1:覚醒 -AWAKING-
「…ダルい…帰りてぇ…」
見飽きた高校の教室。均一に並ぶ机。
その一つで今にも溶けかかっているのが俺、冴木和真【さえきかずま】だ。
今月から高校3年生となった俺は、はっきりとした進路も決まらず、春休みの余韻にひたりながら、毎日をダラダラと過ごしていた。
一部を除いてまわりの友達たちは皆、大学受験や就職などに必死だ。
けして俺も楽観しているわけではないが、かといってその波に混じる気もない。
まぁ成るようになるさ…と大きなアクビをして窓の外を眺めた。
「良い天気だな…」
校庭に並べて植えられた桜の木が、きれいに色づいて咲いている。
昼休み中ということもあって、その下で昼食をとっている生徒もいた。
「春だねぇ…」
毎年同じ周期でこの季節は訪れる。もう二千回以上も繰り返している季節。
俺が何才になっても、俺がいなくなっても当たり前のように繰り返す。
「それが季節ってもんだね…」
窓から入る陽射しを浴びているうちに、俺はゆっくりと眠りについた。
教室中に響き渡るチャイムの音で目が覚め、気づけばもう下校時間になっていた。
「おーい和真、遊んで帰るだろ?」
俺の肩を叩くのは、中学からの友達、マサトだ。
「なんだよスポーツ少年、今日は部活ないわけ?」
マサトは中学時代からサッカー部に所属している。運動神経は良いらしい。
「まだ学校始まったばかりだぜ? たまには休ませろって」
「あーあ、悪い奴だな」
俺はコツンと肘打ちをして、マサトを茶化した。
「はいはい、じゃ渋谷でいいよな?」
と言いながら、マサトはバッグを持って教室のドアへ向かった。
「おいおい、遊びに行くの決定なんだ?」
「とーぜん」
もう教室から出ようとしていたマサトを、追いかけるように席を立った。
渋谷に着いたからといって、特に何をして遊ぶということは決めていない。
ほぼ毎日部活をしているマサトにしてみれば楽しいだろうけど…
俺達はフラフラと街を歩き、手の出ない金額の服を見たり、ゲーセンではしゃいだりしていた。
くだらないことで大笑いして、何も考えずに毎日を過ごす。
きっとこんな感じでこれからも過ごしていくんだろうなと思った。
強い刺激や変化はないだろうけど、忙しいよりはずっと良い。
金が無ければバイトすればいいし、淋しくなったら一緒にバカやれる友がいる。
これから何十年後のことなんて考えても、頭が痛くなるだけだ。
俺達は生きてるんだから、今を楽しまなくてどうする。
「おい、あれってC組のカナじゃねぇ?」
マサトの指差す方向を見ると、確かに同じ学校の生徒がいた。彼氏連れで。
「マジかよ…超ショックなんだけど…」
落ち込むマサトの肩をポンポンと叩き、
「女なんて星の数」
と、どこかで聞いたような慰め文句を言ってあげた。
「あーあ、彼女ほしいよな。せっかく高3になったっていうのに」
「そりゃ言えてるね」
彼女か。しばらく縁がないな。
もしこれでカワイイ彼女なんていたら、人生バラ色なんだろうけどな。
とその時、通りかかった路地裏から声が聞こえた気がした。
「…なんだ?」
俺は少し戻って路地裏を覗き見た。暗くて何も見えない。
「なんか声が聞こえた気がしたんだけど…」
…やめろ…
俺とマサトは顔を見合わせた。
「おい、ケンカじゃないか?」
マサトの顔がみるみる嬉しそうな表情になってきた。
「ちょっと待て、それは悪いクセだぞ」
「いいじゃんか、ちょっと見てこようぜ」
止める俺を手で押し退けて、マサトは路地裏に入ろうとしている。
「ほんと仕方ない奴だな。ちょっとだけだぞ」
足音を立てないように、ゆっくりと奥に進んでいった。
だが俺は少しずつ暗がりに目が慣れてきた所で、なぜか異様な不安が胸の中を渦巻いてきた。
「お、おい…なんか変じゃないか?」
俺より一歩先に進んでいるマサトに小声で話しかけた。
「そうか?…あれ、なんだこれ?」
壁に手を当てて進んでいたマサトが、立ち止まって自分の手を見つめた。
「どうした?ガムでもついたのか?」
しばらく手を見つめていたマサトの表情が急に凍りついた。
「おい…これって…血じゃないか…?」
俺の目の前にかざした手の平に、赤黒い液体がこびりついていた。
「う、嘘だろ…?」
その瞬間、路地裏の奥がはっきりと視界に入った。
ポリバケツが倒れ、ゴミが散乱している。
その前に黒服に身を包んだ男が一人立ち尽くし、ゴミの山を見つめている。
山の方に視線を向けると…そこには上半身のみの男が埋もれていた。
「ひっ!!」
俺達は反射的に悲鳴を発していた。
その声に反応したのか、もしくはとっくに知っていたのか、黒服の男がゆっくりと俺達の方向に身体を向けた。
「ひっ…人殺し…!」
逃げろ!と頭ではわかっていても、足が震えて身動きが取れない。
男は俺達をしばらく見つめていると、ゆっくりと口を開いた。
「ふん…見られたなら…仕方ないな。悪く思うなよ」
一歩ずつ、確実に距離が縮まってくる。
気づけばもう男は、俺達に手が届く場所まで来ていた。
「ゆ…許して…!」
男の手が、ゆっくりと頭上に上げられる。
「うおぉぉぉ!!」
俺は無我夢中で男に飛びかかった。
まさか抵抗してくるとは思っていなかったらしく、容易に押し倒すことができた。
「貴様!」
「マサト!逃げろ!」
やはり腕力では叶わないのか、徐々に俺は押し返されてきた。
「わ、わかった!すぐに警察呼んでくるから待ってろ!」
振り返って走りだしたマサトに安心した瞬間、突然マサトは音を立てて崩れ落ちた。
「まったく…誰かに見つかるようじゃ三流だと言っただろ」
路地裏の影からもう一人、黒服の男が現れた。
「も、申し訳ありません…」
俺は一気に押し返され、床に転がった。
マサトは…動かない…
「マサ…ト…」
俺は仰向けで倒れているマサトに近づいた。
中学からの一番の友達だった。サッカーが好きだった。これからもずっと一緒にいられると思っていた。
そのマサトは、頭から血を流して、ぴくりとも動かない。
「あ…あああああ…」
何度揺すっても反応してくれない。涙が頬を伝って地面に落ちていく。
「悪いな。見られた以上、お前も死んでもらう」
二人の男が俺を囲んだ。
「…さない…」
「なんだと?」
「てめぇら!許さねぇ!」
俺はゆっくりと立ち上がり、男たちを睨んだ。
「残念だが、君の実力では期待に答えられそうにない」
男達は鼻で笑い飛ばした。
「殺す!殺してやる!」
マサトを殺した方の男に、全力で飛びかかった。
そして…すべてが始まった…