分からんだろう、と思うのだ。私自身自分がさんざん打ちのめされるまで気づかなかった。
そういえばフアランポーン駅でお坊さんに声をかけられた。すごく気さくな感じで良い人だった。しかしこちらはタイ語が出て来なくて、พูดภาษาไทยไม่ได้(タイ語話せない)と言ったら笑っていたが、今度タイ人に話しかけられる時までにもっとタイ語を上達させたい――
日本に帰ってきて後輩たちとタイ料理屋でグリーンカレーを食いながら、そんなことを思った。