彼女の知らぬ、彼の事
「……要のご両親は、もしかして早いうちに亡なっているのかしら……」
霊園から少し離れた場所、小さな土産屋で御影は静かに零した。
「……やはり御影は【あれ】が見えたか」
椛の語る【あれ】とは、墓石に彫られた名前のことである。
没年から考えれば要が生まれてからすぐに亡くなっているということも気付いているようで、少しだけ同情している様子だった。
「要君はあまり二人のことは話そうとしないからね。隠すつもりは無いんだろうけど、同情して欲しくないみたいで、聞かれない限りはずっと黙っているよ」
「……千尋、要の父様と母様はどんな人だったか聞いても良いかしら?」
少し躊躇った風ではあったが、興味の方が勝ったのか、御影は自身の後方で土産を物色している要の姉・千尋に問い掛けた。
「御免ね、実を言うと、私は要君のご両親の事は全く知らないの。というより、一度も会ったことはないんだ」
「「……え?」」
その言葉は椛にも予想外だったのか、二人は揃って千尋を見た。
その反応は思ったとおりだったのか、彼女は特に慌てた様子もなく話を続けた。
「どこから話せば良いかは分からないけど……実をいえば私はお爺ちゃんに引き取られた孤児だったからね。要君と初めて会ったのも……椛ちゃんに会うちょっと前ってくらいだよ」
「……それにしては大分打ち解けていたように見えましたが……」
「それはもう! 要君が会ったその瞬間に私を【お姉ちゃん】って呼んでくれたからね! 椛ちゃんの前ではさすがに恥ずかしかったみたいで【姉さん】に変えていたけどね! そんなところが可愛いんだよ! 今じゃ【姉さん】で完全に固まっちゃっているけど、今の要君ならこっちの方が嬉しいね! あと普段はキリッとして格好いいんだけど、私と一緒の時だけはどう接していいのか分からなくて困っているときもあって……それにここだけの話、椛ちゃんと友達になってからは毎日私へ相談に来ていたんだよ! 椛ちゃんと仲良くなりたいって!」
「千尋、もう止めてあげて! 本人が居ないところでそこまでばらしたら……というより話が一気に脱線してない!?」
「か、要がそんなことを……」
話すうちに熱が入った千尋に、話を振ったため責任を感じその暴走を止めようとする御影、そして予想外の事実が判明したことによって混乱している椛。
「元気な事は良いが、騒がしくするのは勘弁じゃぞ」
「ごめんなさい、すぐに静かにさせるわ!」
見かねた土産屋の店長らしき老人が嗜めると、唯一平常心を保っていた御影が平謝りをした。その様子を見て二人も我を取り戻し、追って頭を下げた。
「いや、そこまでせんとも良いのじゃが……ただ、この辺の爺婆は静かに過ごしたいと思うもんばかりじゃから、気を付けておいておくれ、それだけじゃ……それじゃあ、めぼしい物があれば、そこに書かれている分だけ代金を置いておいてくれ。儂はこれから一局指しに行ってくるのでな」
「え? ちょ、ちょっと待って……」
言葉を聞いて椛が慌てて顔を上げたが、それよりも先に老人は店から離れ、そのまま去っていった。とても老人とは思えない俊敏さに三人は驚きを隠せなかった。
「……行っちゃったわね。けど、地方の集落にある店なんて普通そんなものでしょ?」
「……どうする? 私は欲しいかな、って思ったのは無かったけど……」
言いながらその手にある首飾りを見つめた。
乾燥させた木を削って作られた小さな彫刻がぶらさがっており、かなり良いものであるのは間違いないだろうが、如何せん意匠が女性向きではない……あまりにも実物に近い熊の手を象ったものだった。
「……いや、私も特には……」
「そうね。でも約束の時間まではあと三十分ほどあるから……どこか座れる場所を探しましょう。そこで話の続きでも、ね」
「分かった。それじゃあ、来る途中に見かけた広場で休憩しよっか」
彼女たちはその場を立ち去った。
土産屋には誰もいない状態になったが、それからしばらく客も訪れなかったので問題はないだろう。
その後、店主であろう老人が老婆から長い叱咤を受けたのは別の話。
また、話の続きはひたすらに千尋による要の昔話……それも、身内贔屓が含まれたものだった、ということも別の話。
ただそこで御影は一つだけ思ったことがあった。
彼女たちに有って、自分にはない、昔の要との思い出。
何故かそれを羨ましく、そして悔しいと感じていた。
「ところで、真白様はマスターとどのような関係なのでしょうか?」
「ふぇっ!?」
両手一杯にもらった農作物を、驚きのためにアンジェは落としそうになったが、それを素早くソフィーが抑えたために散乱するという悲劇は避けることができた。
「ど、どのような、と申されましても……こちらで一番お世話になっている方、でございますが……あと、私の事はアンジェとお呼びくださいませ」
「そうでしたか。失礼しました……ですが、従者がお世話になる、というのも妙な話ですね」
「……それは否定できませんね。ですが、いつかは何らかの形で恩返しをしたいと……」
「では、遠からずマスターのメイドとなる、ということで……」
「えっと……リヤさんは何故アンジェをそのように見るのでございましょうか?」
「……いえ、ここだけの話、失礼ではありますが、あなたと私はどこか似ているのではないか、と思いまして……」
「似ている……のでしょうか?」
アンジェのオウム返しにソフィーは小さく頷いた。
「勿論、完全な大和人ではないということは除いて、です。私は……詳しい理由は後で皆さん全員揃ったときに説明しますが、軽い人間不信に陥っていました」
「……」
重い話だと判断したのか、アンジェは静かに頷きを返した。
「今でこそ皆さんにはそれなりに接することは出来ていますが、それまでは周り全てが敵だと思っていたこともあります……それこそ、見境なく噛み付く狂犬、といった表現が一番しっくり来るでしょうか」
「……そんな様子にはとても……」
「最近会った方々にはよく言われますが、事実です。ただ、そんな私でも利用価値は有ったようで、必要な時以外は窓もない密室に閉じ込められていました」
「必要な時、ですか……」
「えぇ。具体的に言えば、模擬戦闘時、ですね。幸い、実験段階だったので人殺しはせずに済みました」
……殺しをしなかった、という言葉を零したとき、僅かであるがソフィーの顔が安堵と喜びで緩んだ。
「……創造主の望まぬ生き方をする、本当に直前でした。マスターに出会ったのは」
「……要さんが……ですか?」
先程も出た『創造主』という単語。
気にはなったのだろうが、何故か一人だけで触れていいような物ではないとアンジェは本能的に察して、もう一つの疑問を口にすることにした。
「えぇ。あの方のおかげで、私は人道を外れることなく、こうして平和な日を送れています。もし出会えなければ、なんて思っただけでも……」
すると、ソフィーの身体は小さく身震いをした。
仮定の話であれども、そこまで恐怖する事を強いられていたかもしれない、ということだと、本能的にアンジェは理解した。
しかし、それも一瞬の事であり、すぐに彼女はアンジェに振り向いて僅かに頬を緩めた。
「……意外とマスターは面白い方ですよ? 仲良くなるため、という理由でご自分の夢を私なんかに話してくれたり、獅童少尉を連れてきて無理矢理勝負などをやらされたりと、何かと気にかけてもらいました」
「あ、それはもしや打ち解けるための喧嘩のようなものでございましょうか? 散々殴り合ったあと『や、やるな……』『お、お前もな……』といった……」
「真意は分かりませんが、それを切っ掛けに少尉含む同年代の人と話せるようになった事は確かです。私にとっても彼らは丁度よい競争相手ですので、内容はどうしても訓練に関していましたが……」
「ちなみに勝敗はお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「剣術では負けが多くなってしまいましたが……射撃では一敗もしていません」
誇らしげに、けれども小さく胸を張りながらソフィーは答えた。
「成程。では、要さんとリヤさんではどちらが……」
「剣術と知識に限ってはっきり言えば、私はマスターの足元にも及びません」
アンジェが言い切るよりも先に、ソフィーは断言した。
しかし、負けている、という意味の発言をしながらも、彼女は何故か嬉しそうだった。
「初めて会ったときに一つ手合わせをしましたが、その時には本当に一方的な仕合になりましたね。神技も使って全力で臨んだのに、一太刀も浴びせる事ができませんでした」
「し、神技もありで、でございますか?」
「あぁ、当然マスターは無装甲状態で、です」
予想以上の条件下での要の勝利に、アンジェは驚きを隠せなかった。
武人は一般人より優れた身体能力を持っているとはいえ、無装甲状態で神樂を相手取るということは普通不可能である。
それが武術も鍛えられている軍人ならなおさらの事。
アンジェの驚いた様子を見て、ソフィーは少しだけ可笑しそうに笑った。
「それ以降も何度か手合わせをしましたが……結局今まで一度も勝てたことはありません」
「……えっと、要さんが剣術に優れていることは知っていますが、まさかそれほどまでとは思いませんでした……」
「そうでしたか……少し身内贔屓があるかもしれませんが、マスターの刀術に関しての実力は恐らく同年代で勝てる相手はほとんどいないでしょうね」
「…………」
「暇な時間が生まれれば、迷うことなく刀術に費やしていましたね。時間がなければ寝る時間を削ってでも作り出して……けれど、どれだけ時間が押していようとも、ご家族と過ごす時間を第一にしていました。多分、アンジェさんも経験があるのではないでしょうか?」
「えっと……それは確かにございますね」
要の編入……つまり、初めて会った日から今日まで三ヶ月。
自身の風紀委員選抜試験が近付いている時にも、足を怪我してまともに動けない時にも、要はアンジェへの講義を欠かしたことはなかった。本人は『約束したから』と言ってはいるが、だからと言って他人に絶対すべきことでもない。
そこで、アンジェは一つの可能性に思い至った。
自身も、もしかすれば家族として扱われているのかもしれない、ということに。
「……そう言えば、アンジェさんはマスターとどのように知り合ったのでしょうか?」
何か深く考え始めたアンジェを見て、ソフィーは他の質問を投げかける事で彼女の意識を戻した。
「あ、はい。それは……」
はまりかけた思考から抜け出したアンジェは、道中ソフィーに要と出会った時のこと、そしてよく話すようになるまでの経緯を軽くであるが話したのだった。