武人 四
標高八百メートル地点。
そこは高い木々も少なく、薩摩の全貌が見渡せるようになっていた。
甲の説明通り、そこには廃れてから何年も放置されたであろう神社があった。
鳥居は枯れ落ち、石畳は風化してひび割れ、拝殿どころか本殿すらも崩れていた。
「……夜中に来たら何か出てきそうだね」
「火の玉などでございましょうか?」
「これほどになるまで捨て置かれた神社というのも珍しいですね」
三人は着いてから各々の感想を述べながら境内を見回していた。一塊になって行動する辺り、警戒は怠っていない様子だった。
そんな三人から少し離れて、要は先程登ってきた石階段を振り返った。
見下ろさずに、視線を海へと向けて。
そして、言われたように南西を見やれば、確かに甲の言っていたとおり霧がかかった大きな島がそこには浮かんでいた。
「要君、本当にあそこが救世主の本拠地だって言っていたの?」
一人違う行動をする要が気になったのか、千尋が彼に歩み寄った。
「……あぁ」
「確かに、他の島に比べれば大きいけど、あの大きさだったら他にも結構あるよ?」
千尋の言うとおり、見渡して見える場所だけでもそれなりの規模を持つ島はかなりある。中には笠井大島より一回り大きなものもあるほどだ。
「……しかし、奇妙なことに霧が深くかかっているのはあそこだけだ。そのせいで、島の中の様子は遠目からではほとんど見えない……何かを隠すにはうってつけ……」
そこまで言ったところで、要は身を震わせた。
明確な殺意が、突如複数現れたためだった。
振り返って見れば、アンジェとソフィーも気付いた様子ではあるが、『どこからか』が分からず、落ち着きなく周囲を見回していた。
そして、『それ』は飛火を噴かせて二人に飛び掛った。
「……!」
失態だと、要は後悔した。
何故、二人より離れた場所にいたのか。
何故、奇襲の可能性を考慮しながらも、対策をうたなかったのか。
この場から駆け付けようにも、距離が空きすぎていた。
全力で走るが、そんなものは騎行に比べれば亀の歩みに等しい。用意していた太刀が届く距離では、当然ない。
「……ソフィー! 反転と同時にアンジェを押し倒せ!」
「……! 諒解!」
咄嗟の判断で要はアンジェに切りかかるそれを回避させようと、近くにいたソフィーへと命令を出した。呼び掛けに対して彼女はほとんどの誤差なく動き出し、アンジェへと倒れ込むように後方から襲ってくる白刃を辛うじて避けた。
「……っ……!?」
その際、アンジェは小さな悲鳴のようなものをあげかけたが、それを必死に飲み込み、もう一つ襲ってくる白刃を、ソフィーを抱いて転げるように避けた。
ただ、それでは距離が足りず、鋒が二人を掠めようとしたが、そばで構えていた丙竜の自律形態である鉄の犬が二人を押し出した。
それによって第二撃は丙竜を両断するも、人一人傷付けることなく地面に埋まった。
『もう一丁……』
「……! もう……お止めください……!」
大きく振りかぶられた第三撃を前に、アンジェは声を大にして叫ぶと、突如、社や本殿、そして大地が大きく揺さぶられた。
『……っと、じ、地震か!?』
尋常ではない揺れ具合に、三騎は体勢を大きく崩し、膝を着いてようやく倒れずに済んでいるといった様子だった。
「いい加減にしなさい!」
その隙を千尋が見逃さず、それぞれ二発の『空弾』を三騎全てにぶつけて吹き飛ばした。
『カハッ……!?』
姿勢を維持することに集中していたのであろう襲撃者はそれをまともに食らい、肺の中の空気を吐き出しながら足を崩した。
「ソフィーちゃん、アンジェちゃん、大丈夫!?」
「あ、アンジェは大丈夫、でございます……ですが、ですが……ソフィーさんが……!」
「!?」
慌てるアンジェに釣られてソフィーを見れば、彼女の二の腕には深い刀傷が着けられていた。誰の目から見ても重傷であることは明らかであり、少しでも出血を抑えようとアンジェは汚れることも構わず、自身のメイド服を破って応急処置をした。
多少の焦りはあったが、そこは経験が活きたのだろうか、アンジェは素早く手当を終わらせることができた。
「……今すぐにでも治療を……」
「だ、大丈夫です……少々痛みますが、耐えられないほどでは無いので……」
ソフィーは身体を起こしながら、息を僅か乱しながら答えた。耐えられるとは言っているが、だからと言ってすぐに行動を起こして良い状態であることは誰の目から見ても明らかだった。
「で、ですが……アンジェの所為でソフィーさんが……!」
ソフィーの顔色を見て、アンジェはさらに慌て始めた。止血を施しているにも関わらず、出血が収まる様子は全く無く、滲んだ血が二人の服を赤く汚していった。
「ふふっ……アンジェさんを助けられたなら、この程度の傷は安いものです……ですが、丙竜には悪いことをしてしまいました……」
言いながら彼女は鉄の犬の残骸へと視線をやった。
両断されたそれは、もう動くことはなく、静かに横たわっていた。
「……ですが、今の揺れは一体……?」
「ソフィーちゃんの神技じゃないの?」
「いえ、確かにあれほどの地震も起こそうと思えば起こせますがが……先程は避けることに必死だった、ので……」
『……仕留め損なったか……』
三人の会話を遮るように男の声が聞こえた。
『まぁ、一人を無力化出来たんだ。そこそこの結果だろうよ』
『幼くも【防人】ということか。先程の一撃も結構効いたな……』
ようやく落ち着きを取り戻した三人に対して、三騎の武人がゆっくりと立ち上がった。千尋の攻撃が効いていないということは無いのだが、明らかに『回復の速度が早すぎる』のだった。
「……相変わらず、いきなりで無礼な人たちだね? 【救世主】の方々?」
耳障りな言葉に対して、千尋は静かな怒りを込めながら尋ねた。
『なに……知られたことを忘れてもらうだけだ。ただ、下手な抵抗をすれば命の保証は無いがな』
「……怪我をさせておいてその言い草、やはり救世主で間違いなさそうですね」
応急処置のおかげで動けるほどにまでなったのか、ソフィーがふらついてはいるが、立ち上がりながらそう皮肉った。しかし、優位にいる三人にはそれも負け犬が何か言っているようにしか聞こえていなかった。
少なくとも数物でない釼甲を纏った男達にとっては、現状・武人一人に神樂二人、しかもその内一人は損傷を負って充分に動けない、そして一般人一人。一方襲撃者は全員、正体不明の『複数の色』を持つ釼甲を纏っている。余裕を持つには充分すぎる程だった。
『ま、気の強い女は嫌いじゃないけど、俺たちの為に……消えてくれや!』
言いながら端にいる男が力任せにその手の剣を振りかぶり、勢い良く振り下ろした。
目標は、動けないソフィー。
その一刀が、生身の人間を唐竹の如く両断……するはずだった。
だが、それは彼の想像だけで終わり、現実は武人とソフィーの間に入った者の太刀によって真正面から受け止められた。
『なっ……!?』
男が驚くのも無理は無かった。
なぜなら、釼甲による一撃が、生身の人間の……しかも片手によって阻まれたのだから。
『おい! 手加減してるからそんなことに……』
『い、いや、手加減なんて微塵もしてねぇよ!』
『何を言っている!? そんなことが出来る訳が……』
「……煩い」
異様な光景に慌て始めた武人三人に対して、要は低い声でそう言うと、相手の剣を右後方に逸らすと、そのまま『破城』で目の前の武人を突いた。
鋒は鋼の胸部甲鉄に触れ、刺さり、穿ち、貫いた。
『……か、ハァ……!?』
やられた男は何が起こったのかを理解出来なかった。
無理もない。銃弾すらも弾くはずの装甲が、生身の人間による突きを弾くことなく通してしまったのだ。
認識するよりも先に男はその鋼の身体を背中から倒し、装甲が解除され、そのまま動かなかった。
『お、おい!? 冗談なんかしている暇は無いぞ!』
三人の長らしき中央の男が声を荒らげて呼びかけるが、倒れた男はうめき声を出すだけで返事をする余裕は無かった。
先程まで感じていた余裕は、砂埃の如く軽く吹き飛んでいた。
『な、生身で装甲を貫通って……ば、化け物か、こいつ……!?』
「……俺の家族に傷を付けたな?」
恐れ震える男二人に対して、要は静かに歩み寄りながら問い掛けた。
……修羅……
その男はその言葉がこれ以上ないほど当てはまる怒気を孕み、彼らには砂を踏みしめる音が嫌というほど耳に響いた。
その隣に影継が駆け寄り、戦闘を始める準備は充分に整った。
「そうしたからには、無事に帰れるとは思うな……影継!」
《応》
「ソフィーを封神対象にする。治癒能力は全て彼女に施すように!」
《承知!》
影継の確認を取ると、要は素早く装甲の構えを取った。
《これより修羅を開始する
鋼の志は如何なる障害にも折れる事無し
我、天照らす世の陰なり》
眩い光の後、漆黒の武人が現れる。
ただ、普段よりも纏う雰囲気を違えて。
『……ソフィー、傷の具合は?』
《痛くない、といえば嘘になりますが……少なくともこの戦闘は耐えられます》
『なら……五分! その間、無茶を言うようで悪いが、神技を頼む。『どれを』扱える?』
《……太刀と鎧通しなら。野太刀は少々素材が異なるので不可能です……》
『充分。ならばその二つを、思い通りに動かせるか?』
《諒解です》
彼女の確認を取ると、要は素早く腰に差された二本を抜刀した。
引き抜かれた刀は、要が手を離しても地に落ちることなく、宙に浮いて怪しく揺れた。
『……か、刀が……浮いた?!』
『さっきの女の神技か!?』
『貴様らに答える義理はない!』
漆黒の武人が吼えると同時、宙に浮いていた刀はそれぞれ一人ずつを相手するように襲い掛かり、鍔迫り合いを始めた。
『……クッ……! 速い……!?』
両者共に辛うじて受け止められたが、それだけで終わることはなく、白刃は阻まれれば再び後退と切りかかりを繰り返した。
『落ち着け! 確かに速いが対処できないものではない! 加えて刀の重量だけだから一撃もそう重くは……!』
《一刀に気を取られていては三流、周囲に気を配れて二流、戦場を把握してようやく一流。貴様らでは主の相手は務まらん!》
『……!』
近寄る声に反応すれば、前方で構えていた武人の懐には既に漆黒の武人が野太刀を左方下段に構えていた。上方で鎧通しを受け止めた武人は、当然胴ががら空きになっており、そこへ鋭い横一閃『湖月』を見舞われた。
『…………!』
悲鳴を上げることは叶わなかった。
装甲が、胴が斬られたことに気付いたのは倒れる寸前であり、次の瞬間には失血により意識を落としていたためだ。
大音を出して地に倒れると、先程の男同様戦闘不能に陥った。
『……ひ、一人で二人を……しかもこんな短時間で……!?』
起こったことが未だに信じきれないのか、長らしき男は声を震わせながら漆黒を見た。躊躇いなく致命傷になりかねない一撃を放ちながらも、感情らしきものはひとつとして見えず、ただ静かに、事を為そうとするように、黒は、闇は歩み寄った。
《……! 主! 上空から武人襲来、即座に後方へ回避!》
『…………』
影継の警告を、慌てず騒がず、要は二歩引くだけでその場を離れた。
上空から襲いかかるは、逆光で見えぬ黒い影。
飛火を噴かせ、武装を持たずして、地へと向かう。
そしてそれは、その勢いのまま、先程まで漆黒の武人がいたすぐ傍に降り立った。
着地の際に、ひび割れた石畳を砕き、神宮の周囲を囲う木々を風圧で揺らした。
『……久しいな、【紅蓮】』
要は静かにその色を呼んだ。
降り立ったのは、鷺沼で彼が敗北を喫した【紅蓮の魔王】。
武装を持たず、その拳、その脚を武器とし、要を圧倒した武人だった。
『……そこの……』
要の呼びかけに紅蓮は答えず、追い詰めてられていた男を指差した。
『……この男相手では、お前では敵わない。即急にそこに倒れている二人を連れて拠点へ戻り、こいつらの存在を報告しろ』
『……ならば二人がかりで……』
『騒ぎを長引かせればこの者たちの援軍が来る。そうなればこちらが勝てる見込みは薄い……なら、取るべき手段は自然残されるだろ?』
『…………チッ……!』
それ以上の反論はできなかったのか、男は倒れている二人と二領を脇に抱え、空へと駆け出した。その方角は、まっすぐ、確かに『笠井大島』へと向かっていた。
『……悪いな。二年ぶりで少し判別に困ったが……どうやらお前もようやく【業物】を手に入れたようだな?』
振り返った紅蓮は、漆黒のつま先から頭の先まで見渡してそう言った。
どこか懐かしそうに。
無造作に構えているようでありながらも、隙がほとんど見当たらない、洗練された雰囲気を纏っていた。それに対して要は臆する様子を見せず、静かに口を開いた。
『あぁ……これで武人の条件はようやく対等、だが……勝負はあずけてもらえるだろうか? 怪我人がいるので、その治療に専念したい』
「要君!?」
自身の不利を明らかにする発言に、千尋は驚きを隠せなかった。確かに、ソフィーの出血は急いで治療を行うべきものであることは間違いないが、だからと言って先程までその戦闘に居合わせなかった紅蓮に知らせるべきことでは無く、場合によっては『長期戦に持ち込む』という戦略を与えてしまう『愚策』であるからだった。
予想外の弟の発言に、千尋は思わず攻撃に対して身構えたが、それは見事に裏切られた。
『……確かに、神樂が気にかかって戦えない、という理由で負けられても嬉しくないからな。それにこちらも封神をしていない……なら、場を改めて勝負をするとしよう』
しかし、意外にも紅蓮は要の要求を素直に飲み込んだ。
真に救世主へと忠誠を誓っている武人ならば、この機を見逃すことなく殺しにかかってもおかしくない。にも関わらず、紅蓮は正々堂々を選んだ。
虐殺集団に身を置いているとは思えないほどの清々しさだった。
《……寛大な処置に感謝しよう》
《なに、万全でない武人相手に勝っても嬉しくない。その点に関しては俺も主と同意見だっただけだ。礼を言われることじゃないさ》
釼甲同士の会話はそれだけで終わり、それと同時に紅蓮は漆黒に背を向けた。
『……では、笠井大島にてお前を……大和軍を、防人を待つ』
『……諒解した』
場所を知らせられると、要は頷き、その名を口にした。
『心して待っておくように、片倉甲』
返事は無かった。
その直後、紅蓮は飛火を噴かして空へと駆けたのだった。
しばらくそれを見送っていた彼らだが、ソフィーの声が小さくなり始めてようやく動きを見せた。
『……アンジェ、端末の認証番号を伝える。それで龍一に蜥蜴丸を連れて宿へ来るよう連絡してもらえるか?』
「は、はい! かしこまりました!」
言って彼女は地面に何らかの衝撃で落ちたのだろう端末を拾い、それを操作し始めた。要は装甲を解除し、傷ついて意識を失ったソフィーを抱きかかえてそのまま来た道を、揺らさないよう、かつ急いで戻っていた。