破城
《高度劣勢、その差千八百!》
『初動が遅かったんだ。それくらいの差はあって当然だろう…それよりも影継、先程聞こえた声は女性のものだけだったということは気付いたか?』
風の吹く方向に逆らうように漆黒の武人は上昇を続ける。
先行する灰色の武人の後を追い掛けるが、要の言うとおり始動地点で既に差が生じていたため、その距離は依然として縮まっていなかった。
ただ、その状況を充分に理解した上で、要は影継に質問を投げかけていた。
要の質問の意図が理解できず、一瞬の沈黙が生まれたが、すぐにそれは影継によって破られた。
《…どういうことだろうか。釼甲を女性が装甲している…のだろうか?》
『露帝の生体実験による産物だ。神樂としての能力と武人としての才能を併せ持った人造人間だ。軍部関係者の中では第三人類などと呼ばれている』
《…世の理に逆らうような真似をしたか。しかし主、それはつまり…》
『…影継の想像通り、敵は神技を二つ持っている。一つは姉さんの【大気操作】で間違いないだろうが、もう一つ…あの女の神技は不明だ』
《…対してこちらは神技無し、か。随分と不利な状況に立たされたものだ》
影継の話すとおり、要は単身でオヴァへと挑んでいる。
『…かなり厳しい戦いになることは間違いない…それでも…』
《それ以上は話さなくても良い》
要が理由を話そうとしたところを、影継は遮った。
《我は主の釼甲・神州千衛門影継だ。逝くべき道があれば、それを信じて共に逝こう。人と影は一心同体…ならば、主は己が信ずる道を切り開くために我を振るえ。我はそのための力だ》
『…ならこれ以上は語らない。姉さんを…全員を救うために、全力で臨むぞ!』
《諒解!》
『何の相談をしているかは知らねぇが、そんな余裕を見せていて大丈夫かよ!?』
先行していたオヴァは方向を漆黒へと向け、その剣を構えていた。
長柄の剣は下段に構えられ、上昇途中の要にその白刃を向けている。
遠心力を乗せやすい上に、鍔競り合いに持ち込んだ場合力負けしにくいその構造は、普通の太刀ならば驚異であっただろう。
けれども、要にも対処法は有る。
『安心しろ、余裕など最初から持っていない。立ちはだかる敵には常に全力で挑む。ただそれだけだ!』
要は、太刀ではなく、肩に備えられた野太刀に手をかける。
『オォオォオオ!』
向かってくる灰色の武人に対して鋭い一閃を放つ。
その重量を軽々と、重力に逆らい振るう。
『っとぉ!?』
それを辛うじて受け止めたが、衝撃が重すぎたためかオヴァは攻撃に移ることが出来ず勢いのまま漆黒の武人の上方を騎行していった。
…その実力を、オヴァは肌で感じ取った。
重力加速に加えて飛火の加速。それらすべてを足し合わせ、さらに要は上昇…つまり重力に逆らっているため充分な力を乗せられないのにも関わらず、競り合いで勝ったのだ。
予想以上の実力に、オヴァは喜びを隠すことが出来なかった。
『成程、こりゃ楽しめそうだ! もしかしたらアンタがキョウヤを倒したっていう男かい? ならあの男が注意を促すだけの事はあるねぇ!?』
『遊びのつもりなら早々に研究所に帰っていろ脱走兵が!』
《…主、あの女を知っているのだろうか?》
『あの女個人は知らないが、あれを生み出した機関に少なからず因縁があっただけだ。それよりも影継、次の交錯で相手は神技を放ってくるだろう。攻撃だと判断した場合は即座に知らせろ!』
《承知!》
影継との意思疎通をした要はそのまま上昇を続け、ある程度の高度を確保したところで旋回を開始した。
《敵機、高度同等! 同時に熱量反応…神技の発動を確認!》
『…来るか!?』
影継の報告と同時に要も危険を肌で察知した。
身の毛もよだつ感覚に身体を震わせ、野太刀を握る力を強める。
けれども、敵から攻撃が来る様子はない。
先程同様、ただ長柄剣を構えている姿が見えているだけだった。
《すまぬ! 判明したのは大気に乱れが生じていることのみ! 充分な警戒をしておくように!》
『諒解』
影継の報告を聞いて近付く敵を迎え撃つ。
晴嵐流堂上礼法―雪崩―
担ぎ構えからの攻撃という点では鬼道と大差ないが、予備動作と攻撃速度が大きく異なっている。
鬼道は構えからそのまま…つまり振りかぶり無しで振り下ろすのに対して雪崩は一旦腕を大きく上げ、勢いを上げる。僅かに攻撃までに時間がかかる半面、腕半分程度攻撃範囲が広まるというのに比べて攻撃力は増す。
そして、白刃の先端は真っ直ぐに灰色の釼甲に命中する。
はずだった。
しかし、野太刀は突如距離が縮み、虚しく空を切った。
『!!』
『残念ハズレだよ!』
野太刀が振りおろされた瞬間をオヴァは見逃さず、長柄剣で薙ぎを放った。
『フッ!』
だが、その攻撃は半ば無理矢理戻し、盾のように構えた野太刀によって阻むことに成功し、有効打にはならなかった。
『ハハッ! アンタの攻撃は届いてなかったぜ? ビビって早まったか!?』
『…………』
オヴァの挑発に対して要は一切反応を見せることなく、高度確保を行なっていた。
《…高度優勢、ではあるが…すまぬ、先程の神技、我には正体を掴むことは出来なかった!》
『…………』
影継からの報告にも要は黙りだった。
《…? 主、如何したか?》
反応のない要を不思議に思ったのか、影継が問いかけるとようやく要が反応を見せた。
『…影継、先程【大気の乱れが生じている】と言ったな?』
《…あぁ。奇妙な事と言えばその程度だが…何か分かったのか?》
『断言はできない。だが、あれが姉さんの神技だと仮定すれば先程の行動に一つ心当たりがある…影継、俺が攻撃を仕掛けた瞬間に注意しろ』
《…! 承知!》
漆黒の武人は野太刀を納め、太刀と脇差に手をかけ、機会を図る。
再び、刻一刻と迫るそれに対し、漆黒の武人は辛抱強く待ち続ける。
『晴嵐流合戦礼法―“残夢”―』
いざ交錯する瞬間、灰色の釼甲に対して第一刀である太刀による鋭い居合を放つ。
間合いは充分。
その刃先は敵の腕部へと正確に走る。
そして、装甲と白刃が交わる。
はずだった。
《なっ…また、か!?》
けれども、漆黒の武人による一刀は何の手応えもなく灰色の装甲に当たる寸前で『縮み』、虚しく空を斬るだけだった。
『ハッ! これで隙だらけ…』
『何の対策もなく攻撃を仕掛けると思ったか!』
要の声と同時に、灰色の釼甲に衝撃が響いた。
『オォ!?』
剣を振りかぶろうとした瞬間の衝撃であったため、オヴァは攻撃することすら叶わず、漆黒の武人を後方に流してしまった。
『クッ…! 居合の二段構えか!』
オヴァの想像は大体当たりだった。
要が放った攻撃【残夢】は、太刀と脇差による時間差居合の攻撃である。
第一刀の太刀による斬撃を囮にし、その影に本命である脇差を忍ばせ、攻撃を外したと思わせ踏み込んできたところに再び切りかかるというものである。
その策は見事に成功し、一切の損傷無く攻撃を当てることは出来た、が…
『………しくじったな』
《牽制にはなっただろうが…やはり当たりが浅過ぎた。敵機の損傷も、恐らくたいしたものではないだろう…》
影継が指摘する通り、灰色の釼甲への損傷は比較的軽微であり、騎行及び戦闘にはほとんど影響がないことは間違いない。事実、狙い通り腕に当たったにも関わらず灰色の装甲には僅かな傷が付いただけで武人が怪我をした様子は一切ない。
《…しかし、先程の幻影のようなものは一体…》
『大気圧縮による屈折率の増幅、そしてそれによる光学的距離の延長だ…先程、太刀を振り抜いた際、いつもより抵抗が大きかった事と、相手が神技を解除した瞬間に僅かだが風の流れが生じた、というのが証拠だ』
《…成程、大気の乱れは無理矢理の圧縮によるために生じ、抵抗の増加は密度上昇故のもの、ということだろうか?》
『正解だ。ただ、酸素だけでは充分な屈折は生まれない…恐らくは水蒸気も関係しているだろう』
…池の深さを石で判断したことは無いだろうか?
水という大気以上に屈折率の高い物体が満ち溢れている場合、底にある石が浮かんで見えることがある。簡易的な物で説明すれば、洗面器に硬貨を置き、水を目一杯注ぎ込むと硬貨の位置が上昇している。
それを利用したものが、オヴァの放った術技である。
運の良いことに靭島は周囲が全て海であることに加え、夏の気温により湿度はかなり高くなっているため、屈折率が上昇しやすくなっている、ということだ。
後の内容は影継と要が話したとおりである。
《…しかし、主は何故これに気付いたのだろうか? 我でも精々【大気に乱れが生じている】程度しか感知出来なかったが…》
『昔姉さんが見せた使い方だったからだ。届くと思って手を伸ばせば、実際は空を掴むだけだった、ということを思い出しただけだ』
《………………》
『ただ、今の瞬間…奇襲には絶好の好機であの女の神技を放たれなかった、ということは恐らく彼女は【支援型】の神技…更に言えば、先程の【残夢】で隠していた攻撃を事前に感じ取った様子から大嶺教諭のような【視覚移動】に類する神技だろう』
『………っ!?』
あまりにも鋭すぎる要の指摘に、オヴァは声には出さなかったが動揺を露わにしていた。その反応を感じ取り、要は推測を確信に変えた。
『正解か…しかしそれなら、勝ち目は充分にある! 影継、このまま一気に畳み掛ける!』
《承知!》
『小癪なぁあ! 知られたならば打つ手を変えるのみよ! 見えない弾丸なら避けられもしないだろうが!』
自身の手の内が明かされたオヴァは分の悪い近接戦闘から遠距離戦闘に切り替えるため、漆黒の武人から大きく距離を取った。
『空弾!』
再び目に見えない弾丸が生じ、空を切り裂いて漆黒の武人に容赦無く降り注ぐ。
『グウッ!?』
目に見えず、それも隙間なく放たれるそれを完全に避ける事は出来ず、命中したであろう右肩部・左脚部装甲に凹みが生まれた。
『ハッ! さすがにこれは避けきれねぇだろ! なら、これでくたばりやがれ!』
それで味をしめたのか、再び『空弾』を放つ。
《機首を下げろ!》
『…!』
影継の咄嗟の声に従い、要は一気に下降体勢に突入し、一気に高度を下げる。
するとその後方で空を斬る音が鳴り、一切の衝撃なく回避することに成功した。
『ちっ…小賢しい…けど、幸運はそう何度も続かねぇぞ!?』
下方を行く漆黒の武人に、更なる空弾の雨を降らせる。
けれども彼はそれを、左右に機体を鋭く走らせる事で再び何の損傷もなく避けきった。
『お、おいおい、冗談じゃねぇよ! 何でこれを避けられる…それよりも、その騎行術は…あの【紅蓮】のものじゃねぇか! 何であんたがそれを…』
驚きの声を上げるオヴァに反応をすることなく、漆黒の武人は勢いを殺すことなく上昇を続け、灰色の武人の後方を通り高度の優勢を取った。
《…主、先程の騎行で身体に甚大な負荷がかかっている。これ以上あの者を相手にするのは好ましくない》
『分かっている。ならば、この一撃で確実に仕留める!』
『ハッ、距離を誤魔化せばあんたの攻撃は決定打にならないんだ! 今度は競り負けねぇ…』
オヴァが振り返ると同時に、再び真正面から漆黒の武人が飛来する。
先程押し勝った野太刀ではなく、刀身がほぼ一直線の鎧通しをその手に。
『晴嵐流合戦礼法―“破城”―』
柄を顔前に置き、鋒を敵の目線へ向け、全速力で駆ける晴嵐流における唯一の突進技である。
真っ直ぐに刀刃を突きつけられたオヴァは、距離感を狂わせられると同時にそれが『距離欺瞞』に対する最善の攻撃で有ることを理解した。
一瞬の『線』ではなく、迎撃の『点』による一撃。
既に回避できるような距離ではない。
オヴァが得物を振り下ろすよりも先に、その一刀は灰色の装甲を穿ち…
一領と二人となって大地に向かって落ちていった。