帰省
学生にとって夏の長期休暇というものは心躍るものもあり、同時に亡くした親しい人たちの魂を迎える悲しい季節でもある。
それは祖父であり、育て親であった五十嵐源内を亡くした要も例外ではない。
列車で乗り物酔いという微妙に器用な事をしつつ、天領学園から百キロ以上離れた寂れた街に降り立った。
無人駅の改札を通り抜けると、日差しを遮るものが無くなり眩しい太陽の光が肌を焼かんばかりに照りつけていた。
《……ここが主の老翁の生まれ故郷か。静かで良い場所だ》
要の傍らには、漆黒の鍬形の釼甲・影継が並んでいる。
街中では目立ちすぎるこの釼甲も、自然の多い街に降り立てば自然と溶け込んでしまうほどであった。
「……それだけが自慢だと言っていたな。名物も観光名所も無い……ただ、このあたりで採れる食材は、野菜は当然として、肉や魚も相当美味い。そこだけは楽しみにしても間違いはないぞ」
気分が悪そうに要は待ち合い用の椅子に仰向きがちに答えた。誰に向けて話しているのか分からないが、話終わると同時に何かが溢れ出ないように口元を押さえた。
「随分と辛そうね。背中をさすったほうが良いのかしら?」
「それより水がよろしいかと……脱水症状になれば悪化するおそれもございますので」
「やはり要にとって二時間乗車はキツイか。これで良く墓参りに行こうなどと考えられたものだな……ほら、これで頭を冷やしておけ」
椛は水道の水で濡らした手拭いを疲労困憊状態の要の額にのせ、アンジェは了解を得て静かに冷えた茶の入った容器を傾けた。
「……済まない。しかしこれでも大分ましになったほうなんだが……」
「要君、私の背中に負ぶさられただけで戻しちゃってたからね」
「そうなのですか?」
「千尋さん、間違ってはいませんが、それはあの過酷な訓練直後なので仕方のないことだと思います。むしろあの運びかたで酔わない人の方が異常です」
「……どんな方法だったのよ?」
「……大気操作で蹴鞠のように……」
「……ウッ……!」
椛が躊躇いがちにそれを口にした瞬間、要は身体を震わせて横をむいた。
「二ノ宮さん、そこでお止めください! 要さんの様子が……!」
「千尋! 空の紙袋が私の荷物に入っているからそれを!」
「えっと……はい、これ!」
《……何も食事を摂らなくて正解だと考えるべきなのだろうか》
……とまぁ、彼が完全に落ち着くまでの十分はこんな調子だった。
落ち着きを取り戻した五人と一領はようやく駅から離れて歩きだしていた。
「初めて来たけど自然が多いね」
「えぇ、これだけ澄んだ空気に充分な日光……本当に生き返りそうね」
「人の混雑がないというのがここまで清々しいものだとは思わなかったな。それに美味しい食材か。腕がなるな」
「アンジェはこの街の郷土料理に興味津々でございます!」
「……しかし、姉さんと椛は分かるにしても……御影とアンジェが来た理由がいまいち理解できないのだが……」
要がこの街に訪れる日を決めたのは二日前。
前日夜になって四人が揃って同行すると言い出し、翌早朝に様々な乗り物を乗り継いでここまで到着。
……つまりは聞き出す時間はあったが、聞き出す余裕が無かったのだった。
「私に今更里帰りをしろ、って言うのかしら? 地図を見てみたけど、四百年で無くなったのか、名前すら見つからなかったわよ?」
「……すまない、失言だったな」
「良いわよそれくらい。それに要のお祖父さんにも挨拶をしたいと思っていたのよ」
「アンジェちゃんは私が連れてきたんだよ?」
「ご主人様がまだ見つかっていないので、実家に帰るにはまだ早いと思いまして……それに、アンジェの見識を増やすチャンスではないかと思って思わず……ご迷惑でございましたか?」
「いや、目的があるなら良い」
それなりの理由があると分かったためか、要はそれ以上来た事については何も言わなかった。
「それじゃあ……まずは宿に行くとするか。《清白庵》という看板があると思うから、見かけたら教えてくれ」
要の声にそれぞれが答え、ぞろぞろと道を歩いていった。
「……ところで少し気になったのだが……」
宿を探し始めてから十分程度経った頃、椛が口を開いた。
目的地が未だ見つからず、似たような景色がしばらく続いた上無言だったため沈黙に耐えきれなかったのか、先頭を行く要に声をかけた。
「源内さんの故郷なら実家があってもおかしくないのではないか? あればそこに泊まる、というのも一つの手だとは思うが……」
「まぁ、普通はそう思うな……だが、あの爺さんは文字通り『根無し草』だったからな。生まれ故郷ではあるが、父さんが結婚してからは家を売り払って放浪の旅に出たようだ。多分残ってはいるだろうが、誰かが住んでいるだろう」
《随分と健康な御仁だったのだな》
「とにかく元気だったよ。私と要君が二人がかりで勝負したのに息一つ切らさなかったから……今思えばお爺ちゃんはとんでもない人だったんだね……」
「真実かどうかは分からないが、昔は修行の途中、腕に覚えのある武人に出会えば仕合を申し込んでいたらしいな。実際道場破り紛いのことをしていたのを姉さんも覚えているか?」
「私たちの修行のためだ、なんて言ってたけど、そこの道場主がお爺ちゃんの顔を見て怯えてたね。お爺ちゃんが『師匠同士で一仕合するか?』って聞いたら逃げ出してたし……」
「……随分とやんちゃなお祖父さんだったのね……けど、やっぱり要とは失礼な話全然似ていないと思うわね。千尋はそっくりだと思うけど……」
「遺伝子が業務を放棄したのではないか? まぁ、とにかく俺は爺さんに厳しくしつけられた、ということだけは間違い無いな……っと、ここだな」
話しているうちに目的の場所にたどり着いたのか、要は足を止めて看板を見上げた。
先程話したとおり、そこには木の板を削った文字に漆を塗った質素な看板がかかっていた。だが、それとは裏腹に作りは非常にしっかりしたものであり、宿屋より高級旅館といった言葉の方がしっくりとくる建物だった。
「……随分立派な宿ね……」
「……要、宿を間違えていないか? 他にも幾つか宿はあるが……」
「気持ちは分からなくもないが、ここで間違いない」
「あ、アンジェなんだか場違いな気がしてきました……」
《ふむ、桧造りか。暖色というのも悪くないな》
たじろぐ女性陣を横に要と影継は迷う様子もなく宿……旅館・清白庵の門戸をくぐっていった。それをみて四人も意を決してそれを追った。
「ようこそおいでになりました」
中に入ると数人が両脇に並んで、一糸乱れぬおじぎで五人と一領を歓迎していた。
その光景に決した意が再び折れそうになった四人であるが、相変わらず要は丁寧に支配人と話を展開していた。
「ご予約の五十嵐御一行様でございますね」
「えぇ。よろしくお願いします」
「こちらこそ。それでは皆様をお部屋にご案内いたします」
支配人らしき男性はそこで一人の女性に目配らせをすると、すぐさまその女性が先導に立ち、他の従業員は全員から了承を得て手荷物を素早く預かった。(さすがにアンジェは対抗意識が燃えたのか、それは拒んでいた)
女性の後ろに付いていくと、途中広い中庭が目に入ることもあれば、名甲の模造品らしき置物が鎮座していたりと、とにかく質実剛健な装飾だった。
「こちらになります」
二分ほど歩いたところで女性が足を止め、扉を開けると十畳はあろう広い部屋が彼女たちの目に入った。
「こ、こんな広い部屋を……だろうか?」
「……冗談じゃないみたいね。もう私たちの荷物が運ばれている上に名前も札に書かれているわ……」
「要君、ここってもしかして凄く高いんじゃ……」
「あぁ、それは安心してくれ。軍の保養所みたいな場所だから普通の宿よりも安く収まっているからな。あと、払いは全て俺が持つ」
要の口から出たとんでもない発言に四人は彼を振り返ったが、それよりも先に彼は女性に案内されてその場を離れていった。
「ちょ、ちょっと要! あなたは何処に……」
「うん? いや、男女同衾というわけにもいかないから部屋を二つ借りただけだ。あと、一時間後……十一時に入口の外で集合だ」
それだけ言うと先行く女性の後を追って、角を曲がっていった。
呆気に取られていた御影であったが、そこで立ち尽くすわけにもいかないので少し重い足取りで自分たちの部屋へと戻った。
「……要は何と言っていた?」
「えっと……一時間後に旅館前で待ち合わせってだけで……」
「つまりこの部屋……この旅館で完全に間違いではない、ということか……」
「あ、このお菓子美味しいね」
「アンジェお茶をご用意させていただきます」
「千尋さん!? それにアンジェも!?」
あまりにも整った部屋に少しだけ気後れしている御影と椛のようだったが、その中で千尋とアンジェは既に順応していた。
部屋の中央に置かれた机の上にある和菓子……茂中らしき袋の封を開けて食べていた。
アンジェも部屋に備え付けられた湯沸かし器と急須を持ち出し慣れた手つきで茶を用意していた。
「ほら、椛ちゃんも御影ちゃんもどうぞ。要君並に美味しいよ?」
「まぁ、確かに要は和菓子づくりだけは準職人級なので……ってそうではなくて……!」
「要君が全額負担したことでしょ? 多分今から幾らか返すって言っても受け取ってはくれないだろうし……それに要君も多分皆に少しでも楽しんでもらえるように考えた結果だと思うから、ありがたく満喫しようよ」
「お茶が入りました。みなさんもどうぞ!」
会話の合間を見計らってアンジェが三人分の湯呑を出した。
「置かれている茶葉が非常に良いものでしたので、香りがとても豊かでございます」
言われて椛と御影は静かに出されたそれに口を付けた。
苦味もあるが、独特の甘味も舌にめぐり、茶にあまり詳しくない二人でもそれが良質のものであることは理解できた。
「茂中がございましたので、少々濃い目にしましたが……お味は如何でしょうか?」
「……えぇ。これは丁度よい組み合わせね」
「アンジェちゃんは本当に凄いね。たしか生まれは大英帝国だって要君から聞いたけど、こんなに大和に馴染んでいるなんて」
「お母様が大和生まれでございましたので。ですが和食を本格的に覚えたのは学園にお世話になってからなので、まだまだ未熟でございますよ」
「成程……ちなみにアンジェの得意料理は?」
「煮物……でしょうか。特に鯖の味噌煮でしたら自信満々でございます!」
「おぉ、青魚はまた珍しいな。あの癖の強さが苦手だと言う異国人も多いのに……」
「お漬物も勉強中ではございます! ですがどれだけ漬ければ良いかの加減が分からないのでまだお出しするほどではありませんね。炊き込みご飯も味付けがいまいち掴めません」
「そうなんだ……って、あれ? さっき言ってたのって……どれも要君の好物じゃなかったっけ?」
「えぇ、そういえば……そうですね」
アンジェの答えに二人は顔を合わせた。
「多分、要さんからお借りした本で勉強したためでしょうか? ですが上手に出来たお料理を美味しそうに食べていただく、というのはやっぱり嬉しいものでございますね!」
言葉に偽りはないのだろう。
嬉しそうに話すアンジェの表情は同性でありながらも惹かれるような柔らかさだった。
その言葉の意味を、自身では理解できてはいないようだが。
「そうだね。それなら五十嵐家直伝の特別料理をここで皆に教えよっか!」
「本当ですか!?」
「わぁ……! アンジェ、メモの用意をしますのでしばらくお待ちくださいませ!」
「それじゃあ、私も拝聴させてもらおうかしら」
……それから二時間後。
「それで? 一時間も遅刻した理由について話してもらおうか?」
「えっと……これには深い、けれど話せない理由があってね?」
「と、とにかく申し訳無い!」
「いえ! 悪いのは話を長引かせたアンジェが……」
「全員揃って同罪だ。そこに直れ」
待ち合わせ時間を過ぎた四人は無表情ながら問い質す要に気圧されていた。
幸いなことに、人通りの少ない場所だったため、旅館前で正座をさせられる美人がしばらくの間説教をされていた、ということは話題になるようなことはなかった。