武人 弐
「引き分けか。ま、俺としては良い勝負が出来ただけでも御の字ってところだな」
「自分もいい経験になった。礼を言おう」
ある程度回復した要と甲は道場から少し離れた場所にある片倉甲の家の縁側で談笑していた。先程の鬼気迫る勝負がまるで無かったかのような打ち解け具合だった。
元々真面目な性格である要は、明るくも努力家である甲と様々な面で気があったようで、基礎体力の重要性、異なる武器を相手にした時の対処法など時間をかけて話し合っていた。
「……しかし、もてなしなどは気にしなくても良かったのだが……」
「いやさ、実は仕合前にも言ったとおり、親父含めて門下生が遠征修行に出ているんだが、困ったことにそれが咄嗟の思い付きなもんだったから、冷蔵庫に買い溜めがあることを忘れていたみたいなんだよ。で、一人じゃ処理しきれないから、出来れば多目に食べてくれれば助かるんだ」
言いながら甲は四人に『それ』を差し出した。
大盆に乗せられたのは、賞味期限が切れるのが早い生菓子ばかりであり、全員に食が進むよう緑茶も急須も注ぎ足し用の湯も用意されていた。
「あの、片倉さん……」
「あ、俺のことは皆、甲で構わないぞ。あと『さん』付けも無しで良いからな。『甲さん』だと参りました、の方の『降参』を連想して嫌いだからさ」
「申し訳ありませんが、アンジェは『片倉さん』で呼ばせていただきます」
「私も、です」
「それじゃあ、私は片倉くん、かな?」
提案は見事受け入れられなかった。
「……んー、まぁ良いか。呼びやすい名前なんて人それぞれだからな……で、真白はどうかしたのか?」
そのことを別段気にした様子も無く、甲は話を進めた。
「あ、はい。その買い溜めにお野菜やお肉などは含まれているのでしょうか?」
言いながらアンジェは台所にある巨大な冷蔵庫へと視線を向けた。それは一般的家庭に普及しているそれに比べると、二・三倍程大きく、人気食堂・料理店に置かれていても違和感無い代物だった。
「あ~、実は、な。うちは結構門下生が多い上に全員泊り込みなんだよ。で、食事は月謝の中からいくらか貰って料理するんだが……」
「……今回は肝心の消費者が居なくなった、ということだろうか?」
「そういう事。あと、俺自身、料理があまり上手くないってことも問題かな? 出来たとしても精々丸焼きとか適当な煮物ばかりになって飽き始めたところで……」
「……多少料理できるだけでも充分だと思うぞ」
言いながら要は少しだけ項垂れた。
「あはは、要君の料理は壊滅的だからね~。そういうことが出来る子が羨ましいんでしょ?」
「否定はしない」
千尋のからかいに対して、少しだけ顔を背ける要だった。
「それだったら誰かに教わってみたらどうだ? 俺だって最初は何度も焦がしたさ。けど、渚砂に教わってようやく人が食べられる程度にまでなったぞ」
「……渚砂さん、ですか?」
自然と出てきた名前にソフィーが反応を示した。
「ん? あぁ、渚砂……瀬戸口渚砂って言うんだけど……あいつはうちの門下生の一人で……そうだな、写真を見せたほうが早いか、ちょっと待ってろ」
一瞬だけ、甲は何か企んでいるような表情を浮かべると、そう提案して座っていた座布団から腰を上げようとした。
「あ、片倉さん。冷蔵庫の中の食材は使ってもよろしいでしょうか?」
立ち去ろうとする甲をアンジェが呼び止め、そんなことを尋ねた。立ち上がろうとしていた瞬間なので、中腰になりながら甲は答えた。
「ん? 構わないけど……なんでだ?」
「いえ、そろそろお昼時なので、皆さんに昼食をお出ししたいと思いまして……」
「あー……お客さんにそんなことをさせるのはさすがに気が引けるんだけど……」
「あ、アンジェちゃん。お昼は出来るだけ野菜多めの料理でお願いね。片倉くんも肉ばっかりじゃ栄養が偏るだろうから」
「かしこまりました。では!」
「……聞いちゃいねぇな」
「済まない、姉さんが関与したら俺からはもう……」
仕切る千尋に、既に行動を始めるアンジェに要は申し訳無さそうに頭を下げていた。見下ろす甲からも要の背から苦労の色が滲んでいるのがはっきりと見えていた。
「……苦労してそうだな……っと、それじゃあしばらく外させてもらうぞ。それまでの間は……まぁ、好きなようにくつろいでいてくれ」
そう言い残すと甲は今度こそ縁側を離れていった。
残された要たちは小声で話し始めた。
「……マスター、これは興味本位なので、答えなくても良いのですが……片倉という男の実力はどれほどのものなのでしょうか?」
「……分からない」
ソフィーの問いに、要は珍しく明確な答えを出さなかった。
「……分からない、とは?」
「間違いなく甲は実力を隠している。最後の一瞬だけの全力では計り知れない……ということだ」
答えを聴きながら、ソフィーは要の顔を覗き見た。
それは、仕合前に甲が見せた表情に酷似していた。
強者を前にして、血の騒ぐ、武人のものだった。
「……けど、あれだけの実力があるなら、天領に居てもおかしくないんじゃないかな?」
「……それどころか、マスターの言葉が真実ならば、防人部隊に誘われていてもおかしくないのですが……」
「……」
ソフィーの疑問に要は答えなかった。
それは、不明であるから言葉が出ない、というよりも、何かに気付きながらも黙っている様子だった。
しかし、口を固く噤んでいる要を見て、彼女はそれ以上追求することが出来なかった。
「悪い、待たせたな。一番写りのいいやつを出さないと後がこわいからな」
それから一時間ほどで甲は縁側へと戻ってきた。
その手には一枚の写真が握られており、彼はその写っているものを三人に見せた。
「これが渚砂だ。結構男前だろ?」
写真には短髪の凛とした道着姿の、十二歳程度の子供がいた。
甲らしき少年の肩を組み、拳の背を向けて満面の笑顔を浮かべており、『腕白』といった言葉がよく合いそうだった。
「……男前だけど……やっぱり要君の方が私は良いかな?」
「この方が料理上手とは……面白いものですね」
女子二人はそれぞれ感想を述べるが、要は一人その写真の子供を長く見つめていた。
「? どうかしたの、要君?」
「……いや、この『女子』なら椛と話が合うのではないかと思っただけで……」
「「……え?」」
要の口から出た予想外の単語に千尋もソフィーも驚きを隠せなかった。
「こ、この子が……お、女の子?」
「で、ですが……これはどう、見ても男子……では……?」
意識して見ても、彼女たちには女の子に見えているようで、二人揃って写真を必死に覗き込む始末だった。
「あ~、やっぱり間違われたか。渚砂は正真正銘の女子だよ。胸は薄いし、男勝りで、初見なら九割九分で男と間違われるけどな」
「……それは本人の前で言わないほうが良いな」
「皆様、お蕎麦と天ぷらが出来ましたので、ただいまお運びいたします!」
要が甲を嗜めるとほぼ同時に台所からアンジェの元気な声が聞こえた。丁度風に料理の臭いが運ばれて、四人の鼻腔をくすぐった。
「それでは私はアンジェさんを手伝ってきます……片倉さん、お皿はどちらにあるのでしょうか?」
「お箸は多分あそこの箸立てに入っているやつかな?」
「いや、手伝うこと自体は構わないけど、お前たち一応客だからな? 何もするな、とは言わないけど、くつろいでいても全然構わないからな?」
「……度々申し訳無い」
我が家のようにふるまい始める三人の代わりに、再び要が頭を下げた。
それから三十分ほどかけて、五人はアンジェの用意した昼食を綺麗に食べ終えた。