二人だけの花火大会
「なんで花火やるのに準備が必要なんだ……」
せっかくだから二人でやるのはいい。だが、千夏は「準備があるから三十分だけ待って!」と上気させた顔で言うなり急いで家に帰ってしまった。ばあちゃんはばあちゃんで、ニコニコするばっかりで花火なんてどこで貰ってきたのか教えてくれないし。
ただ待つとなると三十分は結構長い。意味もなく蚊取り線香をつけたり消したりして時間を潰していると、しばらくして庭先から下駄のからんころんという音が聞こえてきた。
「お、お待たせ」
勝手知ったる、という感じで直接庭に上がり縁側まで回ってきた千夏が正面に立つ。
「お、おう……」
思わず声がうわずる。その位、目の前の千夏の姿は新鮮だった。
濃い青を基調とした生地に白く添えられた花柄模様の浴衣。普段は無造作に垂らしているかポニーテイルにしている黒髪は、華やかなコサージュでアップにまとめられている。
「どう、かな?」
照れくさそうにそう尋ねる千夏に、俺は正直目を奪われていた。
「い、良いと思う。似合ってる」
ぶっきらぼうに言う俺の顔は、きっと赤くなっている。
「そっか。そっかそっか!」
嬉しそうにはしゃぐ千夏がおかしくて、頬がゆるむ。
「にしても、なんで浴衣。手持ち花火なんてすぐ終わっちゃうぜ?」
「いいの! こうゆうのは雰囲気を楽しむものだもん。宗くんは持ってないの?」
「ないって。つか、千夏も浴衣なんて持ってたっけ?」
「も、持ってたの!」
なぜそこで目をそらす?
「ほら、花火持ってきてよ!」
居間に戻って花火を取ってくると、千夏がこちらに向かって親指を突き上げてきた。
千夏の視線は俺を通り越した背後に向けられている。振り返ると、縁側に座ったばーちゃんがグーサインをしていた。
「何してんのお前ら」
「はげまされちゃった」
「は?」
「いいからほらっ、開けて開けて!」
「分かったって」
この花火セットって開け辛いんだよな。落ちていた石をカッター変わりに、バラにした花火の中からろうそくを見つけて火を灯す。俺が迷わず手持ち部分が紙になっている花火を手にすると、隣で千夏の笑い声がした。
「宗くんって、最初は絶対それ選ぶよね」
「わ、悪いかよ! 一個しかないんだぞ」
昔からの癖なんだよ。
ろうそくの火にあぶられた先端から、パチパチっと音を立てて火花が上がる。ちょうど良く暗くなってきた庭を色の付いた光が優しく包み込んだ。
「千夏、こっち来い。煙いだろ」
「うん」
千夏が手にした花火からも光の滝が流れている。ピンク色に照らされた彼女の顔がいつもと違って見えるのは浴衣のせいなのか。早く脈打つ鼓動に気付かないふりをして、次の花火に手を伸ばす。
いつの間にか、発火の衝撃でろうそくの火は消えてしまっていた。
「宗くん、火ちょうだい」
「ほら」
手から手へ、バトンのようにお互いの花火で点火していく。自然と近くなった千夏との距離を意識して、それでも気付かれないように。
ふと何気なさを装って隣を見るのと、千夏がこちらを向いたのは同時だった。
「…………」
「…………」
お互い無言で目をそらす。鼓動はさっきよりも早くなっていた。
途切れることない光の奔流も徐々に終盤にさしかかってきた。色とりどりに変化する光の中、浮かび上がる千夏の表情はやけに大人っぽく見える。
「ねえ、宗くん……」
「なに?」
久しぶりに口を開いた千夏だが、その先を続けようとしない。彼女の横顔は真剣で、それ故に流れ落ちる汗の滴がとても艶めかしい。
「あっちで、恋人とか好きな人とか……出来た?」
今にも消え入りそうな小さな声で、そう尋ねられた。
去年も一昨年も聞いたその質問に、俺も同じ言葉を返す。
「いないよ。出来ないよ」
俺の言葉に安心した……と、そうとしか思えない顔で千夏は笑う。
「そっか。そっかぁ!」
「なんで嬉しそうなんだよ、お前」
引っ越しさえなければ、距離が離れていなければ。俺だって……。そう、何度思ったことだろう。
「終わっちゃったね」
手持ち花火はいつの間にかなくなっていた。
「いや、まだこれがある」
「あ~線香花火!」
「ちょっと待ってろ」
そう言って、縁側から蚊取り線香を持ってくる。
「はい!」
千夏が渡してくれた細い花火の先端を赤くなった線香にくっつける。そうしてしばらくすると控えめな、それでいて華やかな火花を散らし始めた。
「あ」
「あ」
落ちた。意外に難しいんだよな、これ。
「そういえばさ。願いごとをしながら火を付けて、最後まで落とさず出来たらそれが叶う、って何かで言ってたな」
「ほんと!?」
「ああ。内容は嘘っぽいけど」
そう聞くなり千夏の目が真剣になった。
「おい、目が怖いぞ」
「しーっ!! 話しかけないで!」
はいはい。
「あ」
「あ」
「もぉ~! なんで!?」
悔しがる千夏に言い聞かせるように、
「無理だって。今日けっこう風あるし」
「そんなことない! もう一回!」
いつの間にか線香花火をやっている千夏を俺が見守る、という構図になっていた。
周りが一瞬明るくなったかと思うと、すぐまた暗闇に戻る。もう何度目だろう。ついては消え、ついては消え……それはまるで、俺と千夏の関係を象徴しているようで。
足下に視線を落としたまま、俺はずっと秘めていた思いを口に出そうとする。それでも口は動くのに声が全然出てくれない。
去年もそうだった。二人の間に横たわる物理的な距離をどうしても飛び越える勇気が沸かなくて。今よりもっと苦しくなりそうな気がして。
「やった、やったよ! 見て宗くん!!」
千夏の声に顔を上げると、彼女が手にした線香花火が最後の火花をあげている所だった。ここまでくれば落ちることはないだろう。
「やったな」
「うん!」
満面の笑顔を浮かべたかと思うと、今度は急にそわそわし始める。
「なんだ、どうした? トイレか?」
「ち、ちがうよっ!」
千夏の顔が赤く見えるのは花火の残像だろうか。
「願いごと、出来たんだろ?」
「出来たけど……。叶えるためには願いを伝えないといけないから」
最後の方は尻すぼみになって聞き取れなかった。
「何だって?」
俺の質問には答えずに、上目遣いでこちらを見上げてくる。ふとその視線が泳いで俺の背後にある家――毎年毎年、二人並んで花火を見上げていた特等席の縁側だ――をちらっと見る。
幼い頃の自分たちを見るような遠い目で、大丈夫、大丈夫……とおまじないのように呟きながら。
「千夏~何言って、」
「宗くん!」
突然大きな声を上げて俺の正面にしゃがみ込む。
「はいっ!」
思わず声が出た。なんだなんだ?
「伝えたいことがありますっ!」
「あ、ああ」
よく見れば、千夏の意思の強そうな大きな目には迷いの色が浮かんでいる。そして膝の上に置かれた手は小刻みに震えていた。
「あのねっ、えと、、そのっ……」
何度も言葉につっかえる千夏。流れる汗もそのままに、賢明に何かを伝えようとしている。
「ずっと、言いたかったの。ホントはね、お祭りのあとでね……言おうと思ってて。でも花火、なくなっちゃって落ち込んでたらね、宗くんのおばあちゃんが、」
言っていることは要領を得ない。それでも俺は口を挟まなかった。いや、挟めなかった。
「……宗くん、言ったよね? “友達やめられたくなかったら、毎年おれと夏祭りに行くこと!”って。その約束、今日果たせなかったよね」
「まぁ、そうだな」
「じゃあ、さ。もうわたしたちは友達じゃないのかな?」
「ばか、そんなことあるわけっ――」
あれは幼かった俺が照れ隠しで言った強がりだ。そう慌てて説明するより先に千夏の声がぶつかってきた。
「わたしはそうしたい!」
「え?」
「友達じゃ、嫌なの。わたしわがままだから……」
「それって……」
息を飲む。
「宗くん。ずっとあなたが好きでした。わたしと付き合ってください」
震える膝をむりやり押さえつけて。緊張のあまり涙が滲んだ瞳で、それでも真っ直ぐに俺を見据えながらそう言った。
声が出なかった。今になってようやく気付いた。千夏が毎年聞いてきた質問の意味も、彼女がなぜ突然予備校を探し始めたのかも。
俺が臆病になって足踏みしていた距離を、彼女は飛び越えようと懸命に努力してくれていたのだ。
答えなんて、とっくの昔に決まっていた。
◇
「お~い、何してんだ千夏、置いてくぞ」
冬の終わり。まだ溶け残っている雪を踏みしめ、坂の途中で足の止まっている千夏に呼びかける。
「ちょ、ちょっと待ってってば! 宗くんってばなんでそんなに普通なの!?」
「だって自信あるし」
「わ、わたしだって……あるもん」
語尾が震えてるぞ。
「だめ、やっぱり怖い! 宗くん変わりに見てきてくれない?」
そう言って数字の書かれた葉書を差し出してくる。あの時と同じ、緊張で泣き出す一歩手前の瞳。
何も言わず、千夏の手を優しく包み込んだ。
「あ……」
「大丈夫。一緒にあれだけ頑張ったろ? 絶対合格してる」
「うん……そう、そうだよね! ここ数ヶ月のわたしたちの電話代、もの凄いことになってたもんね!」
それはお前がメールじゃ元気出ないとか言い出したからだろ……。
止まっていた足が動き出す。まだ肌寒い空の下、固く繋いだ手だけが温かい。
「なぁ、この後どうする?」
「そうだね~……とりあえずうちに電話して、それから本格的に引っ越しの準備しなきゃ」
「それ、もしかして俺も手伝うの?」
「あったり前じゃん! お父さん説得するのにどれだけ苦労したと思ってるの? 言っとくけどわたしが下宿するって切り出した時、宗くんのこと殺しかねない目つきだったんだからね」
「……それ聞いたらますます行きたくなくなったんだけど」
「だ~め、もうこの手は離さないからっ!」
千夏が嬉しそうに繋いだ手を振り回す。何だかんだ言いつつ、俺だって千夏と離れるつもりなんかない。
あと少し。もう少しで千夏と過ごす春が来る。
――そう信じて、二人、並んで坂を登りきった。
読了感謝です!
書いてる途中で主人公が羨ましくなった作品。
「二人にとって、特別になった夏の日を切り取った」……そんな物語。
なんのひねりもない結末ですが……少しでも暖かな気持ちになってもらえれば嬉しいです。
それでは、またお会い出来ることを祈りつつ。