訓練二日目ー2《裏方》
「…始まってからまだ半分しか経ってないのにもう三分の一まで減っています…早いですね」
靭島から少し離れた小さな島に、大嶺が目を閉じながら何事かを呟いていた。
その周辺には彼女が見ている映像が複数投影されており、他の教師に加え、アンジェもその様子を見守っていた。
「楠班は明日の早朝に獅童班に特攻を仕掛けるつもりだったようですが…まさかその前に攻撃を仕掛けられるとは思ってもいなかったのでしょう…もう一組二組がすぐに動けていればどうなっていたか分かりませんね…」
映像を見た鏡花の感想だった。
その横で、アンジェは黙々と何かを書いているようだったが、鏡花も大嶺も、他の教師も生徒の評価でいっぱいいっぱいだった。
「しかし、さすがというべきか、村上と月島の組み合わせは恐ろしいものがありますね。まさか事前に射出していた複数の矢を【遅延】で留めておき、範囲に全員が集まったところでこれを解除する…いや~同世代でなくて助かりましたよ」
禿げた頭を掻きながら、男性教諭はボヤいていた。
一年生の射撃訓練を担当している教員だった。
「あら、斑鳩先生は『生ぬるい!』の一喝で切り抜けるようなイメージがありましたが…」
「人を脳筋みたいに言わないでくださいよ。まぁ全部は否定できませんが…ですが腕に自信があってもあれをどうにかしろ、と言われれば無理としか言いようがありませんよ」
「去年に比べると相当腕を上げていますからね。ただ、今回の楠君の場合は神技に頼りすぎていたことが原因だと思いますね」
「…というのは?」
その意味が良く理解できなかったのか、斑鳩は鏡花に問い掛けたが、彼女がそれに答えるよりも先に大嶺が代わりに答えた。
「常葉さんの神技はあくまで【生体】のみ反応する、ということですよ~ 武人や神樂は闇の中だろうが物陰に隠れていようが見分けられる反面、無機物にはほとんど反応できない、ということで事前に設置されていた矢の群集に気付けなかったんでしょうね~」
「…なるほど、神技も利点ばかりでは無い、ということですか?」
「というよりそれは常識ですね~。例えば、そうですね…私が【物質巨大化】の神樂だとしましょうか。それで、佐々木先生~ そこの木の枝…大きいのと小さいのを一本ずつ拾ってもらっても良いですか~? 足元のと斑鳩先生の足元のです」
「…これですね」
言われてすぐにそれを拾い、鏡花は二本とも大嶺に手渡した。
一本は鏡花の指先から手首までの長さと小指程度の太さを、もう一本は手首から肘までの長さと指三本分の太さのある枝だった。
「はい、ありがとうございます…それじゃあ、この小さい枝を元の大きさ、大きい方を巨大化したものとします」
「はぁ…」
突然始まった講義もどきに斑鳩は生返事を返した。
そんな斑鳩を気にすることなく彼女は小さい木の枝を彼に突き付けた。
「今の私の場所からでは斑鳩先生には届きません。そこで巨大化の神技を発動すれば…この通り、鼻先どころか足まで突っつけます」
言いながら大嶺は彼の太腿を突いた。
先が尖っていないとはいえ、少し食い込まされているため彼の表情は少しだけ痛みで歪んでいた。
「…そうですね。ですが、これだけだと届かない距離を補った、という利点がありますが…?」
「そうですね~。確かにそのとおりですが、実はこれ結構腕にくるんですよ~」
「そりゃあ、大きい分重量が…」
そこで、斑鳩はようやく大嶺がいわんとしていることを理解した。
「…攻撃範囲を広めることが出来る反面、重量が増しているために負担が大きくなる、ということですか!」
「そういうこと~。更に言っちゃえば、重くなっているから小回りが効かなくなる…つまり、懐に入られたら邪魔にしかなりませんね~」
「補足すれば、巨大化出来る物は無生物…釼甲本体を除く金属やこのように折れて『死んでいる』物と、かなり限定されているので、事前に神技を施すことが出来るかどうかを確認していなければ、いざというときに発動しているが効果は無い、といった事が起こってしまいますね」
「…なるほど、ためになりました」
「さすがは脳筋斑鳩先生! 武人でも知っているはずの神樂の常識を全く知らなかった模様~!」
「…今回は否定できませんね。少し苛立ちますが、ありがとうございました」
一瞬斑鳩の頬が痙攣したが、すぐに抑えて頭を下げた。
「それじゃあ、自分は担当班の評価に戻るので失礼します」
「は~い。あまり遠距離戦闘型の生徒に肩入れしすぎないようにだけ気を付けてくださいね~」
大嶺が去っていく斑鳩に対しそう投げかけたが、彼はそれ以上答えることなく自分の持ち場へと向かっていった。
「…大嶺先生、さすがに今のはやりすぎだったのでは?」
「そうかな? 戦略をたいして持たずに個々人の能力を重視する人には丁度良いかなって思ったんだけど」
「…後でフォローをしておくので、大嶺先生も次からは抑え目にしてください」
「はい了解っと」
聞いているのか、そうでないのか分からないような返事に鏡花は呆れたが、少し離れた場所で未だに何かを書き続けているアンジェが目に入り、気分転換をかねて彼女に近寄った。
「さっきから集中しているようですが…一体何をしているのですか?」
努めて明るく問いかけると、それまで相当集中していたのだろう、少し疲れた様子でアンジェは答えた。
「鏡花教諭でございましたか。実は要さんに渡された課題の確認をしておりまして…」
少し恥ずかしそうに、書き終わったノートを大事そうに抱えながらの返答だった。
「そうですか…良ければ中身の方を読んでみたいですね」
「えっと…間違った回答ばかりのもので良ければどうぞ」
ためらいがちに、両手で差し出されたノートを鏡花も両手で受け取り、静かに開いた。
「…なるほど、策略集といったところですか。武人・神樂構成によって細かく分けられているところが五十嵐君らしいですね」
「はい! …ですが、数が多すぎてアンジェには覚えきれない気もします…」
アンジェの言うとおり、ノートには内容が見易く丁寧に書かれているが、その量が尋常ではなく、百枚以上はあろうページが全て埋めつくされていた。
本職である鏡花でさえも思いつかないような策略も記載されており、少し驚いた様子を見せていた。
それを短い期間で全部覚えようとしていた彼女を見て、鏡花は淀みない口調で励ましの言葉を贈っていた。
「それは少しずつで大丈夫ですよ。一度で全部覚えられてしまっては努力なんて言葉が虚しくなるだけですから。それに、どちらかと言えば実戦ではどんな状況でも対応できる柔軟性の方が要求されるので、これは記憶の隅に留めておく位で大丈夫ですよ」
「…分かりました。いつか現れるかもしれないご主人様のために、アンジェは日々猛勉強でございます!」
「…そうですね。ですが、策略に長けているメイドというのはあまり聞いたことがありませんね…」
「そうなのでしょうか? アンジェのお母様はいざという時、主人の力になれるようある程度の知識が必要だと話しておりましたし、お父様もそんなお母様だからこそ身分の差を無視してでも結ばれたかったと話しておりました」
「ず、随分と逞しい家族なんですね」
「はい。お父様もお母様もアンジェの目標でございます!」
家族の事を話す彼女は、どこか誇らしげな表情だった。
「…そうですか。私は応援しかできないかもしれませんが、頑張ってくださいね」
「すいません、鏡花先生! 少しよろしいでしょうか?」
その時、丁度話が一区切りついたところで一人の男性教員が担架を脇に抱えながら話しかけてきた。
「どうかしましたか?」
「はい。楠班含めた脱落班が到着したので、運ぶのに少し手を貸してもらえ…」
「あ、そのような事でしたらアンジェがお手伝い致します!」
男性が言い切るよりも先に彼女は横になっている生徒たちの下へと向かっていった。
脇に抱えられていた担架を素早く受け取り、軽快な足取りで走っていった。
その行動の速さに、男性は一瞬呆気に取られていたが、すぐに気を取り直してその後を追っていった。
遠くなっていく少女の背中を見送った後、鏡花は意味も無く空を見上げてみた。
「…やはり、彼女を雑務職員として置いておくのは勿体無い気がしますね…」
誰かに話しかけるわけでもないが、積もり積もっていた思いを口に出さずにはいられなかった。
アンジェの存在は入学式が始まるより先に、全教員に通達されていた。
雑用係として学園で保護するが、教員はどれだけ頼まれようとも決して勉強を教えてはならない、ということも言い渡されていた。
その理由は、表向きには不合格だった生徒に学園生と同様の教育を施すのは不公平であるというものだが、実際はもっと別な理由があった。
それは、彼女が異国人の血を受け継いでいるからである。
天領学園で教鞭をとっている人間は人種に関する偏見はあまり持っていないのだが、経営などを担っている人間には年配が多い。
そして、彼らは若い世代に比べ異国人を忌避する傾向がある。
…彼女は運悪く、その悪意の向かう対象となってしまったのだった。
その口実を与える切欠が、母国語をまともに扱えない、ということだった。
それは、後から教えてもどうにかなるものであるはずだった。
けれども、老耄たちは切り捨てるという選択をした。
そして彼女は、それに応じてしまった。
「…今を蔑ろにする人間に、未来を語る資格はない…か…」
誰の言葉か分からないが、彼女はそれを自分に言い聞かせるように呟いていた。