2:発現 -EXPRESSION-
一体、何がどうなったのかわからない。
ただマサトを殺した男が、血塗れになって壁に貼りついていた。
俺の感覚が確かならば、殴りかかったということは憶えている。
だが、それだけでこんな風になるだろうか?
茫然と自分の拳を見つめていると、残された男が俺に手刀を振り下ろしてきた。
…当たらない。どれだけ振り回しても当たらない。
俺が…避けているのか?
人並みの運動神経しかない俺が、まさに殺し屋風の男の攻撃を避けている?
「くそ!くそ!」
男の猛攻は止まらない。だが未だ服をかすめることすらできていない。
俺はもう一度、確認の意味も込めて男を殴った。軽く触れたと思った瞬間、男は四肢をあらぬ方向に折り曲げながら、文字通り奥へとふっ飛んでいった。もう動く気配はない。
「なんだ…このチカラは…なんで俺が…?」
視界がぼやけ、頭の中が真っ白だ…目眩がする。
身体中の力が抜けたように、俺は膝から崩れ落ちた。
意識が段々と薄れていく。
「マサ…ト…」
最後の力でマサトに手を伸ばした所で、俺の意識は途切れた。
ここは…どこだ…?
まるで見たこともない街。いや街というには荒れすぎている。
そう、これは…廃墟だ。
腐敗物のような臭気に涙が出る程むせかえった。
なんだこの臭いは…
原因はすぐにわかった。
目の前に転がっているのは、全て人間の死体だった。
胃の中のモノが全て逆流してきた。
涙で滲む視界を手で拭うと、ほんの少し先に人影が見えた。
よかった…まだ生きている人がいる…
段々とその姿が見えてきた所で、俺は立ち止まった。
小さな子供が泣いている。その目の前に一人の男が立っていた。
まさか…!
男が手を振り上げた瞬間に俺は叫んだ。
待てよ!まだ小さい子供じゃないか!
男は動きを止め、ゆっくりと俺の方に振り返った。
その顔にはひどく見覚えがあった。いや、毎日見ていたはずだ。
それは…俺の顔だった…
「うわぁぁぁ!」
驚きと絶望に叫んだ俺は、さっきの廃墟ではなく、真っ白な部屋のベッドの中にいた。
やや高い位置に取り付けられた窓から、射し込む陽差しが目を強く刺激する。
綺麗に片付けられた部屋。
俺はしばらく茫然と視線を泳がせ、ゆっくりと立ち上がった。
部屋の端にはドア、中央にはやや小さめの丸机、壁際の本棚。
机の上に置かれていたコップの水を、渇いた喉に流し込んだ。
本棚に並べられた本の背表紙を、おもむろに目で追うと、そのいくつかが聖書だということに気づいた。
病院ではない…
「ここは教会か?」
確か倒れた場所の近くに教会があったはずだ。
誰かに運び込まれたってことか…じゃあマサトは!?
その時、遠慮がちにゆっくりとドアが開いた。
「あら、もう目が覚めたのですか?」
優しい声。俺は振り返り、声の主と向き合った。
この教会のシスターであろう。
俺より頭一つ小さい身体に修道衣を纏っている。
「もう歩いても平気ですか?まだお休みになられた方が良いのでは…」
心配そうに俺の顔を覗きこむ。
「い、いや…もう大丈夫ですから」
俺は視線を逸らしながら答えた。
シスターの大きな瞳に吸い込まれそうだった。
「そうだ、俺の他に一緒にいた奴がいるんですけど」
マサトは…マサトはいるのか!?
「え?倒れていたのは貴方一人でしたけど」
「そうですか…」
もしかしたら家に帰っているのかもしれない…
そんな期待を込めて、シスターに一言断り、マサトの家に携帯で電話をかけてみようと思った。
「もしもし、冴木ですけどマサト君は?」
「あら、和真くん?久しぶりね〜」
電話に出たのは、マサトの母親だった。
中学の時にしょっちゅう世話になっていた。
「マサトね、昨日から家に帰ってこないのよ」
「………」
「私はてっきり和真くんと一緒にいると思ってた」
やっぱりマサトは…あの時に…
できれば夢であって欲しかった。
だが甘い期待とは裏腹に、現実は酷く残酷だった。
「まったく、いつになったら帰ってくるのかしら」
マサトの母は、息子がどうなっているのか知らない。
涙が溢れそうになったが、俺はムリヤリそれを止めていた。
「きっと…そのうち帰ってきますよ」
「そうね、和真くんは親不孝するんじゃないわよ?またいつでも遊びにきなさいね」
携帯を閉じ、俺はしばらく無言で立ち尽くした。
「その方とはお友達だったんですか?」
シスターの声に、頷くことしかできない。
声を出そうものなら、今にも泣きだしそうだった。
俺の感情が治まるまで、シスターは黙って傍にいてくれた。
目が合うと優しく微笑みかけてくれる。
まるで昨日起こった事件が嘘のように、この場所は静かだった。
実はすべて夢で、このまま帰れば何事もなかったように、また同じ毎日が始まるんじゃないか?
家に帰れば親が迎えてくれて、明日になれば学校で友達にも会える。
そう、マサトとも会えるんじゃないか?
「シスター、色々とお世話になりました。俺はもう帰ります」
俺はシスターに一礼して、部屋を出ようとした。
「貴方のチカラ…」
「えっ!?」
ドアに手をかけた俺は、シスターの言葉に驚き振り返った。
「貴方のチカラ…不思議ですね。とても強くて怖いのに、なぜか哀しい」
全てを知っているかのような瞳。彼女は俺のチカラを見ていたのか?
「シスター…なんで…?」
開けかけたドアを閉め、シスターと向き合った。
「私もそうなんです。私にも他の人にはない、特別な能力があるからわかるんです」
「能力…?」
わけがわからない…
こんな優しそうなシスターにも、あんな恐ろしいチカラがあるというのか?
混乱している俺に、シスターは少し笑って答えた。
「私は貴方とは物が違います。人の心の中を見ることができるんです」
「人の心を…?」
「そう【アイズワイドシャット】という能力です」
彼女の心を見透かすような瞳は、その能力というやつなのだろうか。
「このチカラは何なんですか?まるで超能力みたいな…」
ありえない、ずっとTVでそれを取り上げるたびに嘘だと思っていた。
その超能力が今、自分に関わり始めたのだ。
「私にもよくはわかりません。私の場合、生まれつきですから」
俺はつい昨日気づいたばかりだ。それを生まれた時から持っていたのか。
シスターは目をこらして、俺をじっと見ている。
「でも…【ロストソウル】それが貴方の能力らしいですね」
「ロストソウル?」
自分の両手を見た。俺の中にそのロストソウルという能力が宿っている。
人を殺す程の力を持った、凶暴な能力が…
「モノには使い方というものがあります。それを誤りさえしなければ、立派な取り柄になりますよ」
まるで自分に言っているかのように、シスターは語った。
「シスター、色々教えてくれてありがとう」
「いえ、知ってることだけしかお話できませんから」
と言い、軽く会釈した。
「それじゃ俺、もう帰ります。あの…また来てもいいですか?」
その質問にシスターは笑顔で答えた。
「ええ、ぜひ来てください。私の名前は伊藤美里【いとうみさと】です」
「俺は冴木和真です。それじゃまた」
俺は軽やかな気持ちで部屋のドアを閉めた。