彼の者、修羅と成りて守護を為す 弐
大和國九州地方。
本島の南西部に存在する大和列島を構成する巨大な島であり、世界規模でも上から数えて三十七番に位置する面積を持つ。
その中でも薩摩は最南端に位置しているためか、夏になると台風の猛威を真正面から受けることが多い。
幸い、要が上空を騎行しているその日は雲一つない晴れた日だった。
『影継、目標地点までのおおよその距離を』
《ようやく残り十五万といったところだ。これならばこれ以上の休息は不要だろうな》
飛火の爆音を鳴らしながら、漆黒の武人は空を駆けていた。
かなりの上空を騎行しているため、騒音で被害を出すこともなく、何事もなく目的地である薩摩へと一直線に飛んでいた。
《……大分森が減っているのね》
封神されている御影は眼下に広がる大和列島を見てそうつぶやいた。
言われて要もそちらに視線を向ければ、確かに人の手が加えられた土地と森林・河川地帯が半々、もしくは自然部分がやや少なめといった状態だった。
『世界大戦以降……これは大和に限った話ではないが、飛躍的に人口が増加したためだな。今までの居住形式では全ての人が住居を得ることが出来なくなり、仕方なく山林を伐採して開拓した、というわけだ……が、俺はあまり好ましい方法ではないと思っている』
《……珍しいわね、あなたが好き嫌いを少しでも出すなんて。けど、それは人が増えたことに関して? それともこの居住区の開拓について?》
今まで一度も彼の口から『嫌悪』に類される言葉を聞いて御影は僅かに感心したような声を上げた。
『……俺にだって好きな物もあれば、嫌いな物だってある……と、話が逸れたな。俺が好ましくないと思ったのは開拓について、だ。人口が増えるという事自体は【争い事が少なくなった平和の象徴】という意味で望ましいことだが……だからと言って共存を止めるような方法はあまり良いとは思えない』
《……そう言えば気になったのだけれど……世界大戦っていうのは何時頃起こったのかしら? 全大國を巻き込んだ戦争だった事は資料では一応知っているけど……》
《それは我も気になるところだな。時間もまだ大分あるので聞かせて貰えるか?》
『……と言ってもな。俺は当事者ではないから爺さんから聞いた話しか話せないぞ』
《それでも、ね》
即座に切り返されたため、一瞬要は悩んだが、それもすぐの話だった。
『……起こりは今から大体四十年前。火種は大英帝国が指導する連合からだな』
《えっと……確か当時の君主が突然崩御したのが原因だったかしら?》
『正解だ。当時の君主は相当な指導力を持ち、反乱分子の鎮圧・討伐を悉く成功させていたのだが、三十五という異様な若さで突然死をした……あと一歩でようやく内政に取り掛かれる、といったところで、だ』
《……暗殺の可能性も否定出来ぬな?》
『その通り。実際、君主の死は、最後に追い詰められていた最南端に位置する敵対國にとっては絶好の機会……というよりも都合が良すぎるが……真偽は定かではない。ただ、大英帝国の一部では内戦が、最前線は完敗することは無かったが、動揺で戦況が厳しくなった事は事実だ……爺さんの私見では二年の時間をかければ持ち直すことが出来たはずだった』
内外共に、問題が発生すればまともな対応は出来なくなる。情報戦も戦略の一つであるので一概に批難することは出来ないが、それ以降膠着状態になり被害が甚大になったことは言うまでもない。
『……しかし、それが恐らく一年ほど続くと、これを好機と言わんばかりに北米合衆国が大英帝国に攻め行った。名目は【大英帝国の混乱の沈静化】で、だ』
《? どうしてそこで北米が出るのかしら?》
『……北米の指導者についてだが、彼らは基本【大英帝国から移民した人々】だったからだ』
《……そう言えば聞こえは良いだろうが、もしやそれは【追放者】ではないのか?》
影継の言葉に要は即座に頷いた。
『……影継の言う事は一部正解だ。当時の北米は発見して間もない未開の地で、莫大な土地・豊かな刄金採掘量があった。一攫千金を狙って幾らかの資産家も確かに移民したが……それ以上に【とある人間】が流れ出た』
《流れからして【刑罰に処する犯罪者】や【奴隷】と言ったところかしら?》
『ほとんどが前者だ。後者もいたにはいたが、大英帝国は比較的早い段階で解放運動が成功していたので、数自体が少なかった。それよりも、【罪を犯しながらも平然としている人間】の危険性を危惧して……』
《当時最も危険な場所に島流し、といったところか》
『その通り……そういった因縁もあり、北米が軍を動かした、ということだ。結果技術的に敵対していた露帝も、露帝に隣接していた中王朝といった大国が芋蔓式に参戦を表明し……世界大戦が始まった、というわけだ』
……戦争の起こりは全て人の欲望から。
四百年前の関ヶ原大戦も、四十年前の世界大戦も。
どんな時代であっても、その事実だけは決して変わらない。
どちらも自国の……突き詰めれば個人の利益のために、いくつもの生命を奪った。
統一のために。
復讐のために。
栄誉のために。
理由はそれぞれだろうが、だからと言って免罪符にはならない。
事を起こせば自分に還る。
因果応報天罰覿面。
《……ソフィーの言っていた自業自得って、そういうことだったのね。好敵手が動いたから釣られて、しかも自国の技術力を証明するために……ってところかしら?》
『それ以外にも思惑はあっただろうが……まぁ、大まかなところではそれで正解だ。しかし、極端な話、どの國も軍事力は同等……経過は省くが、とにかくひたすら殴り合い、に近い状態が三年ほど続いた……そうするとどのような問題が生まれると思う?』
《間違いなく全ての國が疲弊するな。戦争をするには釼甲も神樂も重要だが、武人が操作し神樂によって強化する以上食糧の調達も重要になるだろうな。加えて、人員を戦争に狩り出される所為で田畑を耕す人間が減ったのだろう》
『影継の想像通り、長引いた戦争は死者を出すだけではなく、様々な面に悪影響を及ぼした。食料王国と謳われた北米ですら食糧難に見舞われたほどだ……それまでは十何年も食糧余剰を出した北米が、だ』
《……そうだったのね。けど、そんな泥沼状態からどうやって抜け出したのかしら?》
『そこでようやく大和國衛軍が仲裁に入った、ということだ。その中には爺さんも参加していたらしいが……経過は一切教えられていないから説明は出来ない。その後大和・大英帝国・露帝・中王朝は四国の立場は一律同等という条件の下、和平協定を結び、現在に至る、ということだ。ただ、大戦後に戴冠した大英帝国の君主と当時の大和帝が意気投合したらしい』
《成程……ありがとう、とてもためになったわ。けど、大和と大英帝国の頭首同士が意気投合って、一体何があったのかしら?》
『それは極秘扱いになっているから分からないが……島国だったり、専制政治経験國家だったりと、意外と類似点が多い。もしかしたらそれが原因かもしれないな』
ちなみに、大和でありながらも学園生に英語教育が施されているのはそのためである。親公国の言葉と文化を知ることでより円滑な交流を行えるようにと、両君主が条約として取り決めたのだった。
当然、大英帝国では大和語の教育も義務付けられている。
《主、そろそろ目的地に到着するので着陸体勢に移行するように》
『諒解』
影継の警告を聞いて意識を集中させれば、ようやく九州の南端へと差し掛かっていた。着陸に関しては人気の少ない開けた場所であれば問題はないが、事前に通告されている地点があるので、そこを真っ直ぐに目指した。
「随分と時間がかかったと思ったが……予定より大分早く到着したのか」
「みたいね」
二人は薩摩に到着してまっすぐ合流場所である駅の前にある椅子に並んで座っていた。
要は姿勢を正し、両手を膝の上に揃えて目を閉じていた。いつも着ている学生服ではなく、以前柳水で購入した和洋折衷服だった。長袖ではあるが、生地が比較的薄めであるため暑いということはないようで、要は気温三十八度の中汗一つかいていなかった。
対して御影は薄い黄色の袖なし和服といったような服装だった。袖の無いそれは非常に涼し気な格好ではあるが、如何せん肩や腰元の露出が多くなっているため、どこか扇情的な雰囲気を出していた。
傍から見れば間違いなく視線を独占する二人であるが、利用者がほとんどいない駅なので、騒がれることもなければ話の種になることも無かった。
「……まさか一日で実戦用戦技を二つも完成できるとは思わなかったわ……人間やろうと思えば意外と何でも出来るのね」
「一週間完全徹夜より堪えたか?」
足を組み直す御影に対して要は僅かに笑みを浮かべながら尋ねた。
「そうね。もしかしたらそれよりも疲れたかもしれないわね……要は毎日あんな訓練をしているのかしら?」
「さすがにそれは無理だな。今回は急いで『アレら』を完成させないとならないので多少無茶をしたが、普段は昨日の三分の一程度で収めているな」
「それでも結構な運動量でしょ? ……私も少し刀術を習おうかしら?」
「ふむ。何か思うことでも有ったのか?」
御影の表情が気になったのか、要は静かに目を開いて彼女の方へと視線をやった。
「前から少し考えていたのよ。私は釼甲を練造する人間だけど、刀術に関してはあまり知識も経験も無い……そんな事で一流の釼甲鍛冶師を名乗れるのか、って思ってね。実際父様はそれなりに刀術も出来ていたのを思い出したっていうのも原因の一つね」
「……まぁ、明確な考えがあれば止めはしないが……どの流派か考えているか? 一応口利きくらいで協力はできると思うが……例えば桜花流や天山流といったところか?」
「……一つ質問だけど、晴嵐流は門外不出の流派なのかしら? 一子相伝とか、そういう類の刀術?」
要が頭の中で可能な限り交流のある流派を挙げていると、御影が伺うように尋ねてきた。
その質問で、御影が何をいわんとしているかを察した。
「……いや、そう言った決まりは全くない」
実際、大和國衛軍の中将・神之木景斎も合戦礼法を、姉である千尋も堂上礼法を修めており、共に免許皆伝となっている。つまり血筋といった物はあまり重要視されていない。ただ特徴として、単純に釼甲の装甲を前提とした術技が多い、といった程度である
―一つ、例外であるものを除いて―
そのことを含めて晴嵐流の何たるかを説明し終わると、しばらくの間彼女は考え込んでいた。
「……ただ、景斎さんは上級将校だから一般人が教わる事はほとんど不可能、姉さんも手加減をしないから相当厳しいものになるが……」
「……要に教わる、っていう選択肢は無いのかしら?」
「俺はまだ修業中の身だが……」
「それは分かっているわ。けど、私が興味を持っているのは合戦礼法の方で、兄弟子が中将で教えられないって言うなら要に頼むしか無い、と思ったのだけれど……駄目だったかしら?」
御影の問い掛けに要は頭を悩ませた。
刀術の指南は勉強の指導方法とは大きく異なるため、安易に請け負ってしまっても良いのかという疑問を持ったのだった。
そして、祖父の教えをそのまま行えば生半可な耐久力では持たず、一つ間違えれば死に至る。それを理解していた要は深く悩んだ。
《不躾ながら進言させてもらおう》
頭を押さえていた要に対して影継が声をかけた。
《練造主は確かに刀術の経験を持たぬが、基礎に関しては恐らく問題無いだろう。なにせ釼甲は練造自体に相当な体力を要するのでな》
……言われて要は思い出した。
御影は椛に負けず劣らずの体力を持ち、何度も競い合っていたことを。
そして、彼女の身体を見た。
「……な、何かしら?」
贅肉はほとんど無いと言っていいほど少なく、視認できる部分だけでもかなり引き締まっており、体格的にも申し分なかった。
「あ、あの……さすがにそこまでまじまじと見られるのはちょっと……」
「……っと、済まない。配慮が足りなかったな」
「助平……」
「…………」
御影の何となく零した言葉に、要は返す言葉は無かった。というよりも、受けた衝撃のせいで大分落ち込んでいる所為で何も言えない状態になってしまったようだった。
《申し訳無い。主はどうやら練造主が訓練に耐えられるかどうかを危惧していたようだ》
「……もしかして、私がそこらのか弱い女子と同じだと思っていたのかしら?」
「…………正直に言えば」
御影の鋭い視線に、要は(返答までにかなりの間があったが)素直に告白した。
その答えが不満だったのか、彼女は頬を膨らませた。
「だとしたら失礼な話ね。確かに刀術の経験はないけど、体力と集中力ならある方だと自負しているわ」
「……そうか。ただ、恐らく御影の想像以上に厳しい訓練をしなければならないが……」
「そんな事最初から承知の上よ」
その言葉に偽りはないのだろう、堂々とした答えだった。
「……諒解した。だがこの戦いが終わるまでは無し、だ。充分に時間をかけなければならないうえに疲労で戦闘に支障が出ると問題だからな」
「それくらいは分かっているわよ。けど、これで『約束』したから、絶対に破らないように、ね」
「……なるほど、謀られたか?」
その『約束』という言葉で、要は御影の真意を僅かに感じ取った。
だが、その真意を尋ねるよりも先に、合流相手が到着したので要が確認することは出来なかった。