六日前
実地訓練まで、後六日。
小校庭には幾つかの班が別れて組手をしており、普段より少しだけ活気づいていた。と言っても人数としては十人程であり、決して多くないので狭いということは無かった。
その中には、当然と言うべきか、要たちの姿があり、他の組より激しく木刀のぶつかり合う音が鳴っていた。ただ振るわれる木刀は三本……要は傍から二人の組手を眺めていた。両者一歩も引かぬ戦いを目の前にしながらも、彼は特に反応を示すことなく佇んでいた。
「……珍しいな、要が参加しないなんて、何かあったのか?」
「……椛か。その格好からすると、素振りでもしていたのか?」
目だけを動かして視認し、要は尋ねた。
道着に竹刀という格好をしており、首には手拭いを掛け、動きやすいように髪を後ろで一括りにしていた。
「いや、準備運動に走っていただけだ。素振りはこれからのつもりなのだが……質問に答えていないぞ」
「……龍一と昴が一対一で仕合った事が無いことを思い出して、組手をしてもらっているのだが……そうだな、何分位やりあっていると思う?」
仕合をしている二人を指さして、彼女に問いかける。
その指し示す方向を見れば、一刀を大きく振りかぶる龍一、二刀を小さく何度も叩きつける昴、共に汗の滴を浮かべていた。
息も大分上がっており、長距離を余裕で走りきった二人とは思えないほどに消耗しきっているのは椛にも目に見えて明らかだった。
「……そうだな、大体三十分……というところだろうか?」
「不正解。その答えの三倍は既に達しているな」
「はぁ!?」
要の口から出た答えに、椛は思わず大声を上げてしまった。その大音声に周囲で打ち合っている生徒は手を止めたが、昴たちは全く動ずる事なく仕合を続行していた。
「あ、あれほどの振りで一時間半!? 常軌を逸しているにも程が……」
普通、人間が極度の集中状態を維持できるのは三十分程度だと言われている。それ以上は身体的負担にも繋がり、三十分でも集中状態から解放された際には極度の疲労に襲われる。しかしそれにも関わらず、彼らはひたすらに木刀を打ち合っている。
剣術経験者である椛から見ても、無駄な動きはほとんどなく、むしろ仕合が進むに連れて両者の動きにキレが増しているのが素人目に見ても分かるほどだ。
「龍一がこれ位出来るのは当然だが、昴がそれについてこられるとは思わなかったな。この調子だとあと三十分は決まらないだろう」
「ちょっと待て、要! 大和軍はこれが普通なのか!? それとも要たちが異常なのか!? 教えて欲しい!」
彼女の質問に、要は口に手を当てて考え始めた。時間として十秒ほど黙り込んでおり、その間は木の乾いた音が何度も聞こえた。
「……俺たちはどちらかと言えば異常に分類されるだろうが……そうだな、神之木中将は八時間連続で集中を維持できるから、まだまだ、だな」
「神之木中将……って、もしかして【滅鬼】の……?」
椛の恐る恐るといった様子での問い掛けに要は頷いた。
神之木景斎中将
将校でありながら前線に立つという変わり者であり、上下問わずあまり良く思われていない人間である。
しかしその実力に関して語れば、大和最強と言われている。
戦場に立てば負け戦を勝ち戦に変えられるほどの、戦神の號が与えられてもおかしくないほどである。ただ、あまりにも強すぎる故に、敵味方から共に恐れられ、畏敬の念よりも畏怖の意味合いを含めて【滅鬼】と呼ばれる。
異国では【FULLMETAL KILLING】の代名詞にもされている。これは本来神話の中に登場する【滅びの釼甲】(Total Slaughter Blade Arts)ダーインスレイヴを纏った武人に当てられた物であるのだが、あまりの強さに忘れ去られそうになっていた神話から引き出されたのだった。
意外な名前が出たことに椛は呆然としていたが、すぐに意識を現実に戻した。
「そ、それは例外ということで置いておくとして……もしかしてその間要は?」
「当然、待ち惚け、だ。影継もいない上に話し相手も居なかったから少し暇だったな」
「……そういえば影継が見えないな。何かあったのか?」
椛の質問に対し、要は『少し長くなる』と、短く前置きをして昨日あった事を簡潔にではあるが、話した。
「……業物の追加兵装は驚いたが、とにかくしばらくはいない、ということか?」
「そうなるな。時間が掛かるようだったら差し入れでもしようかと考えているが、さすがに一日で様子を見に行くのも変だと思って、な」
学園の隅に設置されている鍜治場に視線をやりながら要は答えた。
そんな要の様子を察知して、椛は少し考えたあと一つ提案を出した。
「……なら、久しぶりに私と手合せしてもらえないか?」
「……椛と、か?」
すぐに聞き返されるが、それに椛はすぐに頷いた。
手にもっている竹刀の先で、要の木刀を指して。
「組手を見たことはあるが、実際に受けたわけではないから、どこまで差がついたのか分からないからな。時間もあるし丁度良いと思ったのだが……」
「……成程、それも有りだな」
彼女の提案に、要は短い間を空けたが、すぐにその案に乗ったのだろう、右手を差し出した。
「……相変わらずの判断方法、か。力量を測り損ねた、は言い訳にならないぞ?」
「それは椛が俺に常勝するようになってからの話だな」
「言っていろ」
軽口を叩き合いながらも、椛はその手を強く握り返した。
数秒ほどその状態で固まっていると、要の方が先に手を引き、その手を口に当て、思案顔を浮かべた。
「……右手、だと強すぎるが……左手だとやや弱め、か? それとも足運び禁止……いや、これでは背後を取りやすすぎる……となると」
「……なら、右手の短竹刀でどうだ? それなら力が入りすぎることも無いからな」
「それが妥当か…ただ、左手での攻撃は許可してくれ、さすがに手数が少な過ぎては勝ち目が薄い」
「……実践的にするのだから、そこまで縛るわけが無いだろう」
「助かる。それでは、すぐにでも始めるか」
さすがに長時間待ち続けた為か、声の調子が僅かに上がっていることに椛は気付いた。そのことに若干の喜びを感じていたが、すぐに気を引き締めて自身の竹刀を青眼に構える。
「決まりは……最後の組手と同じで良いか?」
「問題無い」
彼女の提案に要は即座に返答した。
二人の言う決まりは以下の通りである。
・互いに勝利条件は有効打を面以外で打ち込むこと(防具が無いため)。
・制限時間は五分間。
・時間切れの場合、ハンデを与えている以上要が勝利、ということになる。
やることが決まれば二人の行動は速かった。互いに竹刀を構え、深く息を吐いた。
要は椛同様青眼の構え。ただし、半身に構えて左手を後ろに回している。
実力を舐めた上でのハンデなら椛は怒るだろうが、要はそれとは異なり、対等な組手を行うために必要なものだということを十二分に理解しているので、気を引き締める。
間合いは竹刀の長さから、そして身軽さの問題から椛の方が一見勝っているように見えるが、それでも彼女は慎重に間合いを詰めていった。
対して、要は静かに待つ。
瞬き一つしない集中力は、傍から見れば不気味にも思えるが、残念ながら今彼の瞳を見ているのは椛一人のみだった。
全てを見抜かれているのではないか、という恐怖にも似た寒気が椛の背筋を襲ったが、だからといってこのままにらみ合いをしているわけにもいかない、そう思えば仕掛けるのは当然彼女だった。
「ハァ!」
足を滑らせると同時に腕を大きく振り上げる。これに対し、要の応対は竹刀の鋒を僅かに高く構えるだけだった。
だが、それは最も正解に近い選択だ。
椛は振り上げたそれを『降り下ろさず』、踏み込むと同時に左からの切り上げに軌道を変える。
晴嵐流堂上礼法―吹上―
大きく振り上げることで敵の防御を高くするよう誘い、それによってがら空きになった胴を狙い軌道を下段からの切り上げに切り替えるというものである。その本来の目的を理解出来たとしても、反応速度・迫る攻撃への対処など考慮しても捌ききれないことが普通である。更に言えば、軌道を変えずにそのまま『落陽』を放つことも可能だ。
素人が実践すれば動きからすぐに察することは出来るが、残念ながら椛は長年剣を振り続けているため、察するだけの時間も与えなければ、見分けられるほどの違いをほぼ完全に消しており、見抜くことは容易ではない。
そこで、要が取った手段が『両者に備えられるようにする』事だった。
『吹上』が来れば、叩き落とす。
『落陽』が来れば、はじき返す。
そこからの追撃は難しくはなるが、それでも有効打を避けるためには最善の一手だ。
迫り来る一刀を、自身の武器を振り下ろすことによって叩き落とそうとするが、威力が高いため受け止める形になってしまった。
ただ、鍔迫り合いになれば体勢の問題を考慮しても押し負ける可能性が充分にある。そう判断した要は自身の竹刀を固定しながら、刃を滑らせて後方に下がった。
支えを失った椛は一瞬大振りになりかけるが、腕を引くことによって付け入る隙をなくした。再び互いに青眼の構えを取る。
互いに語る暇も無いほど、緊迫した空気を纏っていた。
今度は要から仕掛けられる。
晴嵐流堂上礼法―昇竜―
深く踏み込み、地面に対し垂直に切り上げる一撃。
先程椛が放った『吹上』も同様ではあるが、下段からの攻撃というものは非常に凌ぎにくく、更に今の要の場合は刀身が通常の半分ほどしかない故に、速度も段違いに速い。
一般の長さの竹刀では、振れば間に合わない。
リーチが短い、と言うことは遠心力を乗せることが出来ない半面、小回りが利く上にその武器の重量次第では剣速が上がるという利点がある。
剣先が鋭く椛の小手を狙う。
「フッ!」
だが、彼女もそう易易と攻撃を当てることを許すわけもなく、手首を返すことで鋒を下方に向け、竹刀の腹で要の一撃を受け流す。
逸らしきったところで、空いた胴に対して踏み込みつつ突きを放つが、それは要にとって想定の範囲内だったのか、右足を軸に、後ろ足である左足で円を描くように引くことで紙一重で避ける事に成功した。
そして、伸びきった腕が戻りきる前に、要は攻撃を行なった。
後方に控えていた掌底が、椛の腹部へと鋭く走った。
「なっ……!?」
驚きながらも柄を盾にすることによって阻もうとするが、彼女が守りに入るよりも先に、その一撃が届いた。
そして、彼女の腹部に触れるか触れないか、という距離で止められ、決着がついた。
「……参りました」
その一言と同時に二人は身を引き、礼をした。
時間にして三分二十二秒。
龍一たちに比べれば遥かに短い組手時間であるが、それだけでも椛は大分疲弊しているようで、動きがどこかぎこちなかった。
「……間に合うと思ったのだが、残念だ」
「どちらかと言えば奇襲に近かったからな。対処されていたらそれこそ俺の自信が無くなっていたぞ……」
疲労を見せている椛に対し、要はまだまだ余裕といった様子を見せており、組手前同様息の乱れすら無かった。
「ただ、要が体術を織り込んできた事が予想外だったな」
「……少し、思うところがあって、な」
「……そうか。深くは聞かないが、その御陰で大分攻撃の幅が広がった事は間違いなさそうだな……っと、向こうも丁度終わったか?」
椛が視線を向けた先には疲弊し切った二人が倒れていた。
共に仰向けになっており、木刀を握るはずの手は緩み、微塵も動く気配が無かった。
「……うん? ……反応が無いが……」
「……同士討ちで、両者意識不明、のようだな」
椛が動かない二人を不思議に思っていると、要は冷静に両者の意識を確認していた。別段驚いた様子を見せず、頬を軽く叩き、それでも目を覚まさないので、静かに立ち上がった。
二人を脇に抱えて。
合わせて優に百キロを越えるにも関わらず、何の苦でもないのか平然としながら、いつもの歩調で歩き始めた。
「取り敢えず、日陰にでも運んで置くか……椛、済まないが月島先輩と首藤を呼んでおいてくれるか?」
「分かった。すぐに連絡する」
そう言って椛は端末を取り出して二人に手助けを要請した。




