五、三日前
実地訓練まで、後四日。
先日、組手をやりすぎたが為に倒れた二人はさすがに自重したのか、制限時間を二十分に制限し、太刀打ちあっていた。
その凄まじさは学園内でも話題になったようで、昨日今日と野次馬が増えており、今回は十五人ほどの人に囲まれていた。しかし、それでも一切動じる様子を見せないところ、集中が組手にむいているためだと考えられる。
手数と機動力で攻める昴に対し、龍一はそれを受け流し、時には弾き、隙あれば大振りの一撃を放つ。色は違えど、周囲から見れば達人のそれと遜色無かった。
「……二人とも……速い」
「そうですね。私としては村上君の速度に対処できる獅童君に驚きましたよ。けど、あまり見たことのない型のようですが……」
「……龍君の剣術は……ほとんど我流……って言ってた」
野次馬たちよりも前に、女子三人が並んでいた。
月島、首藤、そして二ノ宮だ。
今回は二人が無茶をしないようにと監視役を務めており、異変を感じたらすぐにでも動けるように少しだけ構えていた。
「我流って、誰の指導も受けなかった、という事ですか? それであそこまで出来る獅童君は一体……」
「……龍君は……誰かの下で、何かをするのが嫌だ……って言ってた」
必死に木刀を振るい、豪雨のように降り注ぐ剣戟をしのぐ姿を見ながら、遥は言葉を零していた。語りかけるような、それでいて聞き取らせないような小さな声であったが、二人の耳にはしっかりと届いていた。
「……私と違って、何をしてもすぐに……他の人以上に出来て……全部大人顔負けの腕になって……それで、いつも一人だった……」
「「……え?」」
予想外の過去に、二人は思わず間の抜けた声を上げてしまい、慌てて口元を抑えて周囲を見回した。 幸い、野次馬たちは龍一たちの組手に集中していたため、聞こえていない様子だった。
誰にも聞こえなかったことを確認すると、声を顰めながら遥に話しかけた。
「……今の獅童からは全く想像出来ないが……それは本当なのか?」
椛の疑問も当然のものだろう。そして、心も似たような感想を持っているのだろう、彼女の意見に同意を表すように首で頷いた。
獅童龍一は入学と同時に明るく振る舞い、それこそ余程の事がなければ嫌う人間はいないというほど友好的かつ社交的だった。
「……少し……周りを見下すところがあって……私以外とは、あまり話さなかった……」
自分の能力を鼻に掛けることもなく、時折道化を演じる今の姿からは全く想像がつかない……そんな考えが傍から見ている遥からも分かるほど、二人の表情は驚きが漏れていた。
「小父さんや小母さんにも、嫌われて……ずっと一人で生きる……そんなことを言うくらい、一人だった……ね」
そこで一旦区切り、遥は二人の顔を見ながら小さく笑った。
それは、予想通りの反応に浮かべた失笑だった。
「……驚いた?」
「あ、あぁ……けど、そこまでされておいて明るくなれるものなのか?」
「わ、分かりません……」
狼狽する二人を横目に、遥は再び視線を龍一の方へと戻した。
一撃の重さを重視する作戦が功を奏したのか、攻勢に入り昴を押しており、その表情は僅かに頬が釣り上がっていた。
「……入学式に会ったときは……驚いた……凄く楽しそうで、皆に話し掛けてたのは……予想外だった」
その時の事を思い出しているのだろう、遥の表情は柔らかく緩んでいた。
「『何があったの?』って聞くと……面白い友達が出来た、って……笑いながら話してた……それまではずっと、誰とも関わろうとしなかった龍君が……ね」
ただ、その目は、どこだか残念そうな、悲しみの色を含んでいた。
そんなことを知ってか知らずか、龍一は攻め手を更に強める。
時間も残り僅かになっているためだろう、一気に攻め込むことによって防御を崩し、勝ちを取りに来ていることは明確だが、それでも昴は上手く反撃の糸を掴めずに防御に徹せざるを得なかった。
「……首藤は……」
そんな遥に対して、椛は問いかけずにはいられなかった。
「……獅童のことを、どう思っているのだろうか?」
「…………」
数秒間、彼女は黙った。
組手は、最後の交錯となり、そこを見逃すまいと彼女は目を見開いていた。
龍一は上段から渾身の振り下ろしを。
全体重をかけた、全力の一刀を容赦無く叩きつける。
それに対する昴の反応は、一瞬反撃に転ずる事が遅れたために、二刀で攻撃を受け止めるようにバツの字に構える。
しかし、当然というべきか、昴はその攻撃を耐えきることが出来ず、両の手から木刀を叩き落とされた。
―決着―
「……ッシャァア!」
十九分の激闘の末、勝利した龍一は木刀を持ったその拳を天に突き上げて吼えた。それに震えた野次馬たちも、思わず賞賛の拍手と歓声を贈っていた。
負けた昴は落ちた木刀を拾い上げ、野次同様、健闘に対して拍手をした。
そんな彼の様子を、遥は嬉しそうに眺めていたが、一瞬だけ曇った表情を浮かべたことを、椛も心も見逃さなかった。
「……椛の質問には……一つだけ、答えておくね……」
ようやく仕合から視線を変えた遥は、空を見た。
「……時間までは、待っている……けど、それ以上は……間に合わないって……これは龍君には内緒……ね?」
盛夏の光に照らされた彼女の瞳は、何故か悲しそうだった。
実地訓練まで、後三日。
「そういえば、ここしばらく五十嵐君と綾里さんを見かけないのですが……何かあったのですか?」
夕食後の食堂、話題を切り出したのは心であり、その場にいる五人は椛を除き、言われてようやく気付いたような反応を見せた。
「……確かに、最近俺が部屋に帰っても居ない時がほとんどだな。訓練だったら俺も誘われることがほとんどだったのに……」
「……飽きられた?」
「何に、とは敢えて聞かないが……それは無いと思うぞ。要も獅童はまだ油断できる相手じゃない、と言っていたからな」
「実地訓練に向けた準備でございましょうか? 必要なお荷物を纏めるのにも時間が掛かる人もいると聞いたことはありますが……」
「…………」
それぞれの推測が立てられている中、昴は黙って視線を窓の外へと移した。
「用事が無ければ何が原因か分かりませんね……村上君は何か思い至ることはありませんか?」
「……いや…………全く思い至らないな」
「?」
珍しく言い淀んだ昴を不思議に思いながらも、心は深く追求せずに、会話に戻った。その対応に昴は気付かれないほど小さく息を吐いた。
「綾里さんに関しては……確か影継さんの武器を新しく練造する、ということで鍜治場にしばらく篭るとおっしゃっていました」
「……はい?」
アンジェからの予想外の答えに、龍一が代表して内心を口にした。
その証拠に、事情を知らない遥、心も初めて耳にした情報によって首を傾げていた。
「あぁ、それについては私が話しておくと……」
数分の時間をかけて説明が終わると、見せた反応はそれぞれだった。
「……成程、つまりは要がまだまだ強くなるってことか。これは俺もうかうかしていられないな?」
「最近綾里さんが鍜治場を出入りしていた理由はそれでしたか……言ってくれれば手伝ったのですが……」
「自分にあった配置があるから、あまり触って欲しくなかったんじゃないか? 月島も冷蔵庫の中身を俺が下手に弄ると……」
《主、それ以上は黙っておきなさい。フォークの先を横っ腹に当てられているわよ?》
「知ってる? 逃げられない今、私の神技で刺すのをゆっくりにすれば、肉に刃先が埋まっていく様子がはっきりと……」
「と、とにかく! 綾里に関しては心配はいらないということだな!? そういうことだな、二ノ宮!?」
危険と判断した昴は必死に話題を逸らそうと声高に叫んで椛の同意を求めた。
「ま、まぁそういうことです……」
さすがの椛もこれにはどう返せば良いのか分からず、鸚鵡返しに近い答えを出した。
因みに、先日要が風紀委員室で和菓子をご馳走になったあと、影継から『要の好物は和菓子』ということを聞いてから、有名店の銘菓が幾つか常駐するようになっている。
触ることを許可されているのは心のみであり、それ以外が下手に手を付けようものなら…ということだ。
「…あぁ、そうだ。教諭から聞いた話だと、訓練終了後に打ち上げのようなものが行われるみたいだから、昴先輩たちにも伝えておいてくれ、って言われていたな」
「そうなのか? 俺たちの時には無かったが……」
「今年から始めてみるようで……その時は自由時間として普段着で参加しても良いと言っていましたね…」
椛が補うようにそう付け足した。
「……成程、それでさっきから一年女子が騒がしいわけだ」
学内での行動は基本制服だけであり、休日に学外に出る事でも無い限り私服を着る機会というものは殆ど無い。そのためか御洒落に気を配る年頃である女子陣は、非常に浮き足立っており、大分利用者が少なくなった今でも楽しげに盛り上がっている。
「要が暇そうにしていたら街にでも連れ出そうと思っていたが……そんな余裕は無さそうだな。帰ってくるのも真夜中だからな……」
「えっと……その時間まで何をしているのかがアンジェは非常に気になりますが……お身体を壊さないようご自愛ください、とだけ伝えていただけますでしょうか?」
心底心配そうにアンジェは龍一に頼んだ。
腰の高さまで下げられた頭に、否定の言葉を返すことが出来るはずも無く、同時にそのことを考えていた龍一は快くそれを引き受けた。
「諒解……そういえば、アンジェの講義はどうなっているんだ? さすがにそんな時間に出来るとは思えないが……」
「それならご心配は無用でございます! 要さんがご用意してくださった『問題集』を毎日行なっておりますので!」
どこから取り出したのかは分からないが、アンジェの手には『アンジェ用』と書かれたノートがあり、中が軽くめくられると、前半は問題、後半は解説と所狭しに要の文字が書かれていた。
「……相変わらずそういうところの準備は完璧だな、要は……」
友人の完全すぎる対処に龍一は呆れていた。
確かに感心もあるのだろうが、あまりにも一人で背負いすぎる節が有ることを、改めて思い知った。溜め息を吐いた後顔を上げれば、何時の間にか女子陣はノートを囲って何やら話をしていた。
「……訓練の場所が森なら、これは戦術的に使えるのでは?」
「いえ、どちらかと言えばこちらの空戦に持ち込む手段の方がよろしいかと……」
「集団戦になると思うので、一人が伏兵として隠れるこの作戦の方が……」
話の内容を聞いて、龍一がノートをのぞき込むと、そこには事細かに戦術が書かれていた。要の手描きであるためだろう、少々見づらい点はあるが、それでも分かりやすいよう丁寧に詳細が書かれている。
その中から有効な作戦を練り上げようと、彼女たちも考えているようだった。それも、本来あまり関与できないアンジェでさえ、協力している。
(……本当に、アイツは愛される奴なんだな……)
三人の話し合う姿を見て、龍一はそう思わざるを得なかった。
情けは人の為ならず……そのことわざを目の当たりにしている気持ちになり、龍一は思わず顔がにやけてしまった。
「……よし、昴先輩、遥も参加してくれ。最悪百人を相手にするかもしれないから、充分な計画を立てておきたい」
「言われずとも」
「……うん」
そうして、六人は意見をぶつけ合いながら、生き残る手段を模索していた。
全員が戦える作戦が多い中、要が幾らか改良して要救助者がいる場合の作戦も記載されていたため、その中でも有効な物を厳選していった。